第20回 | ナノ
 マザーグースによると、女の子は甘い砂糖と少しのスパイス、そしてそれ以外の素敵な全てで出来ているのだとか。もしそれが本当だとして、例えば甘いものが大嫌いなわたしでも恋≠ュらいは甘く出来たりするのだろうか。





「みょうじ、それ食べれたっけ?」
「…食べれない」

 昼休みの屋上で、シュークリームを手に取ったわたしに花巻は首をかしげた。食えないならなんで買ってきたの、とかなんとか言って笑うその表情に思わず溜息が零れる。「だって、花巻がこれ好きだから」。思うだけで言葉にならないその気持ちは、喉の奥にぐっと飲み込んだ。
 あーあ、マザーグースの歌うようにわたしも甘いお砂糖や素敵な全てで出来ていたらよかったのに、なんて。

 好きな人の好きなものを好きになりたいとか、好きな人の理想に近づきたいとか。女の子なら一度は思ったことのあるそんな願いが、今回ばかりはどうしても叶いそうになかった。わたしは甘いものが大嫌いな辛党で、そして花巻は甘いものが大好きな超甘党。どうしたって二人の好きなものを揃えることは出来そうにない。好きになった人が超甘党と言うだけでも少しへこんでいたのに、及川に聞いたところによると花巻の好きなタイプはシュークリームを一緒に食べてくれる可愛い子≠ネんだとかでわたしはもう溜息しか出なかった。わたしが甘いもの好きな女の子だったら、とか。花巻が辛いものを好きだったら、とか。どうしようもないことばかりが、わたしの中をくるくると回って浮遊している。





 生温い風が屋上の日陰を吹き抜けた。自分の手の中で食べられるのを今か今かと待っているふわふわのシュークリームが恨めしい気持ちになって、今日何度目になるか分からない溜息が口から零れていく。わたしもこんな風に誰からでも愛される、彼に好きだと言ってもらえるものになれたらいいのに。そんな曖昧な言葉が頭の隅に浮かんでは消化しきれないまま溜まっていくのだ。彼の大好きなシュークリームはこんなに甘いのに、わたしの世界はこれっぽっちも甘くない。
 わたしの隣りに腰かけて談笑していた花巻は、ひとくち食べようと挑戦しては結局食べられないで居るわたしを見て「それ食わないなら頂戴」と言ってから手を差し出した。

「大体、みょうじそんなん嫌いじゃん。いつものフリスクは?すっげー辛いやつ。」
「………好きな人が甘党だから、フリスクやめた」

 小さな声でぼそぼそと呟きながら、結局諦めてシュークリームを手渡すと花巻は「ふうん、お前も可愛いとこあんだね」とどうでも良さそうに言ってふわふわのシュークリームにかぶりつく。にゅっとはみ出たカスタードクリームを舐め取って「うまい」と満足そうに笑う彼にはどうしたって同調出来ない。少しだけ気分が落ち込んでゆっくりと膝を抱えた。花巻はわたしがずっと持て余していたシュークリームをぺろりと一瞬で食べてしまうと、どこから出したのか「ハイお礼」と笑って、わたしがいつも食べているフリスクを差し出した。

「……やめたんだってば、わたし甘いもの好きになるって決めたし」
「いいじゃん別に。お前の好きな甘党が、いいって言ってんだし」

 え。
 瞬間、ぴたりと時間が止まる。思わずとなりを振り向くと、花巻は悪戯が成功したようににやりと笑って「ほら」とフリスクを出していた。彼の言葉の意味を咀嚼しきれないでいるわたしは、ぐちゃぐちゃな思考回路を必死に落ち着かせながら、流れに任せてそれを受け取り口の中へ放り込む。わたしの大好きなピリピリとした辛い香りがして、冷たい空気が肺を抜けた。次第に鮮明になっていく言葉は心の中をじわりじわりと蝕んでいくような気がしてぐっと下唇を噛む。

「な、…に、それ」
「俺は辛いもの好きなお前が好きだよ、って、そう言ったの」
「……甘いもの好きな子が好きって聞いた…」
「甘いもの食べれないくせに、俺のために食べようとしてくれてる子が好きデス」

 なんてことないようにへらりとそう言いのける花巻は、流れるように自然な動きでするりとわたしの髪を梳いた。ふわりと風に乗って甘い匂いがする。何だか急に現実味が沸いて、途端に心臓がばくばくと音を立てた。「なんで」とか「どうして」とか、言葉にしたいことがたくさんあるはずなのに、喉の奥に残るピリピリとした辛さと綯い交ぜになったまま何も出て来ない。ここから逃げ出してしまいたような、このまま享受してしまいたいような、そんな曖昧でぐらぐらした気持ちがわたしの心を逃がさなかった。
 生温い風に揺れる髪の毛の向こう側で花巻が穏やかに笑っていて、周りの雑音が聞こえなくなる。まるで諭すように覗きこまれれば「好きだよ、」の言葉がすんなりと零れた。辛いものが大好きなわたしの口から出たにしては胸やけしてしまいそうなほど甘い言葉。鼻先が触れてしまうくらい近くで聞こえた「俺も」という嬉しそうな小さな声がわたしの耳たぶを溶かす。
 ゆっくりと瞼を閉じると、薄いくちびるがくっついてちゅっと可愛い音を立てた。ゆっくりと丁寧にくちびるを割って入ってくる花巻の舌がわたしのそれを撫でて、シュークリームの甘さが呼吸と一緒に鼻から抜ける。

「……あま、い」
「そ?俺は辛かったけど。フリスクのブラックミント」
「……甘い方が良かった?」

 花巻はわたしのこめかみ辺りにゆるゆると優しく擦り寄ると「んーん、別に。」と言って、目尻の横にくちびるを落とした。

「みょうじなら、なんでもいいわ」

 どろどろに溶けてしまいそうな言葉がわたしの肺を満たす。喉の奥にあるピリピリとした辛さが、心の底でじわりじわりと侵されていくみたいだった。ああ、舌の上に残った柔らかいシュークリームの甘さがどうにも消えそうにない。


わたしは辛党です
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