第19回 | ナノ
「わっ、わわわ私と一緒に夏祭りに行きませんか!」
 しまった。声が裏返ったしやたら早口になってしまったしもっといいタイミングがあったんじゃ、なんて後悔したのはその言葉が口から出てしまったあとだった。ジャージに着替えて今まさに部活へ向かおうとしていた影山くんは、いきなり私に呼び止められて目を丸くし固まっていた。沈黙が重い。もうどうすることもできない。でも、今言わなかったらきっとこの先ずっと言えないんじゃないかと思ったんだ。
「……は?」
「い、いや、あのね!こ、今度近くで夏祭りあるでしょ!?そ、その日空いてたら、影山くんと一緒に、い、行きたいなあと、思って……」
 我ながら、言っていることがめちゃくちゃだ。ただのクラスメイトでしかない私がいきなり一緒にお祭りに行こう、だなんて。絶対ドン引きされるに決まってる。今すぐここから消えてなくなってしまいたい。影山くんはいっそのこと何も聞かなかったフリをして去っていってほしい。いったいどんな言葉が返ってくるんだろうと身構えていると、その返事はポツリと落とされた。
「……別にいいけど」







「どうしようトモちゃん緊張して手の震えが止まらないよついでに手汗も」
「うわ何それ最悪」
「わ、私どこも変じゃない?おかしくない?」
「だから変じゃないってば。浴衣も似合ってるしこりゃ影山くんも惚れちゃうかもね〜」
「いやいやいやそんな」
「ていうかもう待ち合わせの時間じゃない?私そろそろ行くから。まあ頑張んなさいよ!」
 トモちゃんに背中をバシンと叩かれ、とうとうこの時がやってきてしまったのだということをひしひしと実感する。ちなみにトモちゃんと言うのは私の友達で、影山くんをお祭りに誘うことを後押ししてくれた頼れる子だ。そんなトモちゃんも彼氏と待ち合わせがあるらしく、私は比較的人の少なめな神社に一人ぽつんととり残される。
(影山くん、本当に来てくれるのかな)
 時間も集合場所もちゃんと伝えたし、大丈夫なはず、だけれど。既に待ち合わせ時間は10分ほど過ぎている。まさか、すっぽかされたりしないよね。誰がお前なんかと一緒に祭りなんか行くかよ、みたいな。どんどんネガティブな考えばかりが浮かんできて今にも泣いてしまいそうだ。でも泣いたらメイクが落ちてしまうから泣いちゃダメだ。涙腺をぐっと引き締め、辺りを注意深くきょろきょろ見回していると、こちらへ走って向かってくる影が一つ見えた。
 影山くんだ。よかった、来てくれた。たったそれだけでもう飛び回りたくなるぐらいには嬉しかった。鼓動が早くなっていくのを感じながら、影山くんに小さく手を振った。私に気づいた影山くんはそのまま私のところへ向かって走ってくる──、
「えっ」
 ──かと思いきや、私を華麗にスルーし、しばらく行ったところできょろきょろと忙しなく首を動かしていた。私に気付いていないのだろうか。分かりやすいようにちょうど神社の門の前に立っていたのに、影山くんはこちらに一度も目を向けることなく素通りしていったけれど。まさか、影山くんの中での私の存在は少し会わないだけで顔を忘れてしまうほどのちっぽけなものだったのか。かなりショックだ。でも、落ち込んでばかりもいられない。未だこちらに気付かない影山くんに、私は後ろからポンと肩を叩いて声をかけた。
「か、影山くん。こんばんは」
「っえ!?」
 予想通りの反応だ。やっぱり気付いていなかったらしい。
「さっき、門のところに立ってたんだけど……気付かなかったんだね」
「……え、あれお前だったのか」
 影山くんは私をじっと見つめて独り言のように呟いた。お前だったのか、とはどういうことだろうか。
「なんかいつもと違ったから、お前だって分かんなかった」
 ああ、なるほど。今日は制服じゃなくて浴衣だし、顔もほんの少し化粧をしているからちょっと違って見えたのかもしれない、と私は納得する。影山くんは私に一部始終を見られていたのが恥ずかしいのか、少し顔を赤くして頭を掻いていた。なんだかちょっとだけかわいいかもしれない。勇気を出して誘ってみてよかった、と心の中でガッツポーズをして顔を上げると、影山くんはまだ私をじっと見つめていた。
「…………それ」
「え?」
「割と似合ってる」
 それ、とは多分浴衣のことだろう。あまりに唐突すぎる言葉に声も出ない。うるさくしすぎてごめんねと謝りたくなるぐらいに心臓が騒がしくて、どうにかなってしまいそうだった。「あ、ありがとう」となんとか出した言葉はざわめく人の声でかき消されてしまうぐらい小さくてか細いものだった。トモちゃんの言われるがままに新しい浴衣を買ったのは、どうやら成功だったらしい。
「…………そろそろ行くか」
 沈黙を破るようにそう切り出した影山くんの表情は、暗がりにいるせいでよく見えなかった。
 私は頷いて、影山くんの後ろをついて歩いていく。出店がずらりと並ぶ道には、この町の人をすべて集めたような大勢の人で溢れていた。美味しそうな香ばしい匂いに、神楽の笛や太鼓の音。電力装置のうなるような重低音。子供のはしゃぐ声。群れをなして泳ぐ小魚のような溢れんばかりの自転車。子供の頃から変わらない夏祭りの風景。だけど一つだけ違うのは、隣に影山くんがいることだ。
