幼い頃に幼馴染と約束したことがある。 泣き虫だった私に彼は「泣いたらキスをあげる」とよく言っていたのを覚えている。 例えば石とか何かに躓いて転んでしまった時、私が痛くて泣いていると彼は約束通り額にキスをくれた。 そんな風に過ごしてきたが、さすがに成長するにつれてそれは恥ずかしいし、普通ではないことに気付いてしまった。 だから私は「もう泣かない」と決意して以来泣くのをやめた。 泣き虫の私なんて周りには知られたくなかったし、なにより思春期になって気軽にキスするなんてことはできない。 そのせいか、幼馴染とは段々と距離ができるようになっていった。 幼馴染の彼である征十郎と口を聞かなくなってどれぐらい経っただろう。 私が泣かなくなった今も一緒にいるのはくされ縁以外にありえない。 それも、長くは続かないと思うけど。 いつかは物理的にも精神的にも離れなきゃいけないんだから。 「みょうじっ!」 「えっ」 名前を叫ばれて振り向けば、その直後に私の額にバスケットボールがぶつかる。 どうやら、シュート練していてゴールから外れたボールが私に飛んできてしまったらしい。 「悪いみょうじ、大丈夫か?」 「ううん、平気だよ…私も余所見してたし、ねっ?」 「マジで悪かったな!」 当たった額をさすってみれば少しだけ腫れていた。 それを心配した部員達が私に保健室に行くようにしつこく言うので、仕方なく言う通りにすることにした。 別にたいしたことないのに… 心の中でぶつぶつ言いながら保健室に向かい、ガラッと扉を開く。 しかし、そこにいたのは全く予想しなかった人物だけがいた。 「せっ、征十郎…?」 「なまえじゃないか。…いいからそこに座ってくれ」 「あー、うん…」 言われるがままに促された椅子に座る。 征十郎は薬棚から消毒液とガーゼを取り出し、私と向き合うように椅子に座った。 保健委員でもない征十郎が何故ここにいるのか分からないが、まあいいか。 「相変わらず君は鈍臭いね、昔と変わらない」 「しっ、失礼よ!」 小言を言いつつも征十郎は手当する手を止めない。 そういえば、昔よく転んだ時もこうしてもらった気がする。 「君は変わらないね、昔も今も」 」 「何、急に?」 「しみじみそう思っただけだ。同じ学校に通い、同じバスケ部に選手とマネージャーとして所属してるにもかかわらず、こうして面と向かって話すのはずいぶん久しぶりじゃないか。」 手当が終わり、今度は冷えたタオルを額に当てられる。 冷たくて頭がキンと僅かに痛くなる。 「征十郎は変わらないね」 「そうかい?」 「うん、何でもできちゃうところは変わらないよ」 私の額からタオルが外される。 ぶつけた当初はとても痛かったが、もう痛みはひいていた。 「ありがとう、大丈夫だよ」 「一つだけ、君が変わってしまったと思うことがあるよ」 唐突に言われた言葉に思わず首を傾げる。 すると、征十郎は小さく微笑してから口を開いた。 「泣かなくなってしまったね、なまえ」 それだけ言うと征十郎は保健室を後にした。 残された私はただ征十郎が出て行った扉を見つめることしかできなかった。 あれから数日が経った。 あの日を境に私と征十郎は昔のように話すわけでもなく、変わらない毎日を過ごしていた。 征十郎は何が言いたかったんだろう… 保健室で言われた言葉の意味を私は分からないままでいた。 もしかしたら意味なんてないのかもしれないけど、あの言葉が頭の中に引っかかって離れない。 「うわぁぁっ!みょうじっ!?」 「えっ」 ゴンッと衝撃音と共に私の頭にまたボールがぶつかる。 しかも、今回は打ち所が悪かったらしく急激に意識が遠のいていく。 征十郎の言う通り、私は鈍臭いみたい。 目が覚めれば見慣れた天井が視界に映り、少しだけ横に視線を移せば、見覚えのある鮮やかな赤色が見えた。 そういえば、私が風邪ひいて寝込んだりした時も同じようにこうして必ず赤色が視界に映っていたと思う。 「気がついたようだね」 眉間に皺を寄せて私を見下ろしてくる。 こういう仕草は怒った時にする癖だったっけ。 「私、征十郎の言う通り鈍臭いみたい!」 「ああ、全くだ。あまり僕に心配かけないでくれ。」 「ふふふっ、ごめんごめんっ」 明るく笑ってみるけれど、この重い空気は晴れることはない。 しばらくお互いに無言だったが、やがて征十郎の方から口を開いた。 「痛かっただろう?」 「まあ、それなりにね」 「泣かないのか?」 「泣くわけないじゃん」 「僕は泣いてくれないと困るんだ」 征十郎の両手が私の頬を包んでいく。 それから征十郎の端整な顔が私に近付き、こつんと音を立てて額を合わせてきた。 あまりにも近い距離に私はびっくりしてかたまってしまう。 「なっ、何するの…っ」 「なまえが泣いてくれないと、僕はなまえにキスできないじゃないか」 いっ、今、何て? まだ離れない距離に、次第に私の顔がかあっと熱く火照っていく。 もう私達は子供なんかじゃない、キスなんて簡単にしていいわけがない。 「たっ、例え私が泣いても、もうキスなんてしちゃ駄目に決まってるでしょ!」 「そうか、それなら…」 私の視界一面に映るのは鮮やかな赤色だけになる。 唇に触れる温もりに何をされたか分かってしまった。 「なまえが約束を守らないのなら、僕はもう遠慮しないけど、構わないよね?」 ぺろっと唇を舐めて妖艶に笑う征十郎に私はただ真っ赤なって俯くことしかできなかった。 「泣いたらキスをあげる、そんなのはただの口実だよ」 また唇を塞がれてしまう。 それから征十郎はこう言っていた。 「本当はただ、僕は君にキスしたいだけ」 私の幼馴染は鮮やかな赤色。 そして、私の顔を真っ赤に染めるのも赤色。 泣いたらキスをあげる それは初めから仕組まれた罠。 泣いたらキスをあげる |