高校を卒業して、同じ大学の学部に進学して、それから卒業して彼が会社を起こして、気がついたら十年近く一緒にいるようになっていた。 頭のいい彼だから、僅かな時間で世界に通じる大きな会社にしてしまっている。 私はといえば、大学を卒業と同時に彼と結婚し、専業主婦として毎日家にいさせられていた。 正直、こちらとしてはせっかく大学を卒業したのだから何処か有名な企業に就職したかったのに、どうやら彼は猛反対みたい。 相変わらず彼は勝手なところがあるけれど、でも、優しいところも知っているから、なんだかんだで私は今幸せだと思う。 「みょうじって変わってるよね」 社会人になってもガムを食べては膨らませる癖が抜けない原くんがしみじみそう言ってくる。 瀬戸くんは他所の家のソファにもかかわらず相変わらず爆睡し、古橋くんも我が家かと思うぐらい寛ぎながらテレビを見ていた。 その好き勝手しているかつてのチームメイト達を複雑そうに山崎くんが見守っている。 「私が?どうして?」 原くんの言葉の意図が分からず私は首を傾げる。 すると、古橋くんがテレビに視線を向けたまま口を挟んできた。 「花宮と結婚した時点で変わってるから」 その言葉に私は苦笑いを浮かべてしまう。 確かに、その理屈は否定できない。 真面目な優等生の姿である表面上の彼しか知らない友人達はみんな口を揃えて羨ましいと言うけれど、彼の非道な内面を知っているこのチームメイト達には到底理解できないようだ。 「でもさ、案外お似合いなんじゃねえの?花宮とみょうじって。ほら、花宮なんて付き合う前からみょうじにべったりだったし」 山崎くんの意外な言葉に私は笑ってしまう。 まさか、彼が私にべったりだなんてありえない。 ましてや付き合う前からだなんて尚更だ。 あの頃の彼はことあるごとに私にきつい言葉を向けていたのだから。 「そもそも、みょうじは鈍いからなぁ」 パチンと風船を割ってからまた噛むを続けている原くんがおかしそうに笑う。 その笑い声が煩かったのか、瀬戸くんがソファから落ちない程度に器用に寝返りをうっていた。 「あれは誰が見ても花宮は間違いなくみょうじに惚れていたよ」 古橋くんがまたテレビを見ながら口を挟んでくる。 みんな、何を言っているのだろうか。 人をからかうのもいいかげんにしてほしい。 そんな私を他所に、みんな懐かしそうに彼の当時の行動を思い出し始めた。 高校に入学して、バスケ部のマネージャーになったばかりの頃のこと。 ちょうどその頃には彼の知りたくない内面を知り、少し複雑な思いを抱えていた頃でもあった。 「まだ終わらねえのかよ、バァカ」 「ごめんね、あと少しだけ」 練習後、みんなが体育館の床のモップがけを始め、上級生達は帰り支度をしているにもかかわらず私は自分の仕事がまだ残っていた。 結局、仕事の遅い私を残してみんなは先に帰ることになったのだが、彼だけは私と最後まで一緒に残っていた。 彼曰く、顧問に体育館の鍵をしめるように言いつけられていたので仕方なく私を待っていたとか。 他にも怒られたことがたくさんある。 私が作るドリンクはまずいので、彼が自ら作ると言い出したし、個人練習の時に体育館の中に散らかってしまっているボールを片付けようとすれば、邪魔だから触るな、と何度も言われてしまっていた。 当時の私は、みんなの役に立てないことにすごく悔いていたのを覚えている。 それは今思い出しても悔しいことに変わりなかった。 みんなが懐かしんでいるところに私は当時を思い出し、彼が私に惚れていただなんてありえないと再度確信する。 しかし、私の話を聞いていたみんなは同時に笑い出してしまった。 「花宮も素直じゃないよね」 古橋くんの言葉に原くんが何度も頷く。 意味が分からない私に山崎くんがおかしそうに笑い続けながらも口を開いた。 「花宮は別に戸締りの責任者でもなかったよ」 私が驚いて声にならない言葉を発せば、今度は原くんが言葉を続けた。 