第17回 | ナノ
 ぼろぼろと落ちる涙は、もうどうしようもないらしい。止めようと思っても止まらない感情の波ほど厄介なものは無い。
 生徒も教師もいなくなった実習室でポツンと三角座りをし、むせび泣く。そんな自分の姿は、傍目からどんな風に写るのだろうと想像しては、あまりの情けなさに笑いすら込み上げる。

 今日も、実習が上手くいかなかった。
 頑張って、頑張って、沢山の努力を積み重ね、なんとか入学出来た食専調理学部だったけれど、今や私はその中じゃ落ちこぼれ。中学時代では持て囃された料理の腕も、この場所では形無し。
 専門学校は、同じものを好き合い同じ道を目指す者が多く集まる場所だ。飛び抜けた才能を持つ人間も相当居る。その中で、努力だけでなんとかやって来ていた私は、大目玉を喰らわないようにするのが関の山。所詮、凡人は天才に敵わないものなのだ。天才の努力に、凡人の努力は追いつかないのだから。

「忘れもん忘れもんっと……ん、みょうじ? お前、また泣いてんの?」
「ひっ……! も、森崎、くん」

 誰もいなくなっていた筈なのに、声をかけられ肩が飛び上がる。慌てて声をかけて来た人物の方へ向けば、オレンジ色にも似た明るい薄茶の髪色が目立つ級友、森崎要くんが居た。どうやら私は、ドアの開く音に気付けないほど必死に泣いていたらしい。

「ぅあ、えっとこれは、違くて、その……実習の時の玉ねぎが今ごろ染みて来ちゃって……!」
「(今日の実習で玉ねぎ使った記憶ねーぞ?)……お、おう。なるほど」

 平静を取り繕うと咄嗟に嘘を吐いてしまったが、苦しすぎる。森崎くんも察して、此方に合わせてくれているような気がする。悪い事をしてしまった。

「まあ、そのなんだ。えーっとな」
「う、うん」

 言葉を探るようにしながら、森崎くんは喋り出す。それと同時に、三角座りをしている私の目線に合わせるように、しゃがみ込んだ。

「最近編入してきた守屋、解るよな?」
「えと、うん。寧ろ忘れようと思っても忘れられないよ」
「だよな、アイツすげーインパクトあったし。で、アイツ発想力があって機転が利くかと思えば、基本的な事はさっぱり知らなかったり。でもやっぱり凄いんだよ」
「そ、そうなんだ」
「ああ言うのは、天才の仲間なんだと俺は思う。で、俺もアイツとたまにいるけど……まあ、不思議だよな。天才には天才が集まってくるんだよ。アイツの周りには色んな才能を持ったヤツがいる。そいつらを見る度に、俺、ちょっと凹むんだ。俺、飛び抜けた才能なんて持ってねーから」

 カッコ悪いし情けねー話なんだけどよ。
 そう言って森崎くんは自身の後頭部をガシガシと右手で摩る。苦い笑みが貼り付けられた顔はほんのり赤くなっていた。
 森崎くんは、人の気持ちをよく解ってくれる人だし、よく見てる。だから私の悩みを聞かずとも何と無く理解した上で、こんな話しをしてくれたのだと思う。
 でも、

「ど……して、」
「ん?」
「も、森崎くんは、情けなくなんてないよ……!」
「うおっ」
「森崎くんは、凄い人だよ!」

 森崎くんの話を聞いている内に引っ込んでいた涙だが、またぶり返してきた。感情が高ぶると、どうも涙腺が脆くなってしまう。
 でも、仕方が無いだろう。私にとって、森崎くんは憧れの対象なのだ。だから、こんなに自信を失くしてしまっているような森崎くんの発言に悲しくなった。
 森崎くんは、いつでも明るくて、前向きで、自分に正直で、真っ直ぐな人だ。明るい髪の色にも負けない位、暖かくて、優しく辺りを照らしてくれる。前に、似たような状況で私が泣いていた時も、偶然居合わせていた森崎くんは、私を元気付けてくれた。

「森崎くんは真っ直ぐな人だし、それが森崎くんの作る料理にも表れてるし、森崎くんはなんでもそつなくこなせる。情けなくなんてない。森崎くんが情けなかったら、私どうなちゃうの……?」
「おま、お前なぁ……」

