第20回 | ナノ
※生前/捏造設定


 旅の疲れとは総じて激しいものだ。野宿が当たり前の生活をしているため、宿に泊まることは滅多にないが、今回は運が良かったのかたまたまなのか日が暮れる前に町に着いた。町に着いたのだから野宿する意味はないだろうということで、わたしとエミヤは食事付きシャワー完備のツインを取り、宿に泊まることにした。
 遅めの夕飯を食べて、シャワーを浴びて、ふかふかのベッドに潜った。快適だし、最高だし、本当に気持ちよかった。だからだろう、回りに敵もいないから油断しきっていたのだ。
 夜も更け、町が寝静まった頃だった。わたしたちが泊まっている宿が襲撃を受けた。
 わたしとエミヤは反撃しながらなんとか窮地を脱したけれど、夜襲ということもあり、無傷というわけにはいかなかった。
 不意を突かれたのは痛手だったし、疲労も溜まっていたから肉体的にも精神的にもかなりの負担が掛かったのはいうまでもない。
 逃げ込んだのは森の中。気配を消し、目眩ましの魔術を使って追っ手を巻いた。
 エミヤが怪我を負ってしまったから時間はかかったけれど、辿り着いた先には山小屋があった。
 わたしはそこに人除けの結界を張り、索敵の魔術を練り込ませたものを展開した。
 一般人にもそこらの魔術師にも追っ手にも感化されない自信はある。それだけの魔力を込めているからだが。
 見た目はあれな小屋だったが、中は割りと綺麗に片付いていた。最低限の調度品は揃っているし、質素だがベッドもあった。水道も通っているらしい。
 おそらくここは猟師の休憩所なのだろう。何日も篭っていいような仕様だし、それらしい備品が目についた。
 エミヤをベッドに寝かせ、治癒魔術をかける。傷口は直ぐに塞がったが、出血量が多かったせいか顔色が酷く悪い。
 今すぐどうこうというわけではないけれど、安静にしていなくてはいけないだろう。逃亡を続けるのは無理そうだ。
 わたしはエミヤの額に手を伸ばした。そっと触れれば、手のひらにじわりと熱が伝わってきた。
 こればかりは魔術で治癒するのは難しい。人間の免疫力でどうにかするしかないだろう。
 取り敢えず、冷やすものを用意しようと思考する。逃亡ついでに荷物は持ってきたからタオルはあるし、ここには水道もある。
 わたしはエミヤから手を離した。さっきまでの熱さが嘘のように消えていく。それが何故だか寂しく思えてならなかった。



 ずいぶんと昔の夢を見た。魔術師の家系に生まれた子供の宿命ともいうのだろうか。畏怖しかない記憶だった。これ以上見ていたくなくて夢から目を逸らす。早く起きろ、そう念じながら意識を浮上させた。その反動か夢見が悪かったせいかは分からないけれど、びくりと体が震えた。
 わたしは床にぺたりと座り込んでいた。ベッドの端に両腕を乗せて、それを枕代わりにしていたようだ。
 バッと顔を上げる。敵はと思って、展開していた索敵の魔術を探った。
 あれからどのくらい経ったのかは分からないが、人除けの結界が思うよりも機能しているようだ。結界内に人の出入りは全くないし、索敵にも誰も引っかかっていない。
 ホッと安堵の息を零す。眠気が抜けない目を擦って、眠っているであろうエミヤの様子を見ようと思っていると、「おはよう。起きたんだな」そんな声が降ってきた。もちろん、声の主はエミヤである。わたしの眠気は一瞬にして霧散した。
 おそるおそるエミヤに目を向ければ、彼はわたしを見ていた。相変わらず顔色は悪いけど、治癒した頃に比べれば幾分かマシになっている。
「ええと……おはよう。よかった、顔色……少しよくなったね」
「ああ。君のお陰だ。……だが、すまない。迷惑をかけてしまった」
「謝らないでよ」
「いや……。迷惑をかけたのは事実だろう」
「迷惑なんて思ってない。わたしは当然のことをしただけ。エミヤはわたしの大切なひとなの。助けるのは当たり前でしょ」
「なまえ、」
 エミヤが悲しそうに目を細める。わたしはそれを見て小さく笑った。まるで迷子の子供みたいだ、と思いながら彼の手を取った。
 彼は驚いていたけど、気にせずにギュッと握りしめると、その手をわたしの頬へ導いた。
 彼の手は戦士の手。固くてゴツゴツして。鍛錬と戦場をいくつも乗り越えてきた者の手だ。
 それでも、わたしは知っている。この手はたしかに戦う手だけど、ひとを救う手でもある。優しくてあたたかくて、美味しいごはんをたくさん作れる魔法の手だ。
「エミヤもわたしのこと助けてくれたじゃない」
「…………」
「あれは今よりも戦況が悪かった。敵に囲まれていたし、敵の数も多くて手練れの魔術師もいた。あの場面では深傷を負ったわたしを見捨てるのが正解だった。生き残る確率を上げるならそれを選ぶのが得策。それでもあなたはわたしを助けてくれた。追っ手から守ってくれて、わたしを抱えながら何日も歩いてくれた。傷が癒えるまで付き添ってくれた。わたしは嬉しかった。あなたがいてくれて嬉しかったの」
「なまえ」
