普段の船長室はインクのにおいと本のにおいで満たされているが、今日に限って甘ったるいにおいに支配されていた。 ローは医学書から目を離して、隣にいるなまえを恨みがましいそれで見やった。 というのも、彼女こそが甘ったるいにおいの元凶だからだ。 ローはまじまじとなまえを見た。 なまえの手にはフォークがあった。ローテーブルには生クリームとイチゴがたっぷりのショートケーキの乗った小皿があり、フォークの先端で器用に掬い上げながら美味しそうに食べている。 においの元はこのケーキに間違いない。他に原因たるものはこの部屋にはないのだ。 彼女の話によれば、急にケーキが食べたくなったとかで、数時間前にコックにキッチンを借りて作ったらしい。 まあ、それは別として、作るのはいいが、食べている場所に問題があった。 ローは彼女が食堂か自室で食べるのなら特に気にしなかったし、気にも留めなかった。 だが、ローの私室である船長室で彼女が甘ったるいにおいを振り撒きながら、甘ったるいものを目の前で食べていることにいい加減我慢ならなくなった。 咀嚼音とにおいのせいで本に集中出来ないのだ。 「おい、なまえ」 「んー」 「ここで食うな」 「えー」 「甘ェにおいが部屋に移るだろ。食堂か自分の部屋で食ってこい」 彼女は再びケーキを掬って一口サイズのそれをパクリと頬張る。 「船長も食べてみない? 美味しいよ」 ローの忠告も虚しく彼女は素知らぬそれで笑っている。 都合の悪い台詞は聞かないのはいつものことだが、それに慣れているとはいえ苦言のひとつでも零したくなるのは当然の心理といえた。 「いらねェ」 「えー」 「おれはパンが嫌いだ」 「あはは。ケーキはパンじゃないよ」 「同じようなもんだろ」 「そうかなぁ」 言いながら、彼女はさりげない仕草で口の端についたクリームを舌先でペロリと舐め取った。 端から僅かに覗いたそれに性的なものを感じて、理性の脆さに愕然とするが、自分を見てにっこり微笑む姿に妙な色気を感じた。 誘ってんのか。そう勘違いしても可笑しくない雰囲気だった。 「……くだらねェ」 ぽつりと零して、彼女の肩を抱き寄せた。反動で彼女が手にしていたフォークが足下にがしゃりと落ちる。 「ぇ……、」 驚きを露わにしたなまえを視界に収めたまま、ローは噛みつくように彼女の唇を塞いだ。 鼻腔に甘ったるいにおいが広がる。キスをしたことでいっそう甘さが強まった気がした。 何もかもを奪うように口内を蹂躙すれば、彼女の唾液はケーキの甘さと彼女のにおいでぐちゃぐちゃに混じり、淫靡なものへと変わっていく。 これはこれで悪くねェかもなと心中で呟きながら満足するまで唇を吸い続けた。 ぴちゃぴちゃと舌を絡める音と吐息が混ざり合う音が室内に響く。 それを耳にしながら口内に溜まった唾液をごくりと飲んで唇を離すと、ソファに押し倒すように組み敷いていたなまえは解放されたことで安堵の息をつきながら必死に息を整えていた。 ローは目を細めて、口の端だけで笑った。オンナの顔をしている彼女を見ながらそっと口を開いた。 「これならいつでも食ってやる」 「っ」 「……どうだ?」 そう耳元と囁くと、彼女はわなわなと震えた。更に顔に血を昇らさせて、「こんなのちがうっ」と混乱気味に叫ぶ。 それを目にしたローは瞠目するが、瞬時に笑いが込み上げてきた。 オンナの顔はどこかへ隠れ、代わりに出てきたのは迷子の子供のような顔。ローは可笑しくて堪らなかった。 お前はきっといつまでもおれを飽きさせねェんだろうな。そう思いながらもう一度彼女の唇に吸い付いた。 |