あっ、瀬戸くんがまた寝返りをうっている。 「あれは花宮が勝手にやっていたことだから。ほら、練習後にみょうじ一人で暗い道を歩かせると危ないじゃん。みょうじも女の子だし。それと、みょうじの作るドリンクは普通にうまかったよ。だけど、部員全員分作ると相当な量になるだろ?だから、みょうじに運ばせたくなくて花宮が代わりに作って配ってたんだよ」 「じゃあ、ボールは?」 みんなの言っていることが信じられなくて違う質問をしてみる。 すると、古橋くんが呆れたように答えてくれた。 「迂闊にボールを拾って歩いていると、別のボールがゴールに弾かれて飛んでくることもある。ようするに、花宮はみょうじに怪我をさせたくなかったんだよ」 私の知らなかった事実を知り、どういう反応をしていいのか分からない。 ずっと彼に守られていたことを知らなくて悔しく思うし、でも、私の知らないところで彼に大切にされていたと思うと正直嬉しかった。 「花宮は確かに口は悪いけど、根はみょうじのことめちゃくちゃ好きなんだよ、だから許してやって」 原くんが笑って言えば、みんなも同意したように笑う。 みんなに思われている彼も、その彼に想われている私も本当に幸せ者だと思った。 「許すも何も、私は今もこれからも花宮くんのこと好きだもん」 自分で言ってなんだか恥ずかしい。 ちょうどその時に玄関の扉が開かれ、こちらに向かって足音が響き渡る。 すると、リビングの扉が開かれて不機嫌そうな表情を浮かべた彼が部屋の中にいる面々を見回した。 「おまえら、勝手に家に来るなって言っただろうが。それになまえ、おまえはこいつらの相手してねえで俺が帰ってきたら出迎えろよ」 「ごめんね、花宮くん。おかえりなさい」 私がソファから立ち上がろうとすれば彼にまた座るようにソファに戻される。 それから彼は私の隣に座りながらネクタイを緩めて一息つく。 今日も彼はお疲れのようだ。 「花宮くん、コーヒーでも飲む?」 「いらねえ。それよりも、その呼び方いいかげんやめろよ。もう結婚して何年だと思ってるんだよ、バァカ」 「ごめんね、癖でなかなか抜けなくて」 「ったく、おまえも花宮だっての」 疲れたように溜息を吐く彼に私は軽く笑ってから立ち上がろうとすれば再び引き止められる。 それから彼はみんなに視線を向けながら言い放った。 「おまえら、笑ってねえで茶でも淹れろ。まさか俺がいない間になまえにやらせたわけじゃねえよな?」 「お茶だったら私が淹れるよ」 「おまえはいいから座ってろ」 みんながおかしそうに笑いながら同時にソファから立ち上がる。 他所の家にもかかわらず何処に何があるのか熟知しているみんなにとってお茶を淹れるだなんてどうってことはない。 それよりも、問題は彼だ。 彼は私に対して過保護すぎると思う。 「私も手伝ってきてもいい?」 「妊婦は黙って座ってろ」 「妊婦だって適度に動かないと身体によくないんだよ?」 「流産でもされればこっちが迷惑なんだよ、バァカ」 全く聞く耳を持たない彼を見つめながらも私は先程の原くん達の言葉を思い出す。 きっと、これも彼なりの愛情なのだろう。 「何笑ってんだよ?」 「ううん、なんでもないの」 彼の肩にトンと音を立てて頭を乗せれば彼にまた憎まれ口を叩かれる。 でも、言葉のわりに私の肩にまわされる腕が優しかったから、私は調子に乗って彼の名前を呼んだ。 「真さん、大好きよ」 みんなが見ていないのを確認してからいつかのように私の額に彼の唇が押し当てられる。 ふわり、と彼のシャンプーの香りが鼻を掠めた。 まるで、始めて私に触れたあの頃と同じようで、懐かしく思う。 ようするに、私も彼にベタ惚れなの。 懐かしい香り 捻くれた愛情表現の裏に隠れた想いを彼女だけが知っていればいい。 優しくないようで優しい、そんなふうな彼と彼女の関係性がずっと続きますように。 |