「だから、今度はわたしがあなたを助ける。あなたを守る」
 わたしの頬に当てられた彼の大きな手に擦り寄る。頬を押し付けて、彼の体温をたしかめるように目を瞑った。
 彼が頬を撫でてくれる。ふと目尻を拭われているのに気づき、そしてわたしが涙を流していることにずいぶん遅れて理解した。
「君は泣き虫だな」
 そう言ってエミヤは苦笑した。わたしの視界は涙でぼやけていたけど、エミヤの眼差しが優しさに滲んでいたのは見てとれた。彼は親指の腹で何度も目尻を拭ってくれた。
「泣き虫って……。エミヤがそうさせてるんだよ」
 ぽつりと零すと、やれやれと息をついたエミヤが涙を拭うのをやめて、わたしの後頭部に手を回してきた。
 頭を撫でられて髪を梳かれる。親しみや優しさのこもった手つきだ。
 気持ちいいなあ、そう思ったと同時にぐいっと彼のほうに引き寄せられる。
「え……っ、ぅわ!」
 咄嗟に目を瞑ったのは反射的に仕方なくだ。受け身が取れなくて、エミヤにダイブしてしまう形になる。
 突然だったとはいえ変な声を出してしまったし、ちょっと恥ずかしいなあと思っていると、ふわりとエミヤの香りが鼻腔をくすぐった。
 においが分かるくらい近くにエミヤがいる。
 おそるおそる目を開けると、目の前にはエミヤがいた。それも唇と唇が触れるギリギリに。わたしは目を瞠った。
「本当に……君は無防備すぎる」
「え、エミヤ?」
「もう少し警戒したまえ」
 後頭部から手は外されないまま、なおも引き寄せられた。唇を塞がれて、吐息すらも奪われる。視線は合わせたままだけど耐えきれなくて、わたしはそっと目を閉じた。
 今まで男女の関係がなかったといえば嘘になる。戦闘の後は興奮するし、それが分かっているから肌を重ねることに抵抗はあまりなかった。
 性欲だって互いに薄いわけでもないからしたいときに処理程度に慰め合ったりもした。
 娼館に行くだけの余裕がなかったともいえるが。まあ、傭兵じみたことをしているのだから仕方ないだろう。
 察しの通り、わたしたちは恋人ではない。わたしたちの関係はあくまで友人の域だと思う。
 友人同士が慰め合うのかと訊かれれば否と答えるだろう。
 たぶん、わたしはエミヤだから許したのだ。
 わたしの中のエミヤという男の存在は大きい。大切な存在だといえるし、そう思う気持ちに嘘はなかった。
 けれど、いつからだろう。今まで抱いていた想いに変化が起きたのは。
 いつからだろう。友人ではなく、ひとりの男性として意識し始めたのは。
 いつからだろう。こんなにも愛しいと思うようになったのは。
「っ……ん、ぅ」
 思考が溶けていく。巡らせていたものがどろどろに蕩けてしまいそうだ。
 後頭部を抑えられているから逃げようと思っても逃げられないのだけれど、わたしは初めから逃げるつもりはなかった。
 歯列を丹念に舐められて、舌を絡めて、互いの唾液を混ぜ合わせて、どちらのものか分からないそれを何度も飲んで、痛いくらい舌を吸われた。
 背筋がぞくぞくして、その度に体が震えた。快楽と酩酊感に頭がくらくらして、それでもわたしはエミヤの激しい口づけに応えた。
 それからどのくらい経っただろう。ようやく解放されたときには息も絶え絶えで、上気した頬と潤んだ瞳で彼を睨み付けたけれど、「これ以上煽るつもりなのか、君は」と言われてしまっては大人しくする他なかった。
 本当にエミヤは怪我人なのかと疑いたくなるくらい元気だった。まあ、熱はあるし、顔色は悪いし、本調子ではないからやはり怪我人なのだが。
 頭を撫でられ、目尻にキスを落とされた。逃がさないようホールドされたまま、エミヤの横に寝かされる。
 えっ、ときょとんとしていると、彼が「君も休んだほうがいい」と言われた。
「眠れば疲労も魔力も回復するだろう。君の魔術は寝ていても展開可能だ。問題はあるまい」
 正論だから言い返せない。休めるときには休む、それが大切なことだというのは身に染みて理解していた。
「分かった、そうする。……エミヤもちゃん休んでね」
「そのつもりだ」
 わたしの背中に回されたままの彼の腕が少しだけ緩んだ。
 内心でホッとしながら彼の胸板に顔を埋める。目を閉じて、眠気が訪れるのを待っていると「おやすみ」そんな声が降ってきた。
 既に眠りの淵に沈んでしまっているためそれに答えることは出来ない。けれども、暗い淵に溶けていく意識の中でわたしも呟いた。
「おやすみ、エミヤ」
 きっと彼には届かないだろう。それでも言わずにはいられなかった。
 次に目覚めたときに、彼が元気になっていればいいと思う。また、彼と旅を再開したい。
 わたしの夢も彼の理想も、辛くて険しい道のりだけど、報われる日はきっと来るだろうし、叶うときがきっと来る。その日まで彼と一緒にいたい。いることを許してほしい。
 暗くなっていく意識の中、わたしはそんなことばかり思索していた。
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