第18回 | ナノ
朝ご飯の食パンをかじっていたら携帯がピコピコなって笠松からのメッセージを知らせてくれた。内容は数日前に話していたテスト対策のまとめプリントを受け取りたいと言うことだった。いいよ、何時にする?と短く返信を送ればすぐに既読がついて私の都合のいい時間でいいと返事がきた。壁にかかっているアナログ時計を見ながらすこし考えてお昼過ぎが良いと言う旨を伝える。ずっと画面を開いているのかこれにもすぐに既読がついた。そこから数往復メッセージのやり取りをし、じゃあ駅前の喫茶店で、と締めくくった。
すっかり冷めてしまったトーストを完食して今日の予定を立て直す。立て直すと言ったってもともとやることなんて一つしかなかったからいつ家を出るかという確認だけだ。お昼を軽く食べて、そしたら家を出よう。忘れないように今、鞄に笠松に渡すプリントを入れておく。
そういえば、お昼で良いということは今日バスケ部の練習は無いのだろうか。
ふと浮かんだ考えをどうでもいいことだと頭の隅に追いやって机と向かい合う。今日の午前は英語。単語はたくさん覚えたはずなのに思うように点数が上がらなくて歯がゆい。視界の隅にとらえたカレンダーを見て見ぬふりしてアルファベットの文字列に意識を集中させた。



柔い生地のワイシャツにカーディガンを羽織って外に出る。すっかり街路樹は橙と赤色に染まっている。今年ほど四季の流れが憎い年ももう来ないだろう。この前までは桜が咲いていたような気がするのに、もうすぐ葉すら枯れ落ちる季節になる。
冷たいのと涼しいのの間くらいの風が吹いて、私は流されるように歩を進めた。

住宅街にはそれほどいなかった通行人も駅近くになればだんだんと増えてくる。ぼんやりとその道行く人を見ながら、あの人たちもみんな受験を超えているんだよなあなんて不思議な気分になる。大人を見ているととてもそうは感じられないけれど、多くの人が今の私と同じように一年間(もしくはそれ以上)歯がゆい思いをしながら参考書とにらめっこをして過ごしたことがあるのだ。とても、不思議な感じ。アドバイスでも聞いてみようか。ひたすら勉強するしかないと返されるだろうか。予備校の講師はみんなそう言う。今年どれだけ頑張ったかですべてが決まる、たくさん勉強した者が最後に笑う、勉強はした分だけ返って来る。そんなことばかり、言う。

眉をひそめて響かせた舌打ちは喧噪に呑みこまれ、自分の耳にさえ届かず消えた。

「みょうじ!こっちだ」

笠松の方が先に来ていたらしい。テラス席から軽く手を振られ、それに手を振り返す。ホットココアを注文して席につけば笠松のコップにはもう半分以下しかカフェラテが残っていなかった。そんなに早くから待っていたのだろうか。ちらりと携帯で時間を確認したけれど、別に遅れてしまったわけでもない。

「急に悪かったな、サンドイッチでも奢る」
「べつにいいよ、この後予備校だから丁度よかったし」

そうか、と引き下がった笠松を観察しながらココアに口をつける。なぜ彼はテラス席にしたんだろう。今日はすこし肌寒い日だ。ひゅるりと流れる風も相まって長時間外にいては風邪をひいてしまいそうに思う。スポーツ選手は体が資本なはずでしょう。…そしてそれは受験生も言われること。
カバンからファイルごとプリントを取り出す。これがどの教科で、特にどのあたりが出るのかなどを説明して渡す。授業で取ったノートやもらったプリント、予備校で取ったノート、参考書から得たメモ。そういうすべてをまとめたプリントがこれだ。受験勉強の進捗具合とも読み取れるし努力の結晶とも見て取れるだろう。
笠松はずっと部活をがんばっていて、今もがんばっているからあまり勉強の方は具合がよくない。今度のテストなんかは受験対策と兼ねられているから範囲が広くて大変なことになるそうだ。だからこのプリントをあげた。我ながら良くまとめられているし要点だけ覚えてもある程度はとれるようになるはずだ。

「すげーな、サンキュ」

パラパラとプリントを捲りながらお礼を言う笠松になにかを言おうとしてやめた。かける言葉が見つからない。どうしてだろうか、同じ高校三年生で、同じ受験生のはずなのに、彼と私ではこんなにも立場が違う。もちろん笠松がちょっと珍しいタイプだってことはわかっている。予備校に行けば私と同じような状況の人間くらいいくらでもいるのだから。

笠松はまだ目の前にやらなきゃいけないことがあるから気にしていないのだろうな。年が明ければ私たちは生まれて初めて人生の岐路に立たされることになる。ぬくぬくと楽しかった高校生活の三年間は終わってしまい、誰も彼もがばらばらの道を行く。その道を歩くためのチケットも掴み取らなければならない。そのことを私も、クラスメイトも、多くの高校三年生が理解していて、意識している。でも笠松は違う。
卒業するんだよ、大学生になって新しい世界で生きていくんだよ。
今、笠松にそう言ったところで彼には響かないだろう。その盲目さが羨ましくて妬ましくてすこしだけ怖かった。

「寒くなってきたね」
「ああ、冬まですぐだな」

可愛らしくも両手でカップを包むようにして笠松がカフェオレに口をつける。湯気が立っていないそれはきっともう冷めているんだろう。

おそらく、笠松が言っている冬と私が意識する冬は違う。
ねえ笠松、センター試験まであと、三ヶ月もないんだよ。頭のなかで指折り数えればその期間の短さに背筋がぞわりとする。まだわからない問題があるのに。目標の点数まで届いていないのに。試験は刻々と迫ってきている。心臓が握りつぶされたように痛くなって不安ばかりの未来に涙が出そうになる。

「このあとよかったら、」
「ごめん、そろそろ予備校だから」

笑顔でなにかを言いかけた笠松を遮って席を立つ。これ以上笠松といたらおかしくなってしまいそうな気がした。返却口にコップを置いてテラス席に一瞬視線をやれば、笠松はどこかへ伸ばしかけた手をどうにもできずに宙に浮かせたままでいた。ごめん、笠松。誰も悪くないんだけど、今はちょっとつらい。
春ごろはまだ楽しかった。急に遊ぶ約束を取り付けて、こうやって喫茶店で待ち合わせをして、書店に行ったり買い物をしたり笠松の意見でストバスを見に行ったりもした。楽しかったね。きっと笠松はまだあの頃と同じ感覚でいるのだろう。このあとちょっと遊ぼうと思っていたのだろう。

でも、もう私にそんな余裕はないよ。予備校の入り口に大きく張られているセンター試験までの残り日数を見て喫茶店を出るときに見た笠松の寂しそうな顔を思い出した。
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