第20回 | ナノ
 やたらと手慣れたような口付けに、わたしの酸素は簡単に奪われていく。未来が視えるらしい目は閉じられていて、そういえばこの瞼は意外と長い睫毛で縁取られているんだったなあ、なんて思う。
 いくつもの結末を視て、時には変えて、時には変えられずそのままを目の当たりにしてきた瞳だ。変えられるだの変えられないだのという話は、迅が悪いわけでもなんでもない。でもたぶん迅はそうは思ってないだろうな、と知ったような口を心の中で叩く。

「集中してよ」

 めずらしくキスを途中でやめて、すこし拗ねたような声でそう言った迅は、続けてわたしの頬をゆるゆると撫でた。酸素が足りないと感じてるのはわたしだけなんだと思うと、なかなかに不公平だと思った。わたしのふたつある肺のうちのひとつは、あいつのものだ。だから仕方ない。そう思えば、この行為もこれからの行為も、少しは赦されるような気がしてくるから不思議だ。
 必要以上のものまで視えてしまう瞳はたぶん、私が次に言う言葉も分かってる。分かってるから、私にどうにかしてそれを言わせまいとして、だけど、私は性格の悪い、いやな女だから。

「わたしがすきなのは、慶だから」

 わたしがそう言えば、迅は「知ってる」という言葉を、静かな声で言った。わたしの考え付くようなことで、その目に映らないものはない。きっと。
 半分だけあげた肺に、迅の酸素がぐるりと回る。もう半分の肺にはあいつの、どこかの女の子の香水と、時々漂うようになった煙草の匂いが渦巻いている。

 迅は、私を好きだとは言わない。だから余計に、態度で、雰囲気で、視線で、それを感じる。もったいないな。もっとかわいくていい子がきっと見つかるに違いないのに。そんな風に思うけど、未来の視える目を持つ迅の前で、そんな未来の憶測を軽々しく口にはできなくて、いつもわたしは喉元まででかかったナイフをそっと、すんでのところで引っ込めるのだ。

「太刀川さんのどういうところが好きなの?」

 キスの合間なんかに、よく迅はわたしにそう尋ねた。わたしは飽きずに懲りずに、いつもの通り、「強いところ」と答えた。
 慶がわたしのことを好きかどうかは正直わからない。ただ、一応付き合ってはいて、わたしは普段の勉強面の頼りなさとは裏腹に、誰よりも強く誰よりも高い場所に居続けるその姿が、ただなんとなく、好きだった。

「そっか」

 いつも通りのわたしの言葉に、いつも通りの言葉で返事が返ってくる。これは何かの儀式なのかと思ってしまうくらい、お決まりのことだった。その日の戯れはそこで終わり。最後にすこし音をたてて唇が離れた。これは珍しいことだ。それから、キスのあとに目が合うのも。

「もう、会わない」
「え?」
「……ちょっと違うかな。しばらく会えない。忙しくなりそうだからさ」

 わたしは、ああ、そうなんだ、任務頑張ってね、とかなんとか、そんなようなことを言った気がする。迅からそう言われなくとも、明日明後日は、守られるかどうかは別として慶との約束だってあるし、明々後日は友達と映画へ行くし、その次は一日大学の研究室に籠りきりだし。ああ、でも、しばらくって、どのくらいだっけ。今日から5日後は、ぽっかりと予定に穴のある日だ。そりゃあ部屋の片付けだとか掃除だとか買い物だとか、色々やることはあるけれど。

「じゃあ、また」

 迅はゆるく微笑んで、わたしの部屋から出て行った。あっという間に空っぽになった空間には、律儀にも洗われたマグカップがふたつあるくらいだ。ここに来始めたときに、置いておいてくれたらいいよ、とわたしが言っても聞かず、女性向けのデザインのキッチンに立ってマグカップを洗うそのちょっとかわいらしい姿を眺めるのが案外すきになったので、今はもう何も言わなくなっていた。

 慶が先輩から借りてわたしの家に置いていったアクション映画のDVDをビデオデッキにセットするのすら、今は億劫だ。
 なんとなくスマホを手にとって、数件来ていたLINEをチェックする。その中のひとつに、「明日と明後日、任務が入った」という慶の一言を見つけて、だけどそれに、ため息なんかは漏れやしない。今わたしが大きく吐いた息は、慶への呆れとかそんなんじゃない。ただ、未来なんてものが視えるその瞳に、わたしだけを映そうとしていた、迅の淋しそうな笑顔を忘れたいだけだ。








