数刻前から降り始めた雪は、止むことなく景色を真白に染め上げていく。風の音と火鉢の音。その他には時折着物の擦れる音と酒器の重なる音、それらが室内に響き、ふたつの影の存在を色濃くしていた。合間にぽつぽつと短い会話を交えながら、なまえはそっと戸を開けて庭を覗けば、眩しいほどの雪景色に目を見張り、そして息を呑んだ。見渡す限りの白の世界。見慣れたはずの庭が、全く違った雰囲気に彩られている。元々洗練された風間家の庭園は静寂と美麗に飾られ、更に深々と降り積もる雪により、いっそう趣深い物となっていた。 「西国の雪を見るのは久しぶりです。……こんなにも降り積もるのですね」 「ああ…そうか、貴様は京の暮らしが長かったな…。懐かしいか?」 「……はい」 なまえは風間家の分家の家柄の出である。しかし、度重なる争いから家族は散り散りとなり、隠れ里を追いやられるような形で逃げ仰せたなまえは、生きて同胞(はらから)に再会するために人の世で暮らすことを決意した。それが五年前。なまえは島原の芸者としてその身を落としたのである。 「充分眺めただろう。冷える前に閉めろ」 「…はい」 再度雪の庭園を視界に収め、名残惜しげに戸を閉めた。その様子を見ながら、風間がなまえの手を取る。指先が冷たいことに眉をひそめると、なまえの肩を抱き寄せた。 「千景様……?」 「…冷たいな」 「…………」 「貴様は自覚が足りん。風間の家に嫁いだ女鬼ならもう少し体を労れ」 「っ、すみません」 なまえはさっと顔色を悪くして肩を竦めた。風間が抱いている肩がひくりと震える。恐縮するそれに内心で小さく息をついた。 「そんな顔をするな。責めてはおらん」 「ぇ、」 「心配しているだけだ。怒っているわけではない」 「千景様…」 風間は薄く笑みを浮かべた。膳の上の杯を手に取る。それをなまえの前に差し出した。なまえは銚子を取って、そっと杯に酒を注ぐ。芳香な酒気が鼻腔をくすぐった。芳しさに誘われるような形で風間は杯に口をつける。上等な酒のようで口当たりがなめらかで風間好みの味わい深さだったが、すべては煽らずに数回に分けて飲み干していった。ゆったりとした時間が流れる中、なまえは空いた杯に酒を注ぎ足し、何気ない様子で風間をこっそり観察するがその表情からは何も読み取れなかった。しかし、そこに気まずさや気後れするといったものはない。また、居心地が悪いといったこともなく、むしろホッと安らげるような心地好さがそこにあった。 充分に酒を堪能した風間は満足げに杯を膳に戻した。それに倣ってなまえも銚子を置く。風間はうっすらと目を眇めると、紅い瞳をなまえに向けた。 「島原にいただけはあるな。慣れている」 その言葉に息が詰まった。暗い気持ちになるが、表に出さないように取り繕う。 「いえ…、そんな……慣れているだなんて、」 「ふん…。そうして初なところを他の男どもに見せたか?」 「そ、そんなことは……っ」 「だが、貴様が芸者だったのは事実だ。見世の女は男を楽しませるのが仕事なのだろう?」 「それは、」 「寄り添いながら酒を注ぎ、時には媚を売り、舞や唄で客を喜ばせる。見世と廊は別だが、芸者と遊女……そう違いはあるまい」 「……、はい…」 反論出来ないのかなまえは、おそるおそる頷く。その姿に風間は陰鬱なものを自身の胸の内に感じた。 「気に入らんな」 そう零すと、やや乱暴な仕草でなまえに手を伸ばした。白いうなじに目線をやり、すっと指先で滑らかな肌を撫で付けた。 「っ……」 「この肌を許したか? 褥を共にしたか?」 「いいえ……いいえ、」 「…………」 「体は売ってはおりません」 「…………」 「わたしのすべては千景様のものです。心も体も貴方様のものです」 必死に訴え掛けてくるなまえの頬に、風間は手のひらを添えた。 「そうか」 風間の顔が近づいてくる。なまえはゆっくり瞼を閉じた。唇に風間のぬくもりが合わさる。ドクリと弾んだ心音を耳の奥で聞きながら深く重ねた。酒の香りと風間のにおいがなまえを包み込む。それに酔いしれながら風間にしなだれると、ふと風間が離れた。それをなまえが追い掛ける。風間の胸板に手を添えて、懇願するように情欲に満ちた瞳を向けた。 「千景様、わたしを貴方様のものにしてください」 「なまえ……」 「わたしを、どうか貴方様のものに」 続くはずの言葉は風間の唇によって塞がれてしまう。甘やかな接吻になまえは背中をしなからせた。背骨が蕩けて、その場に崩れてしまいそうなほどに甘美で。なまえは風間に応えるようにそっと目を閉じた。その柔らかく甘やかな感触に溺れた。 まっしろなわたしを汚してほしい |