第15回 | ナノ

朧げな記憶だが、千石は花に詳しかった気がする。

「この花はまるで蝶が飛んでるみたいだから 、その名がついたんだよ」
「詳しね、千石。花とか好きだっけ?」
「いや、この花はーー」

廊下の窓辺に生けられた、鮮やかな花の色が、網膜に残っている。時々その花を見かけては、千石のことを思い出すのだ。



「こんな時間に突然呼び出すなんて、結構いい度胸してるのね、千石」
「ごめんね!本当にごめんね!!」

あたりは暗く、星がよく見える夜。急にかかってきた電話に何事かと思えば千石で、用件は今から会えないかというものだった。

「今日中に会いたかったんだよ。でもちょっとゴタゴタしてて……」
「別に明日でも良かったじゃない」
「だって、せっかくの誕生日なんだよ?」
「…………毎年ご丁寧にありがと」

中学生の頃から千石は、毎年私の誕生日を祝う。友達付き合いを大切にしているのか、それは大人になってからも変わらず続いていて、どんなに忙しくても忘れることはなかった。私のスケジュール帳にも、11月25日には赤い印がついている。

「そういえば、去年のブックカバー使ってるよ。あれすごい気に入った」
「えー!本当かい?俺もなまえちゃんのくれた低反発枕で寝てるよ!」

私にとって千石清純という存在は、なかなか私の語彙では形容しづらい。親友というのが一番近いのかも知れないが、なんとなくそれも外れている気がするのだ。

「今年はね、ちょっと趣向を変えてみたんだ」

じゃーん、と千石が暗がりから取り出したのは、花束だった。白とピンクの華やかな花が、月明かりに浮かび上がった。

「……あっ」

知っている。いや、教えてもらったのだ。

「……胡蝶蘭」

私がそう言葉を零せば、千石が目を丸くした。

「なまえちゃん、よく知ってるね」
「これ、千石が教えてくれた花だよ」

廊下の窓辺で、鮮やかに咲いていた、見覚えのある花。千石は何度か瞬きをして、「……覚えてたんだ」と呟いた。私は笑った。

「すっごいよく覚えてる。だってこれ、千石の花でしょ」
「えっ?」
「『花言葉はしあわせを運ぶ≠ナ、白い胡蝶蘭は清純=Bまるで俺みたいだよね』……そうでしょ、ラッキー千石清純?」

私が千石の口調を真似してそのまま口にすれば、千石が吹き出し、照れたように頭を掻いた。

「やだなー。そこまで覚えてたんだ」
「うん。その花を見る度に、思い出してた」

千石は目を細めて笑う。中学生だったあの頃が、懐かしくてたまらない。今思えば、千石は昔と変わらないまま、近くにいてくれる。だから、居心地がいいのかもしれない。千石が花束を胸に抱き、空を見上げた。硝子片のような星が、ぽつりぽつりと暗闇に取り残されている。

「あのね、」

春のあたたかい夜風が靡いて、胡蝶蘭の柔らかい香りがした。

「白い胡蝶蘭は清純=Bじゃあピンクの胡蝶蘭にも花言葉があるんだけど、なんだと思う?」

私は目を瞬かせた。桃色の蝶のような花に視線を落とし、それから首を横に振る。

「俺ね、ずっと前から決めてたんだ。なまえちゃんにいつか、この花を贈るんだって」

胸に抱えた、華やかで大きな花束を、千石が私に差し出した。千石の表情は、暗くてよくわからない。

「ピンクの胡蝶蘭の花言葉はね、」

貴方を愛します

千石によって呼ばれたしあわせは、両手で抱えなくてはならないほどに、大きなものだった。

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