 ピンポン。お決まりの来客を告げる音が響いたのは、例のアクション映画が中盤に差し掛かったころだった。派手な爆音や閃光は出水くんのメテオラに似てるな、なんて見当違いなことを思いながら、淹れたばかりのコーヒーを飲む。ブラックの苦さが舌にしみる。今日はなんだか夜更かしがしたい気分だったのだ。
 何の前触れもなく私の家に来るのは、慶くらいだ。どうせクリスマスイブだの何だのなんてことは考えちゃいないだろうから、仲間と遊んだ帰りに自分の家まで歩くのが面倒くさくてわたしの家に寄ったとか、きっとそういうのだろう。重い腰をゆっくりと上げて、玄関の鍵を回してドアをあける。だけどそこにいた人物は、わたしの想像していた男とは違っていた。

「こんばんは」
「……迅」
「うん。久しぶり」

 ケーキ買ってきた、とへらりと笑うこの男は、数日間合わなかったことを、「久しぶり」の一言で済ませるつもりなんだろうか。分からないけれど、それでもなんとなくされるがままに家に上げてしまったのは、クリスマスイブに独りだという孤独感、きっとそれがわたしを唆したに違いない。

「今日、やっと太刀川さんに勝ったよ」
「……、何の話?」
「太刀川さんが強いから、太刀川さんのことが好きなんでしょ」

 俺の方が強いなら、俺と付き合ってくれるよね。

 きっとずっと前に、迅は気づいていたんだろうなと思う。わたしが本心を見せないための予防線をいくつも張り巡らせていて、そのうちの一つが、今のそれだということに。太刀川慶という人間に惹かれていないというわけではなかった。ただ単純に、圧倒的に強くて圧倒的にまぶしかったあいつは、ある意味わたしにとってのすべてだった。たとえ慶にとってはそうじゃなくても、それは揺るがなかった。迅がわたしに触ったあの日までは。

 頬に手が添えられて、ゆっくりと迅の顔が近づく。動揺する私なんかお構いなしで、ゆっくりと口を塞がれた。いつもより乱暴に舌が絡みつく。大して内容を把握できずにいたアクション映画は、もうすぐエンドロールだろうか。せっかく淹れたコーヒーが冷めてしまいそうだ、なんて、そんな風に何か別なことを考えていないと、私の中の何かがだめになりそうだった。
 くちびるが離れる。迅はわたしを強く抱きしめて、「好きだよ」と言った。わたしはどこか回らないアタマで、片腕だけそっと、あいつよりすこし華奢に見える背中に回した。

「クリスマスイブだし、太刀川さん、会いに来るかもね」

 来ないよ、あいつはわたしやイベントなんかどうでもいいんだから。そう言おうとしたらガチャリとドアが開いて、ああ鍵が閉まっていたらあのお決まりの来客を告げる音が響くけれども、そういえばわたしは迅を部屋に招き入れてから、鍵をかけていなかったと気づく。そして、鍵が開いているからと言って、何も言わずに勝手にドアを開けて入ってくるような人物は、一人だけ。

「………見た感じ玄関に靴はなかったけど、誰かいる、って気配はなんとなくしてたんだが。まさかおまえとはな、……迅」
「こんばんは、太刀川さん。このひとは今から俺とお楽しみなんだけど、何しに来たの?」

 慶の目がすうっと細められる。迅は、この未来が視えていたのだろう。未だに迅に抱きしめられたままのわたしには、どうすることもできない。いや、そもそも自由の身であったって、きっと何もできないだろう。息を吸えば迅のにおいがするこの空間は今、誰のためにあるのか。クリスマスという恋人たちの神聖な夜に、ちりちりと身を焼くようなふたつの視線のぶつかり合いを見ることになるなんて、誰が想像しただろうか。

「太刀川さんにはやんないよ。おれはずっと、このひとが太刀川さんのものになる前からずっと、欲しかったんだから」

 未来を見透かす瞳が、慶をぎらりと威嚇している。目の奥がツンと熱くなった。見上げた先にある慶の驚いた表情を見るのは久しぶりで、わたしはまた分からなくなる。どうせわたしには暇つぶし程度に付き合ってくれていただけなんだから、わたしの家なんかにいないで、いつもの香水の匂いを纏ったかわいい女の子と、イルミネーションでも見に行ってあげればいいのに。そうじゃないとわたしはまた、だめになってしまうでしょう。
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