 ぐすぐすと泣きながら訴えれば、森崎くんは困ったような表情で、頬を上気させていた。私の言葉が、癪に障ってしまったのかもしれない。

「お前、けっこーめんど臭いな……」
「ご、ごめん。で、でも、私の憧れる森崎くんを情けないだなんて、言わないで……」
「だからっ……それがっ……ああもう」

 あー、うー、と唸りながら森崎くんは俯き、今度は両手で後頭部をガシガシと摩る。彼の髪から覗く耳は真っ赤だった。
 なんだか、益々不安になってきた。これ、森崎くんに嫌われてしまった気がする。折角仲良くなれたのに、日常で会話したり出来てたのに。森崎くんに嫌われてしまったのなら、あの楽しみも無くなってしまうのだろうか。

「うっうぅ……や……わたし、もりさきくんに、きらわれるの、やだぁ……!」
「な、なんでそんな話しになってんだ? ちょ、き、嫌わない! 嫌ってないから! な?」

 森崎くんは私の両肩を掴み、覗き込む。必死な形相で、しかし器用に笑みを浮かべた顔は、嘘を言っているようには思えなかった。

「いっぱい努力してるみょうじを俺は知ってる。俺、努力を惜しまないヤツ好きだぜ。じゃなきゃこんな風にみょうじに付き合わねーよ」
「も、森崎くん……。わ、私も森崎くん好きだよ! 憧れだよ!」

 もちろん、恋だの愛だのを含んだ言葉では無いのを解っている。けれど森崎くんの言葉が純粋に嬉しくて涙が引っ込み、自然と笑みが溢れた。

「泣いたり笑ったり、みょうじは忙しいよな」
「でも、森崎くんの言葉、嬉しくて……!」
「ま、まあ凹まれるよりは笑顔の方がよっぽど良いか。そうだ、みょうじにこれやるよ」

 呆れたようにしながらも、どこか暖かい笑みで森崎くんがポケットから取り出したものは、オレンジ色のヘアピンだった。確かこれは、実習中に森崎くんが時々使用していたはず。

「みょうじの前髪、たまに視界に被ってそうだからさ。それにそれ付けて視界が広がれば、周りの見方も変わるかもよ」
「良いの?」
「おーおー、貰っとけ」

 ヘアピンが森崎くんの掌から私の掌へ移る。それをじっと眺め、そして前髪を留めてみた。鏡も使わず感覚だけでやった為、少し不恰好になってるかもしれない。

「に、似合うかな……?」
「んー……」

 森崎くんは少し悩んだような表情をした後、此方へ手を伸ばした。髪を触れられ、そして視線はヘアピンへ行っている事からして、多分直してくれているのだろう。

「よし、これでバッチリだ! うん、可愛い!」
「ほ、ほんと? ありがとう!」
「やっぱ思ってた通りみょうじ、オレンジ色似合うなー」
「えへへ……」
「そーか、そんなに嬉しいかー!」
「う、うん! だって、オレンジ色は、森崎くんの色だから! 森崎くんとお揃いの色なんだよ! すごく嬉しい!」

 弾んだ心のまま、思った事を口に出せば、森崎くんは惚けた表情になった。そしてその顔がじわじわと赤くなっているような、と思い始めると同時に、私の視界は暗くなる。先程ヘアピンで前髪を視界から除けた筈なのにどうして。

「ほんと、みょうじお前……」
「えっと、もしかして視界が暗いのは森崎くんの仕業?」
「ん」

 そうか。視界を遮っているのは多分森崎くんの掌なんだろう。料理をしていたり水仕事も含まれる為か、森崎くんの手は少しかさついていた。けれど暖かい体温が伝わってきて、なんだか胸が苦しくなる。

「森崎くん、これじゃ森崎くんの顔見れないよ」
「こんな顔見せらんねーからこうしてんの」
「どんな顔してるの?」
「……だらしねー顔」
「え、見たい」
「ばっ……好きな女に見せられるかよこんな顔! ……あ」
「え」

 掌の向こうで、森崎くんが信じられないほど真っ赤な顔をしているだなんて、視界を優しく遮られた私には窺い知ることが出来なかった。


やさしく縫われた瞼

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