第17回 | ナノ
「森山くん、単語帳見せてくれる?」
「はいよ」

彼女の透き通った声が一直線で俺の耳に響く。図書館という無音の環境にいるおかげでもあるけど、それは一つの理由にすぎない。だって俺にとって、彼女の声はいつでもどこでも俺目掛けてスッと聴こえる。
なんて心の中で語っているが、頼まれた単語帳をちゃんと渡した。

「でもなんか違和感があるな、こうやって森山くんと勉強だなんて」
「まぁ今まではバスケ漬けでそんな暇もなかったからな」

インターハイも、ウィンターカップも終わった。そして俺たち三年生に残されたのは受験という苦難である。黄瀬や早川は今もグラウンドで行ったり来たりをしているのだろうけど、笠松率いる俺ら三年は机に向かってガリガリとシャーペンを動かすだけだ。だけどせっかくだからということで、なまえからの図書館デートのお誘いにのった。二人の家からはそう遠くない公共図書館で、並んで赤本やら参考書やらをペラペラめくっている。

「受験終わったら二人で旅行にでも行くか?」
「ふふっ、もう受験後の話?気が早いね」
「目標があったほうがやる気が出るだろ?」
「まぁそうだね」

ハーフアップで下に残った髪の束を指に絡ませ、考える素振りを見せるなまえ。こんな光景も同じクラスだったらもっと見れたのになぁ、と悔しくなる。そんなことを思っていると、なまえは思いついたように伊豆は?、と提案した。

「あんまり混んでるところ行ってもなんだし、伊豆だったらそんなに遠くないからお母さんたちも心配しなくて済むでしょ?」
「ん、いいな伊豆」
「私も小さい頃に家族と行ったっきりだからあんまり憶えてないけどすごくいいところだっていうのはちゃんと憶えてるんだ」
「海とか入れるかな?」
「まだ春だよ?」

クスっと目を細めて笑う彼女の顔を盗み見る。恋人なんだから堂々と見てもいいのだけれど、面と向かって顔を合わせると彼女は照れて自然な表情を壊す。だからそのままのなまえを見るためにこうして横目から眺めるのが俺の密かな楽しみ。

まだ寒いか、そう呟くとなまえは「じゃあ海がいいなら沖縄とか?」なんて大胆な提案をする。先ほどまで親の心配がなんやらと言っていた口はどこへやら。

「もうこうなったら日本一周とかしたいな」
「あっ!それいいね、楽しそう!」
「東西南北全部周ってたらどれくらいかかるんだ…?」
「時間もお金も沢山かかると思うよ」
「まぁそれは新婚旅行の候補に入れとくか」
「森山くん気が早いよ」

俺は至って本気だぞ?と必死に言うと声が大きかったのかなまえは人差し指を口元で立ててシーっと微笑んだ。俺のやるせない姿が面白かったのか、まだくすくすと笑っているなまえ。それに対して少し拗ねてやるとペン回しをしていた右手に温かい感触が現れた。それは自分より一回りも小さく柔らかく、雪のように透き通った白いなまえの手で、胎児が母体に包まれているかのような感覚だった。

「私は京都に行きたいなー」
不意にそう言われてもまだ頭がきちんと働かなかった。

「修学旅行とかでも行ったことあるけど今度は二人で行ってみたいし」

穢れを知らないような彼女の手が被さった状態から指を絡めるようになった。自分のゴツゴツした手と比べると、赤ちゃんの頬を突つくような柔らかさで儚い。そんな俺の思いを知らないなまえは一つ一つ、願いを唱え続けた。

「でね、結婚式は白無垢がいいな」
「え、ドレスは?!」
「うーん……お色直しでいいかな?あれ、森山くん?」
「ん?あ、あぁお色直しな……うん…」

見るからに落ち込んでいる俺を不思議に思ったのか、空いた手を俺の顔の前で振るなまえ。おーい、と軽く声をかけてもとりあえず今は俺の意識は冷めないだろう。
せっかくなまえの純白のドレス姿が見れると思ったのに、ヴェールから覗くなまえの顔がみたかったのに。あぁ、これは贅沢をしている天からの罰なのか?そんなに欲深かったか?

「じゃあお金が余ったらドレスも着ようかな……?」

「本当か?!」
「ぷっ、反応よすぎ!」
「俺頑張るぞ?バリバリ稼いでいくらでも着せてあげるから!」
「その前にちゃんと受験合格しないとだよ?」
「ん、そうだな」

待っててくれ。すぐ、すぐに叶えてやるから。だから今はとりあえず繋いだ手に短いキスを一つ落として、予約済みっていうことにしとくよ。


華奢なてのひら

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