※現代パロ/年齢操作 ※本作品は喫煙を美化しているわけではありません、また未成年者の喫煙は法律で禁じられています 私が付き合っていた男は筋金入りの喫煙者の癖して、出先で使ったタクシーの中に、一見で入った飲み屋のカウンターの上に、喫煙所のスモークテーブルにと無造作にライターを取り溢しては失くしてきた。元々使い捨ての100円ライター派だったせいか、落としても痛くないと高を括っていたのかもしれない。けれど反面、使いたい時に手元にない、と言うのはかなり痛手に感じていたらしい。何がどうしてそういう結論を導き出すに至ったかはしれないけれど、二人で迎える何回目かの私の誕生日に、その男は私には全く必要のないライター(無駄に洒落てる)をプレゼントしてこう言ってのけたのだ。“いつでも俺が使える様にカバンの中に入れておくように”と。子供の様にニカッと笑い、名案に違いないと言う顔をして。 そしてそんな身勝手な男が、ただの恋人から婚約者になってしまったわけで。 けれど間違いなく、私はそんな身勝手で我儘で私を振り回してばかりの男が好きだった。 *** 三郎は、自由な人だった。 目的があれば時間も場所も関係なく飛び出し、数か月に渡り音沙汰もなくバックパック一つで放浪していたなんてことは珍しくも無かった。食べたいものを食べ、寝たい時に寝て、遊びたい時は糸が切れるまで、何事も自分の気の進むまま気の済むまでやり通す、そしてそれを当然のものとして他人に見せつけるような人だった。そんな相手のどこに凡人代表の私が引っ掛かったのか、こればかりは何年一緒に過ごしてもわからない。三郎の琴線に触れるものが一体何なのかということは、引っ掛かった私自身が最大の謎、という点から理解することは諦めた。 長い間近くで見ていたからわかる。三郎は型にはまらない、とても自由に生きていた人だったし、それがとても自然で似合っていた。 「ただいま、なまえ。」 「おかえり、三郎。」 少なくとも、私と婚約するまでは。 「体調はどうだ?先にメシ食ったよな?」 「大丈夫だよ、先にごはんは食べました。三郎の食事も直ぐ用意するね。」 「薬は?ちゃんと飲んだか?」 「飲んだよ。」 「食後に飲むやつは?」 「もー!大人に対して過保護過ぎない?」 「お前の身体の事なんだから過保護にもなるだろーが。」 元々、私は物凄く健康体と言うタイプではなかった。虚弱体質と言えば一言で片付くけれど、子供の頃から病気と友達みたいなところがあって、喘息の治療のために数か月入院していたこともあったし、風邪がいつの間にか肺炎に、ということも割と多かったし、毎シーズンインフルエンザとは強制的に親しくなっていた。 「明日病院だろ?朝、会社に行く前に車で送ってく。」 「いいよー、会社とは反対方向でしょ?駅だって歩いて1分のとこにあるから。」 「俺がしたいの。」 それでも健康のためにとずっと続けていた水泳やらウォーキングやらが効いたのか、大人になるにつれて、身体はずっと丈夫になっていった。大学のサークルでワンダーフォーゲルを選ぶ程度には。そしてそこで自由人の看板をほしいままにしていた二つ上の鉢屋先輩と出会うくらいには。 「そうだ、これ土産な。」 「ほんとに、気にしなくていいのに…三郎、忙しいでしょう?」 「俺は、今の会社に乞われて入ってやったわけ。その時点でアドバンテージはこっちにあるだろ?フリーでも問題なかったけど、提示された待遇がかなり良かったからな。仕事内容は今までやってきたこととな〜んも変わんない上に、面倒な事務作業とかやんないで済む分、むしろラクしてるわけよ。」 「うん…そっか。そっかそっか。」 「だから何の問題もない!!じゃ、俺着替えてくるわ。それ、開けて見とけよ〜」 去年の冬の事だった。休日に、三郎のオフィス兼住居でいつも通り二人でコーヒーを飲んでいた。相変わらず美味しそうに煙草吸うねぇ、と私は“私のライター”をカチカチといじりながら、三郎が手に取った何本目かの煙草を見ていた。うん、ウマい。三郎がそう答えるのもいつものことだった。世間的には歓迎されていないけど、彼はマナー違反にはきちんと気を付けていたし、出会う前からヘビースモーカーだった彼の喫煙を止めることを私は早々に諦めていた。そして恋人が愛飲しているせいか、私は煙草に嫌悪感なんてものは抱いていなかった。 「お土産、なんだろう。」 唐突に、息苦しさを感じた。当たり前のようにスー、ハー、と呼吸をしているはずなのに空気を掴めずにいた。口呼吸にしても、息苦しさは全く取り除かれなかった。それどころか、何度呼吸を繰り返しても生きるのに必要な空気をとりこめず、私の元にはまるで海で溺れて必死に空気を吸おうともがいているような、そんな苦しさが迫ってきた。なまえ?と不思議そうな顔をした彼の姿は今でも思い出せる。息が出来ない、苦しい、三郎、助けて、と喘ぎながら椅子から転げ落ちたことも覚えている。そして私の肩を揺らしながら、私の名前を呼びながら、泣きそうになっていた彼を、私は今も忘れることが出来ない。 「…これ、って、」 診断結果はなんてことはない、肺気胸だった。人気のアイドルや若手俳優、バンドのボーカルが罹ったことがあったせいか、病名だけは知っていた。まぁ治療すれば大丈夫だろう、今までだって色々病気したけどなんとかなってきたし。病気慣れというと言葉は悪いが、そこまで私は深刻に捉えていなかった。三郎も、診察室で説明を一緒に聞いた時は、私と同じ程度に捉えているんだろうと思っていた。