 私はりんご飴を、影山くんはたこ焼きをそれぞれ購入し、花火を見るために土手に向かった。そこにはもう何人か席を取っている人たちがいて、その多くは男女二人、つまりカップルであった。
(私たちもカップルに見えたりとかするのかな)
 影山くんと二人、肩を並べて座って、花火を見る。こんな絶好のシチュエーションだからこそついそんなふうに浮かれた考えが浮かんできてしまう。ちらりと影山くんを盗み見ると、そんな私とは裏腹に、夢中でたこ焼きを頬張っていた。ムードもへったくれもあったものじゃない。別にいいけど、いいんだけど。影山くんは緊張とかしないんだな。そりゃあ相手は私だし、当たり前だよね、なんて少しヘコむ。
 何はともあれ、花火が始まるまではまだ少し時間がある。このまま無言でかき氷とたこ焼きを食べているだけでは、せっかくの雰囲気が台無しだ。何か話題を、と思考をめぐらせて、私は影山くんのことをほとんどなにも知らないんだなあと痛感した。知っていることといえば、一つしかない。
「かっ、影山くん。……最近、部活、どう?」
 部活のこと。バレーのこと。私が影山くんのことで知っていることは、それぐらいだ。
「あー……インターハイ、予選で負けた」
「えっ。……ご、ごめん」
「別に謝ることじゃねーだろ。……悔しかったけど、でも、学べるモンはたくさんあったし……それに、俺たちはまだまだ強くなれる。つーか、なる。だから次は絶対負けねぇ。それに三年の先輩もまだ引退しないで一緒にバレーしてくれるんだ。今度東京で合宿もあるからそこでぜってー日向と……」
『長らくお待たせ致しました!それではこれより、夏祭りフィナーレ、皆様お待ちかねの打ち上げ花火です!どうぞお楽しみください!』
 ちょうど大音量でアナウンスがかかり、熱を入れて話していた影山くんはばつが悪そうに口をつぐんだ。喋りすぎたのが照れくさいのか、あからさまに私から視線を逸らし、空をあおぎ見た。いくつもの綺麗な花火が、真っ暗な夜空を照らし始める。だけど私はいつまでも影山くんの横顔から目を離せずにいた。
(……まぶしいな)
 花火よりもずっとずっと、眩しくて、きらきらしていて、かっこいい。さっきバレーのことを話している影山くんの表情のほうが、花火なんかより、ずっと素敵だった。私もあんなふうにきらきらしたい。もっと近くで影山くんを見ていたい。誰よりも一番影山くんの傍で影山くんを応援していたい。影山くんのとなりに、いたい。
「……好き」
 いつもは遠くて届かない声。だけど、今、こうして声が届くところで、例えばそんな気持ちを伝えることができるなら。自然と口から溢れだした言葉で改めて感じた。ああ、そっか、私はやっぱり好きなんだ。影山くんのことが、好きなんだ。じんわりと胸に広がるあたたかい気持ち。少しだけ苦しいこれは、どうしたって恋に違いない。
「……え?」
「私、影山くんが、好きです」
 はっきり言葉にしたら、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。急に心臓の鼓動が早く鳴り出し、顔に熱が上ってくる奇妙な感覚。影山くんは私をじっと見つめて、頭の中で必死に今の状況を理解しようとしているようだ。
「…………な……」
 絶句している。土手の真ん中、互いに真っ赤になって向かい合っている様はここが夏祭り会場でなかったらさぞ奇妙に映るだろうと、頭の片隅で理性的に考えながら、渇いたのどに唾を飲みこんだ。鼓動が激しい。息が詰まる。どうしてこんなこと、急に言っちゃったんだろう。今このタイミングで、いきなり。言うつもりなんかなかったのに。何も言えずに黙り込んでいると、沈黙に耐えきれなかったのか、影山くんが口火を切った。
「あー…あれだ、その……俺、そういうの、よく分かんねえ、けど」
 影山くんは、視線を花火へ戻し、首を掻きながら言った。
「お前のこともっと知りたいって、思う」
 何も知らねーから。影山くんがくれた言葉は、私が先ほど考えていたことと同じだった。私も知りたいのだ、影山くんのことが。知らないから、知りたいと思う。そんな気持ち、てっきり私の一方的だと思っていたけれど、影山くんも少しは同じ気持ちを私に向けてくれているのかもしれない。そう思ったら胸がいっぱいになった。気を緩めたら、泣いてしまいそうなぐらいに。
「……それじゃ駄目か」
 影山くんなりに、精一杯私の気持ちに応えようとしてくれている。それだけで、何が駄目だと言うんだろう。
「っ……ううん。ダメじゃ、ない。すごく、うれしい」
 ありがとう。そう呟いた途端、とうとう涙が出そうになったから、どうにかして止めようと空を見上げた。ドーン、パアンと音を立ててまだいくつもの花火が上がっている。思わず手を伸ばして、指で空を掻いた。何だか、手に届きそうなくらい、空が近い。それに、花火ってこんなに綺麗なものだったっけ。「きれいだね」「…おう」そんな言葉を交わして、どちらからそうしたとかではなく、あまりにも自然すぎるぐらい自然に私たちは二人手を繋いでいた。そしていつまでも、まぶしい夏の空を見上げていた。
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