第15回 | ナノ

※社会人設定


 冬の名残を感じさせながらもようやく訪れた春。桜の季節である。ほんのひと月前までは寒いだけだったというのに、春の日の光を吸い込んだそよ風は穏やかで、随分と過ごしやすい気候になった。運ばれてくる風は冷たいだけではなく、ほんのりと暖かい。春の日差しを浴びた草木が芽吹き、心地の良い春の訪れを肌身に感じていた。しかし、春が来たとはいえ、夜はまだまだ冷え込む。暖房器具が未だに手放せずにいるのはそのためだ。厚着をすれば耐えられないこともないが、ゆったりと本を読みたいときは冷気が邪魔をして集中出来ないし、厚着をすることによって衣服をたくさん使うことになるため必然的に洗濯物が増える。洗う衣類が多いということはそれだけ洗濯機や乾燥機を多く使用するということだ。昨今の機器は省エネ機能や節水機能を搭載したものが多いため、使い勝手はいいだろうが、それを節電や節約と呼ぶには不相応だろうし、そのように嘯いても効率が悪くなるだけだ。ならば、寒さを我慢せずに暖房器具を使うべきだろう。要領よくやれば電気代の心配はなくなるし、何よりも読書を楽しむことが出来るのだから。
 なまえはエアコンの稼働音を耳にしながら、分厚い本に目を走らせていた。ページを捲る音と衣服が擦れる音。それから時折聞こえてくる風の音。読書の妨げなならない程度の雑音のため、読むスピードは一定な保たれている。ページを捲り、文字を追い掛ける。それを繰り返しながら読み進めていく。ちょうど区切りの良いところで、ページとページの間にしおりを挟むと、本をローテーブルに置いた。ぐっと伸びをして、凝り固まったままの体をほぐす。ふあっと欠伸をひとつしたあとに時間を確かめた。壁掛けの時計に目をやる。

(……十時……)

 就寝はいつも十二時以降だ。あと二時間は読書に集中出来るだろうと考える。しおりを挟んだ本に目をやり、残りのページを目測した。今日中に読むのは少し無理のあるページ数だ。読めても半分程度だろうと思案する。完読するまで夜更かししても良かったが、明日は朝から会議が入っているため、貴重な睡眠時間を削るのはあまり褒められたことではないだろうと、小さく苦笑を零した。再び本を手に取り、しおりを挟んだページを開ける。読書は一時間程度で切り上げて、明日に備えて早めに眠ろう。そんなふうに考えた。そうして読書を再開させようとしおりに手を伸ばしたときだった。室内を震わせるようなインターホンが鳴り響いた。なまえはふと息をついた。ソファから立ち上がり、本をローテーブルに置くと、モニタを確認する。来客の予定はないため、勧誘かマンションの住人だれうか。と検討をつけた。しかし、画面に映ったのは思考していたどちらでもなく、恋人である高尾和成の姿だった。なまえはぴたりと固まった。なんの前触れもなく訪問してきた恋人を画面越しに凝視する。

(来るならメールくらい送ってくれていいのに)

 思いながらモニタの中の恋人に、内心で不満を告げた。そして、注視していたせいか、高尾の様子がおかしいことに気づく。モニタからでは良く分からないが、どうやら酔っているらしい。飲み会の帰りか、上司の付き合いで飲みに行っていたのだろうか。なまえはモニタに向かって「直ぐに開けるから」と言うと、「りょーかーい」と舌足らずな声が聞こえてきた。それに苦笑しながら解錠のボタンを押した。ロックの外れる音がして、ドアを開ける音が聞こえた。なまえは高尾を出迎えるために玄関に向かった。

「うっわ…。すごい臭い。……ちょっと和成、あんたどんだけ飲んだのよ」

 玄関に近づくに連れて漂ってくるアルコール臭に眉をひそめながら言葉を発する。そして玄関先で革靴を脱ぐのに手間取っている高尾を視界に捉えた。

「……ふらふらじゃない。大丈夫なの?」
「なまえちゃん、久しぶりー」
「…………」
「あれま。怒ってる?」
「怒ってないよ。呆れてるだけ」
「んーごめん?」
「……。飲みすぎだよ」
「へーきへーき」
「……ばか」
「うわ。ひでー」

 へらへら笑っている高尾を横目に、なまえは高尾の体を支えると、「ほら。しっかりして」そう声を掛けながらリビングに向かった。内心で溜め息をこっそりつきつつ、辿り着いたリビングのソファに高尾を座らせた。高尾はなまえに礼を言った。少し落ち着いたのか背広を脱ごうとしている姿が目に入る。なまえはそれを手伝って、次いでにネクタイを襟首から抜き取った。首の締め付けから解放された高尾はホッと息をついて、ソファに沈む。なんだかんだで気苦労が絶えないのかもしれない。

「ちょっと待っててね」

 言って、キッチンに向かったなまえは数分後、ティーセットを持って戻ってきた。ローテーブルにトレイを置いて、ソーサーに乗ったカップを高尾の前に置く。それを見た高尾が「紅茶?」と首を傾げるが、なまえは軽く首を振って否定した。

「ううん。紅茶じゃなくてジャスミン茶だよ。アルコールを分解してくれるから少ししたら楽になると思う。あと、二日酔いにも効くの。騙されたと思って飲んでみて」
「へー。ジャスミン茶ってすげー」
「香りもいいからすっきりするよ」
「なまえちゃん、やっさしいー。ありがとね」
「どーいたしまして。ほらさっさと飲んじゃって。今日は泊まってくれていいからね」
「え。まじで? いいの?」
「いいよ。そんな調子じゃ帰れないでしょ」
「あー、うん。まあね」

 苦笑しながら高尾がカップを手にとる。カップに口を付けて、中身を嚥下するのを見届けてからなまえはそっと口を開いた。

「でも、一緒には寝ないから。和成はここで寝てね」
「え…。なんで?」
「わたし、お酒臭い男と寝る趣味ないの」
「えー」
「だめだから。そんな顔してもだーめ」
「えー」
「このソファで充分でしょ。追い出さないだけマシなんだから言うこと聞いて」
「えー」
「和成、」
「…………」
「…………」
「あのさ」
「何よ」
「俺、そんなに酒臭い?」
「うん。すっごく臭い」
「…………」
「だから近づかないで」
「ひ、ひでーっ」
「…………」
「なまえちゃん、やさしくなーいっ」
「うざ」

 そんなやりとりを繰り返しながらも、基本なまえは高尾に甘い。結局、高尾にほだされて一緒に寝ることになるのだが、ベッドの中でセックスしようと迫ってくる高尾になまえが説教したとかしないとか。それはまた別のおはなし。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -