第15回 | ナノ

 桃色の艶やかな長髪を肩に垂らしたさつきちゃんは綺麗や美しいを言った言葉を超越してしまっているように見えた。彼女は、天才と呼ばれる彼らのそばに立つのに最もふさわしい女性だと思う。最初はボールを追いかけて駆け回る彼を追っていた目はいつの間にか、クリップボード片手に情報を集め続ける彼女を追いかけていた。それに気づいたのは、彼らの関係が醜く壊れてしまったあとである。
 屋上への扉を開ければ、少し肌寒い秋風が吹き込んできた。私は一歩足を踏み出すと、きょろきょろと辺りを窺う。屋上の中でもひときわ高い給水塔の上に彼の寝姿が見えた。音を立てぬようにはしごをゆっくりと登る。

「青峰」

 そのまま数度名前を呼べば、色黒い彼は低い声で答えた。その目は眠そうで、折角の睡眠を邪魔されたことを怒っているのが雰囲気でわかる。朧げで虚ろな瞳は私の焦点を合わせるなり、少しだけ瞳孔を開かせた。

「さつき……じゃねぇのか」
「さつきちゃんは、青峰放って部活行ったよ。だから私が呼びに来た」
「めんどくせェな。誰が呼びに来ても行かねぇよ」

 ごろん、と私に背中を向けるように彼は転がる。さつきちゃんが呼びに行っても部活に来ない青峰が、たかが私が呼びに来ただけで部活へ行く気になるとは思わなかった。私と青峰の関係性なんて結局はさつきちゃんを通したものでしかないのだ。
 私は彼の隣に座ると、風にスカートが吹かれないように手で押さえた。目をつむったはずの青峰が薄目で私を窺ってくる。なにと問えば、お前は行かねぇのかと返ってきた。それがどうにもおかしくて、ふふ、と小さく笑ってしまった。

「……んだよ」
「行かないよ。私はマネージャーでも部員でもないもん。数多くいるギャラリーの一人。それに、今のバスケ部は嫌いだから」

 前みたいに楽しいという雰囲気が微塵も感じられない体育館は重々しい空気を擁した怪物の胃袋としか思えない。かつては駆け回る彼らも見る彼女も真剣な顔をしているけれど、楽しいという空気が満ちていて居心地が良かったのに、今は居心地が悪い。今でも気付かないギャラリーは大勢いるらしいけれど、そこに混ざる気はさらさらない。
 横向きに寝ていた青峰はむくりと起き上がると、私の隣に腰を落ち着けた。二人して給水塔の上で並んで秋空を眺める。

「テツもさつきも、そんなこと言ってたぜ」
「へえ、あの二人が?」
「おうよ。テツに至っては言い逃げしてったしな」
「言い逃げ、って」

 桃色の彼女と水色の彼が思い浮かぶ。そう言えば、黒子くんに図書室で会った時に退部したとの話を聞いた気がする。けれど、もうそろそろ退部だし、とあまり気にしなかったはずだ。彼はいつもどおり、あそこで本を読んでいるのだろうか。
 秋空の象徴であるいわし雲が空を覆い尽くしていた。細かく千切れた薄い雲はまるで今のバスケ部のみんなみたい。もう二度と合わさることはなく、誰もがそれぞれの風に乗って消えていくのだ。
 不意に隣の青峰が何かを思い出したように立ち上がって、給水塔の裏へ回る。少し待っていると、手にタッパーを持って戻ってきた。可愛らしいピンク色の蓋のタッパーは明らかにさつきちゃんが置いていったものだろう。再度、荒々しく座った彼は私の膝にそれを押し付けてきた。なんだろう、と思いながら、私は蓋に手をかけた。

「お前さ、さつきのこと、好きだろ」

 風とため息に紛れて聞こえてきた言葉に思わず、私は手を止めそうになる。動揺を押し隠して蓋を開ければ、甘そうな蜂蜜に絡まったまるごとの檸檬がごろりと数個入っていた。料理が苦手な彼女らしく、スライスすることを知らないようだ。

「分かんだよ。最初は俺たちを見てたのに、途中からさつきだけ追いかけてたんだろ。確かに俺は頭悪いけど、そこまでではないんだぜ。最も緑間なんか頭良くても気づいてねぇだろうがな」
「ちょっと、青峰、何言ってんの……」
「お前さ、さつき見るとき、自分がどんな顔してんのかわかってんのかよ。あれだ、黄瀬のギャラリーの女と同じ顔してんぜ。届かないのがこそばゆい、みたいな顔」
「やだ、ちょっと、やめてよ。冗談言わないで」

 知っている。自分の心に彼女を想う気持ちがあるくらい、既に知っている。それが友情とかただの尊敬とかで済むような感情ではないことも、自分のことなんだから手に取るように分かっている。彼女と私が同性で、それがどういうことを意味するのか、も。
 青峰はボキャブラリーが貧困だけれど、たどたどしくその幼稚な言葉で私の秘密を暴こうとしていた。誰にも知られたくないそれを暴かれるというのは例えようもない恐怖がある。やめてくれ、と心の私が叫んだ。
 タッパーの中でごろごろと転がる檸檬を一つ、手にとった。がりり、と歯で硬い皮ごと噛み千切る。レモンの酸っぱさと蜂蜜の甘さが微妙に溶け合っていて、私は意識をそちらに逸らした。

「さつきのこと、好きだろ。そのさ、恋愛的に」

 ねぇやめてよ、青峰。そう言った私の声は火を見るより明らかに涙で濡れていた。隣の彼がぎょっとするのがわかる。私はもう一口、がり、と檸檬を齧った。次は皮の苦味が口で弾け散った。頬をぬるりと涙が流れる。蜂蜜で手がベタついた。

「なに、冗談言ってんの、青峰。私が好きなのは……アンタだよ」

 知られるのが怖くて、言われるのが怖くて、何よりも押し隠して誤魔化そうとしていたこの気持ちを自分で認めてしまうのが怖かった。だから、ほとんど何も考えずに私は言った。一言だけ漏らしてしまえば後は楽で、流れる涙に乗せるようにぼろぼろと言葉を零していった。
 ずっとずっと好きだったの。バスケしているところがかっこよくて惚れたんだよ。いつの間にか目で追っていて、さつきちゃんの近くにいれば会えると思ってたんだ。
 現実とは真反対の嘘を私は滑らかに吐いた。自分が告白されるとまでは考えていなかったのと馬鹿だから誤魔化しだと気づかない青峰が戸惑っている。

「ねぇ、どうしてくれんのよ。卒業まで絶対に言わないって、この先言わないって決めてたのに、アンタのせいよ。アンタが変なこと言うから」
「…………わりい」

 彼は小声で言った。戸惑う声音には明らかな罪悪感が含まれている。のっそりと立ち上がった彼ははしごを使わずに給水塔から飛び降りた。一人、私だけが残される。
 ふわり、と秋風に吹かれた髪の毛が浮いて顔の前でふわつく。タッパーに入れられた檸檬は全然甘酸っぱくも、酸っぱくもなくて、ただただ苦かった。膝に置かれたピンク色の蓋は同じ色の彼女を彷彿とさせて、臆病な私はまた涙を流すのだ。
 ねぇさつきちゃん、臆病で何も言えない私を赦してね。そっと風にのせた言葉はあっという間にもみ消された。

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