何度罵倒しただろうか、何度言葉の刃で傷つけただろうか、もう数えきれないほどであることは確かだった。 それでも、彼女は嫌な顔一つせずに俺の隣にいつもいる。 もしも彼女が俺の隣からいなくなる日が来るのなら、その時の俺は彼女に対してどんな顔をするのだろうか。 今は何を考えても分からない、それしか答えが出てこない。 「あんなの、卑怯だ」 試合後、ラフプレーで使い物にならなくなった選手の一人が俺達に憎悪の視線を向ける。 そんな視線を向けられたとしても俺にとってはどうってことはない。 負け犬の遠吠え、その程度の認識でしかないのだから。 ふと、俺の隣にいる彼女に視線を向ければ、憎悪剥き出しの視線をただ黙って受け止めている。 長い睫毛の下に影を作り、無表情に相手を見つめる姿に身震いがした。 結局彼女も俺達霧崎第一高校バスケ部の一員でしかないということだろう。 しかし、俺にしてみれば彼女の様子に満足していない。 「みょうじ、おまえも俺達が卑怯だと思ってるのか?」 我ながら意地の悪い質問だと思う。 普通の女だったら大きな瞳に涙を浮かべ、俺に向かって軽蔑の言葉一つでも投げてよこすはずだ。 しかし、彼女は目を細めて柔らかい微笑みを俺に向ける。 それから決まってこう言うのだ。 「卑怯だなんて思わないよ。だって、花宮くんが決めたことだもん」 彼女は俺のことを絶対に否定しない。 寧ろ、受け入れている、こんな俺のことを。 それなのに、俺は納得がいかなかった。 何故だろうか。 ああ、そうか、俺は彼女が壊れる姿が見たいからこんな気持ちになるんだ。 「ふはっ!いつまで続くんだろうな、このいい子ちゃんごっこ」 吐き捨てるようにそう言えば、彼女は微笑みを崩すことなく口を開いた。 「私はいい子ちゃんでもないよ」 何故涙を流さないのだろうか。 何故絶望的な表情を見せないのだろうか。 結局俺はまた彼女を傷つける言葉を帰る直前まで言い続ける。 それでも、彼女は何も言わない。 次の日のことだった。 朝のホームルームの時に彼女がいないことに気付く。 今まで何を言われてもきちんと学校に来ていた彼女が急に来なくなった。 とうとう精神的苦痛に耐えられなくなったのだろうか。 勝手に勝利を確信した俺は笑いが止まらなかった。 それから数日がすぎても彼女は学校に顔を出さず、しかも連絡も取れない。 すると、俺は無性に胸騒ぎが止まらなくなってしまった。 「花宮、最近おかしくね?」 原にそう言われ、否定しようと口を開いても言葉が出てこない。 目の前にいる人物が原ではなく彼女に見える俺は本当にどうかしていると思う。 「あいつ、何やってんだよ、バァカ」 誰に言うでもなく自然と口にした言葉に原が納得した表情を見せる。 それから一度部室に行き、また戻って来たかと思ったら俺に鞄を押しつけてきた。 「さっさと行ってくれば?」 「は?どこに?」 「みょうじのところに決まってんじゃん」 その名前を聞いただけで落ちつかなくなる。 脳裏に過るのは彼女の柔らかい微笑みだけだった。 「みょうじ、泣いてるかもしれないよ」 今度は古橋がそんなことを言ってくる。 なんで俺がそんなことを気にしなければならないのか、反論の言葉だけが浮かぶ。 それなのに、身体だけは無意識に走り出していた。 彼女の家のインターフォンを何度も鳴らす。 しかし、玄関の扉が開かれることはなかった。 そんなことで俺が諦める性分ではない。 彼女の家の裏庭に勝手に侵入し、一階にある彼女の部屋の窓に手をかける。 幸い、鍵がかかっていなく、庭に靴を脱ぎ捨ててから彼女の部屋にあがりこんでやった。 「花宮くん…?」 突然の窓からの侵入者に驚いているのか、彼女の目が大きく開かれる。 ベッドから身体を起こして座る彼女の顔を両手で包みこんでから覗いた。 涙のあとはなく、泣いた形跡はない。 顔色が少し悪いが、何かに絶望したような表情ではなかった。 「なんで学校に来ねえんだよ?」 一瞬だけ彼女はキョトンとした表情を浮かべたがすぐにああ、と思い出したように口を開いた。 「花宮くんには連絡してなかったね、ごめん。ちょっと風邪こじらせちゃって」 困ったように微笑む彼女に脱力する。 そこで俺はハタ、と気付く。 別に俺は彼女の絶望した表情を見たかっただけなのに、何故彼女が泣いていなかったことにこんなに安心しているのだろう、と。 「あのね、花宮くん……離して?」 彼女が恥ずかしそうに俺を見つめてくる。 確かに、俺に顔をがっちりと掴まれていれば誰だって反応に困るだろう。 「紛らわしいことしてんじゃねえよ、バァカ」 彼女の顔から手を離せば、彼女はまた不思議そうな表情を浮かべて俺を見つめてくる。 その視線が無性に恥ずかしくなって彼女の目を俺の手で覆った。 「こっち見んな。つか、誰にも連絡よこさねえでふざけてんのか?」 「だからごめんって。……でも、原くん達に伝えるように頼んだのだけど」 突然のカミングアウトに俺の思考が追いつかない。 原達って、どういうことだ。 俺が間の抜けた声を発せば、彼女が申し訳なさそうに説明を始めた。 「あまりにも体調が悪くて誰にも連絡ができなくて、その時に原くん達から大丈夫か、って連絡をくれたの。それで、風邪こじらせちゃったから学校休むことを伝えたんだ。……ごめんね、花宮くんには伝わってなかったんだね」 その瞬間、俺は原達を恨んだ。 あいつら、わざと俺のことを嵌めやがったな。 でも、彼女が無事でほっとしたから、今回は大目に見てやろうと思う。 「さっさと治せよ、マネージャーがいねえと俺達の負担がはんぱねえんだよ」 「うん、頑張って治すね」 彼女がいつものように柔らかい微笑みを浮かべる。 なんだかその表情が無性にかわいく感じて、俺は柄にもなく彼女の額に自分の唇を押し当ててしまった。 「はっ、花宮くん?」 「うるせえ、バァカ」 俺を呼ぶ彼女の声を聞こえないふりをして、俺は逃げるように彼女の部屋の窓から裏庭に飛び出した。 ドクン、ドクン、と心臓の音がやけに煩い。 彼女の真っ赤に染まった顔が頭の中に残っている。 ああ、そういうことか。 俺の彼女に対する捻くれた行動は愛情表現の裏返しだったのか。 なんだか、ガキみたいな自分に自然と笑いがこみあげてくる。 俺は彼女に俺だけを見てほしかったんだ。 数日後、彼女が回復して学校に来るようになった。 今日も彼女は柔らかく笑っている。 対する俺は、彼女の隣をキープしていた。 誰かが彼女に近づくたびにそいつを排除し、彼女の傍に近寄らせない。 時折冷たい言葉を向けてしまうが、身体は彼女に優しく接していた。 そんな俺を見て原達が笑っている。 腹が立つが、今はそんなことよりも彼女を手放したくなかった。 ようするに、彼女は俺だけのもの。 優しくない繋がり方 捻くれた愛情表現の裏に隠れた想いは彼女だけにしか知られていない。 優しくないようで優しい、そんなふうな彼女と彼の関係性。 |