第18回 | ナノ
 カチカチとボタンを押す音だけが部屋に響く、とても静かな午後のこと。いつものように研磨の部屋に勝手に上がって勝手に勉強机を占領する。いつもの事だから研磨もなにも言わない。ただ、少しだけ不服そうにぱちぱちとまつげを揺らした。ノックぐらい、しなよ。聞こえてきそうだけれど本当はしない彼の声に心のなかで謝ってから鞄の中をごそごそと漁る。やることはもちろん、勉強じゃなくてゲームである。布団の上で仰向けに寝転がりながらゲーム機を弄る研磨の目は真剣そのもので、なんだか少しだけ悲しくなった。研磨のその一番真剣な眼差しが、私に向けらたことは一度もない。



「孤爪くんって、何考えてるかわからないよね」

 ついさっきクラスの友達が私に投げ掛けた疑問をふと思い出した。研磨と私は同じクラスだけれど、学校ではあまり言葉を交わさない。というのも、研磨が嫌がるような気がするからだ。幼馴染みだから私達が下の名前で呼び会うのは至って当然だと思う。でも、それだけでクラスで冷やかしの対象になってしまうのだから極力お互いを避けるしかなかった。中学の頃から微妙な距離を取るようになってから、私は研磨の家に行く回数が増えた。理由は単純。学校で話せない代わりに、と研磨と過ごす時間を増やしたかったから。時々クロも交ざって三人で、なにをするでもなく一緒に居ることが私は好きだった。この部屋での時間はゆっくり流れていく。私達を急かすこともせず、咎めもしない。それでも、いつの間にか過ぎてしまう時は、残酷にも私達を大人へと育て上げた。

「研磨って、猫みたいだよね」
「よく言われる」
「研磨ー」
「なに」
「猫さーん」
「…」
「研磨ー」
「だから、なに」
「なんでもない」
「用がないなら呼ばないで」

 いつものように低めのテンションでぴしゃりと言ってのけた研磨に少し怯みそうになるかといえばそんなことは全くない。ふふん、怖い顔にしたって無駄だよ研磨。一体何年幼馴染みやってると思ってるのさ。なまえさんなめないでね。そんな事を思って研磨に顔を向けると飛んできたのはうるさいの一言。

「まだ何も言ってないよ」
「だいたいわかるよ、表情とかで」
「研磨わたしの方みてないじゃん」
 ねぇ、研磨。こっち見てよ。

 一瞬の間を置いてから研磨は体を起こしてベッドの淵に腰かけた。その後ちらりとこちらに一瞥をなげ、再び液晶画面に視線を戻した。足をぶらぶらと揺らしながらゲームに夢中になっている彼がなにを考えているのか私には全くわからない。なんだか無償に腹立たしくなって、衝動的に私は研磨からゲーム機を奪った。研磨は少し驚いたような表情で私を見て、すぐにゲーム機へと手を伸ばした。やはり、私に視線が向けられたのは一瞬だけだった。


"孤爪くんって、何考えてるかわからないよね"

 ぐるぐると頭のなかで回る声が、思考を掻き乱していく。研磨のポーカーフェイスにもバリエーションがあることを私は知っている。驚いた顔も、嬉しそうな顔も、怒った顔も、悲しそうな顔も。全部全部、物心ついた時から見てきたから知っている。なのに、


"孤爪くんって、何考えてるかわからないよね"

 その問に答えようとして、思わず言葉につまった。ううん、私はだいたいわかるよ。そう言おうとして躊躇った。私は一体、研磨の何を知っているのだろう。目も合わせてくれない彼の何が、私にわかるというのだろう。私が読んでいるのはあくまでも表情で、彼の思考までは読めない。私は、私が思っていた以上に、彼のことを知らなかった。


「返して」
「ねぇ、研磨」
「なに?」
「研磨は、なんで私と目を合わせてくれないの?」

 ぽかん、そんな擬音が似合いそうなほど不思議そうな研磨の顔を、私は今まで見たことがなかった。え?と間抜けな声が彼の口から洩れる。いつの間にか私へと戻されていた視線がぱっと部屋の隅に移された。伸ばしていた手を引っ込めて少しうつむき加減で彼はゆっくりと口を開いた。

「なまえが、おれのこと、嫌いになったと思ったから」
「はあ?」

 今度はこちらがぽかんとする番だった。拗ねたように口を尖らせながら、珍しく少し焦ったように彼は言葉を紡ぐ。

「学校で、おれのこと、無視するから。でも、家には遊びに来るし、おれを研磨って呼ぶし。なまえのことが、よくわかんなくて」

 だから、目を合わせちゃ、いけないような気がしてた。でも、

「その事を尋ねるってことは、なまえは、おれのこと、嫌いじゃないんだよね」

 不意に合わせられた目に心臓が高鳴った。どきどきとはやる鼓動に顔を赤いことを自覚させられる。耳まで熱くなってあわてて目を反らすけれど、研磨がそれを許してくれなかった。

「こっちを見て」

 そっと頬に添えられた手の優しさに私は戸惑いを隠せなかった。なにがどうなってるの?思考回路はショート寸前でちょっとでも気を抜けば研磨の瞳に吸い込まれそうだった。私の肩を掴んで研磨はゆっくりと私に顔を近づける。思わず持っていたゲーム機から手を離してしまった。ゴトンと大きな音がしても、研磨は目線をずらさなかった。ずっと私の瞳を覗き込んだまま、徐々に距離を詰められる。鼻と鼻が触れあいそうな距離で、研磨はゆっくりと目を閉じた。その後、何秒位たっただろうか、これまたゆっくりと瞼を持ち上げ、私をじっと見詰めてから研磨は不意に床に放置されたままだったゲーム機を拾い上げた。ベッドの淵で固まったままの私を余所に、研磨はついさっきまで私がいた勉強机に向かっていく。何事もなかったかのように私に背を向けて彼はゲームを再開させた。ううーと声にならない声をあげて私はベッドに仰向けになった。ぱたぱたと頬を軽く叩いてみるけれど、熱は当分引いてくれそうにない。

「ずるい。ずるいよ、研磨」
「ずるくない」
「だって、私が話しかけなかったのは、研磨に嫌われたくなかったからだよ」
「…」
「研磨は目立つの嫌だろうからって。だって、下の名前で呼んだりしたら、嫌でもクラスで話題にされるでしょう?」
「…ずるいのは、なまえの方じゃない」
「え?」
「なんでもない」
「え、」
「おれは猫だから、言葉にはしない。その代わり、さっきの意味、考えておいてね。だっておれは、猫なんでしょ?」
「え、なにが?」
「…わからないなら、いい」

 やはり、少し拗ねたように彼はこちらに背を向けたきりだ。ねぇ、と声をかけると少しの間の後、彼は顔だけで振り向いた。伏せられたまつげが影をつくって目の大きさが強調されている。わからなかったのは、私もだよ。でも、嫌われてなくて良かった。そんな気持ちを込めて微笑むと彼はぱちぱちと瞬きを数回繰り返した後、ぎゅっと目をつむってから再びこちらに背を向けた。彼の耳が少し赤いことを、この時の私は知るよしもない。彼の仕草の意味を知るのもまた、もうしばらく後のこと。
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