実際、その時はそうだったと思う。けれど私は、その後も同じ症状を度々繰り返すことになった。それ以降の彼の落ち込みようは、酷かった。苦しむ私の側で毅然と対応はするものの、私が荒い呼吸を繰り返す度、まるで私以上に苦しんでいるようだった。そして結局、開胸手術を行うと主治医から宣告された時、すんなり受け入れた私と違い、彼は手術をしない限り治らないとは理解しながらも、どうして、という言葉を呑み込むことが出来なかったようだった。なんで、なまえの身体に刃物なんか、 「三郎…これって、」 「開けてみたか?ほら、ボーっとしてないでつけて見せろよ。」 手術も無事に終わり、術後経過も良好。退院を迎えて二人で住んでいた部屋へ三郎に連れられて向かっていた私は、直ぐにその違和感に気が付いた。どこへ行くんだろう?この道は、彼の部屋へ行く時には使わないはずだ。ねぇ三郎、どこに行くの?そう私が不安気に聞いても彼は笑って、着いてからのお楽しみ〜と答えるばかりだった。 「なまえはさ、婚約指輪なんていらないって言ってたけど、俺がどうしても贈りたかったんだよな〜。」 真新しい高層マンション、そしてその一室に私は三郎に手を引かれて入った。置いてある家具も、掛けられたカーテンも、何もかも、見たことが無かった。まるで新築のモデルハウスに来たような、私にとってはテレビや雑誌の中にしか存在しないような場所だった。 『あの部屋、処分したんだ。』 もう二度と、煙草は吸わない。なまえのことを、なまえの身体を、一番に考える。だから頼むから、離れたりしないでくれ。別れるなんて言わないでくれ。 あの時も今も、私は三郎に何かを捨てさせることも、多くを望むこともしなかった。でも、私がそう思っていないだけで、ただ私が三郎の側にいるだけで、彼はそう選択せずにはいられなかったのかもしれない。彼は自分を責めていた。何度も、三郎の煙草が原因なんじゃない、三郎が自分のせいだなんて思う必要はないんだから、と訴えてもダメだった。大した傷じゃなかった。それでも確かに私に残ってしまった手術痕を見て、彼は私を抱き締めながら泣いていた。けれど私に対して負い目を感じる必要なんて、彼にはなかった。 『この部屋なら、今の俺なら、なまえのことを守れる。ずっと大事に出来る。次こそ、絶対に間違わない。』 私が入院している間に、彼は度々誘いを受けていた大手の広告会社へ入ることを決めていた。福利厚生が手厚く、今時静養地に保養所まで所有しているんだと、嬉しそうに教えてくれた。今まではフリーだったから仕事もプライベートもやりたいように一緒くたにしてきたけど、今度からはきっかり週休二日制だし、有休も年休も取得出来る。なまえの体調が悪い時にも病院付き添えるな〜そう晴れやかに説明する彼を見ながら、私はただただ悲しかった。今までだってずっと、私は楽しかったのに。どうして間違ってたなんて、全部切り捨てるの。 『会社は来月からだから、これから10日は休みだー!!なまえも当分会社へは病気治療で休暇中だし、どこか近場の温泉でも行くか?今まで忙しかったり、俺がやりたいようにやってばかりでなまえに構えてなかったもんなぁ。よし、温泉行こう、温泉!ゆっくり身体休めてさ、美味いもん食って二人でのんびりしようぜ。二人で、二人でさ、いたのにな。俺がお前のこと近くに引き留めたのにな。あんな部屋で同棲しようって、言い出したのも俺だったな。俺がお前のこともっとちゃんと見てれば良かったんだよな、ごめん。ごめんな、ごめんなぁ…!!』 どうして、側にいたいって思ってたのがまるで自分だけみたいに言うの?一緒に暮らしたいねって、それは、ずっと二人で言ってきたことだったのに。 『だけど、今度こそ幸せにするから大事にするから、だから、俺と結婚して下さい。』 それでも、そう言ってくれた今の三郎を、否定することなんて私には出来なかった。 「やっぱり指輪がなくっちゃ始まらないよなぁ。結婚指輪は左手の薬指だから…よし、右手出せ出せ。俺にはめさせてよ。」 「…うん。」 どうして私はこの重みを、幸せなものと思えないんだろう。でも、私が三郎に大事にされていくのと反比例して、私の自由だった恋人が不自由に変わっていくのを止められないの。結婚が重たいとは思わないの?って聞けば、彼は責任感が心地良いっていう。私のことを大事にしなきゃって、そう思うだけで元気が出るって。でも私にはそれが怖い。いつか左手の薬指が重いと感じる日が、彼に訪れるんじゃないかって。それだけが今から怖くてしょうがない。だって彼は本来、とても自由な人だから。 「やっぱりなまえに似合うと思ったんだよな〜俺ってばさすがのセンス!!」 「ありがと、三郎。」 「んー…反対側にも指輪はめる日が早く来るといいな。」 「、うん。」 「よし!明日もキリキリ働いてくるわ!そのためにも燃料補給ってことで、今日の夕飯は何ですか〜?」 「ちょっと待っててね、今温め直してるとこだから。」 新しい重みを感じながら、私は一人、キッチンに戻る。三郎の、料理をベタ褒めする声が聞こえて、当たり障りなく私も応える。 涙を堪えながら、エプロンのポケットに入れておいたライターに触れた。今はもう、使われることのない、“私のライター”に触れた。カチカチカチ、と金属が震える音がどこか遠くで聞こえてくる。屈託なく笑う三郎が目の前にいた。美味しそうに吸うねぇ、うん、ウマい。彼の目の前で笑う私の胸に、傷痕はなかった。 今はまだないはずのその重みが、左手の薬指を軋ませる音がした。 |