第17回 | ナノ
「わあーーー、真っ青だああ!!」

ここはアメリカ西海岸、カリフォルニアのビーチ。
そこには雄大な海がどこまでも広がっていた。
まだ春になりたてで、少し寒いとさえ感じる誰もいないビーチを裸足になって駆け回る。

「たく、たかだか海くれぇで騒ぎやがって」

そう悪態をつきながらもその常人からしたら長すぎるほどの足に物を言わせて追いかけてくるのは、私の彼氏青峰大輝。
高校時代はキセキの世代とか呼ばれていて、高校卒業すると同時に本場アメリカのプロリーグNBAの強豪に入団した。
日本人離れしていると思っていた身長も、こっちのプロリーグではどうやら普通らしい。

「ひゃっ、冷たっ!!」

「そりゃあまだ夏じゃねーんだから当たり前だ。ガキかお前は」

呆れながら追いかけてくる大輝にあっかんべーをした。
それから少し波と鬼ごっこをして遊んでみた。
うん、高校時代に戻ったみたいで懐かしい。
高校時代、一度だけ一緒に海に来たことがあった。
あれは高一の夏だったか、たまたまインターハイの会場近くに海があり、当時マネージャーだった私と選手だった大輝は二人で散歩に出た。
どちらが告白したわけでもなかったが、この頃にはすでにディープキスくらいまで進んでいて、とりあえず付き合っているということにし始めた時期だった。
二人で散歩したあの夜は、今だに忘れられない。
ただ二人で水をかけあってびしょ濡れになっただけなのだが、結構楽しかった。

そう、純粋に楽しかった。
きっとあの頃の私はガキだったんだと思う。
けれど…

「もう、ガキじゃないよ」

大輝と離れた五年間で、私は作り笑いが上手くなった。
苦しいのに楽しそうなフリをすることができるようになった。
そんな世界はもうただ苦しいだけなのに…

「大輝」

さよなら、しよっか。

大きな海に向かって言った。
真っ青でどこまでも続いていく海は、まるで彼のようだと思う。
掴もうと思っても、掴めない水のように。
掴もうと思っても、大きすぎて掴めない海のように。
私の手の中に居てはいけない、いられない人なのだ。

「はっ、意味分かんねぇ。んだよ、いきなり」

「いきなりじゃないよ」

大きな海に一歩近づく。
足に触れた波は冷たい。

「私がメールしても、電話しても返事はない。別に毎回返せとは言わないけれど、今回みたいに会いに来なければ大輝の近況は分からない。それってちょっと悲しいな」

地平線と水平線が交わって、一本の直線ができていた。
それは私と大輝が出会えた素晴らしい青い星の形を象徴している。
それもまた、追っても追っても届かない。
まるで私と大輝のようだ。

「それだけでてめぇは俺と別れんのかよ」

「ううん、それだけじゃない。首筋、ちゃんと隠した方がいいよ」

そこにはまるで私に果たし状を叩きつけているかのような、赤い跡がある。
先日、日本の週刊誌にも有名ハリウッド女優との熱愛が取り上げられていて、こっちにくるまで私はあまり信じていなかったのだが、現実はあまり甘くなかったらしい。
そして当然、私は最初から土俵にすら立てないほど臆病で、情けない弱虫なのだ。

「相手の人、幸せにしてあげてね。私の分まで」

また一歩海へ踏み出す。
今度は踝まで冷たい海水に浸かった。

「幸せだったよ、私。大輝は私に沢山希望をくれた。」

どんどん踏み出し続けて、海水の高さは膝を超えて今日のためにおろしたスカートを濡らしていた。
けれど、もういいのだ。

「おいっ、お前…」

ちゃぷっと音がした。
大輝が私を追いかけて来てくれたのだろう。

「今まで、ありがとう。」

言葉に音が止まった。
頬が濡れて、涙が落ちる。
その涙の温度は、とてもとても冷たい気がした。

「そこで動かないで三秒目を瞑ってて」

大輝、さよならするとは言ったけど。
私あなたに依存してるの。
きっとこのまま生きていたら社会的地位、財力、仲間全てを投げ打って彼につきまとってしまうかもしれない。
世間ではそういうの、ストーカーっていうのかな。
でも、そんなことしたら大輝に嫌われてしまうし。
何より精神的廃人になって生きるなんて、私はごめんだ。

「んなこと、できるわけっ…」

「じゃあ、仕方ないね」

ごめん、大輝。
本当は傷つけたくなかったの。
だけど、最後のワガママを許して下さい。

「今まで、ありがとう。幸せだったよ」

最後に振り返って大輝を見た。
笑っていた私をその目に焼き付けて。
まあ、大丈夫か。
私はいつも笑ってたよね。
泣いたことなんてほんの数えるほどしかないもの。

「バイバイ、大輝」

そうしてそのまま膝から崩れ落ちる。
こうすればやがて私の体は遠くへ流れていくのだろう。
それにしても、ああ。
憧れて、死ぬならここでと思った真っ青な世界はとても冷たい世界だった。





涙の温度は海に似ていた



さよなら、大輝。
海水か涙かわからない冷たい雫が頬に触れた。
けれど次の瞬間私の目に海のいろではない青色の髪が映って、手を強く引っ張られた。

そのまま海の中から引っ張り出され、肺に急に入ってきた空気に咳が出る。
だが、それが治まるのを待たずして大輝に息が止まるほど抱きしめられた。
ああ、窒息死してしまいそう。

「死ぬな」

低い声が私の鼓膜を揺らす。

「お前が好きだ。」

ああ、嘘でも嬉しいよそんなこと言ってくれて。

「死ぬな。俺のそばにいろ」

その嘘に免じて、今は死なない。
だけど、私はちゃんといなくなるから。

「とりあえず、ホテル戻ろっか」

また、へラリと笑って大輝と手をつないだ。


涙の温度は海に似ていた

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