第15回 | ナノ

 奇妙というにはあまりにも平凡で、異常というにはとてもじゃないが凡弱としか言い様が無かった。けれど彼女は変人だった。

「好きに理由はない、好きになったものが好きだと昔から言うけどそれって逆説的に考えるとそれは理由があれば好きではないという事じゃないかな。つまり、私は本を読むことが好きなんだけどそれは感覚めいたものではなく理論的に説明できる、イコール好きではない。言うなれば呼吸、生きる糧。日常と化しそれが当然の如く。食べて運動して燃焼するそれ、基礎代謝と同じ。まあさすがにここまで言うと誇張し過ぎかもしれないけれど」
 目の前の相手を見据えてそこまで一息も継かず言ってから私は再び目線を呼んでいた文庫本へと移す。前回読み進めたページ158ページと159ページに挟んだ紫陽花の描かれたお気に入りの栞を取り出して今回読み進めたページへと挟んだ。そしてパタリ、と音を立てて本を閉じる。

「私に死ねって言ってる?」

 募る苛立ちを隠そうともせず不機嫌を全面的に押し出す。私の怒りの矛先となった当の本人は訳が分からないという様に瞬きを数回。それが余計に私の苛々に拍車をかける事も知らずに。
「…は?」
 数拍遅れて彼も私と同様不機嫌を隠そうともせずに疑問符を上げた。
 彼が私の逆鱗に触れることはあっても私が彼の逆鱗に触れることはない、被害者は私なのだから。と思って高を括っていたがそれは違うようだ。彼は余程の馬鹿か、それとも短気なのか。
「誰もンな事言ってねェだろ」
「言ったよ、さっき」
「捏造も甚だしいな」
「そんな事ないよ」
 目の前の彼、神田ユウは私の反抗的な態度に端正な顔を歪めた。
「本を読む事は私にとっての呼吸に等しいし、だからこそそれを止められるのはとても嫌なの。何よりいつ死ぬか分からないエクソシストなんてやっている間は私大して仲のいい人でも無い神田くんに時間を割きたくないの」
「奇遇だな、俺もだ」
「だから即刻謝って、私の機嫌を直してから立ち去って」
「だからなんで謝んなきゃいけねェんだよ」
「気分を害されたから」
「つか俺に時間割きたくないんだろ」
「自分から割くのは癪だけど割かれるのは別に構わないの」
「我儘」
「うん、今に始まった事じゃないよ」
 神田くんが口を噤む。
 昔から反りの合わない私たちは会えば喧嘩喧嘩だ。どれくらい仲が悪いかというと最近新しく黒の教団に入ってきたアレン・ウォーカーという男と神田くんの中よりもずっとはるかに悪い。探索隊も科学班も皆それを知っていて、喧嘩が酷くなれば酷くなるほど自分たちにも被害が回ってくると言ってもう好きにしろと干渉してこなかった。けれど最近になって急にコムイ室長が私たちを仲良くさせようとしているみたいでお互い室長命令の名の下に会話を余儀なくされる。
 今回もコムイ室長の何らかの計らいで神田くんが来たという所だ。
 しかし私は本を読むのを邪魔されるのが大の嫌いである。それがもう大嫌いな神田くんとなれば苛々のゲージはすぐにマックスへと達する。しかも今日は私の嫌いな雨が降っていて朝から気分がじめじめとしている。大好きなリナリーも任務で居ない。不運が続いて苛々ゲージはマックスどころかむしろ突き破っているくらいだ。
「早く頭を垂れて跪いて謝ってよ」
「要求増えてるぞ」
「増やしてるの」
「ウゼェ」
「神田くんもだよ。…しかもまるで馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わないね」
 話していれば馬鹿が移りそう、と余計な一言を言って私は栞とお揃いの紫陽花のブックカバーが掛けられている文庫本を一瞥。
 早く続き読みたい、のに、どうも神田くんがそれを許さないみたい。
 じっと、神田くんを睨む。
 しかし見れば見るほど綺麗な顔つきだ。睫毛は長いし肌はシミひとつ無い上に真っ白。切れ長の目も筋の通った鼻も全部が綺麗だ。顔だけならば称賛に値するレベルなのに性格があれじゃあなあ…。
 ま、どのみち神田くんが神田くんである限り私は神田くんが嫌いだ。傲慢な男は嫌いだからね。
「水と油っていうかむしろ酸素と水素だよね」
「あ?」
「水と油は交わらない、酸素と水素も普段は交わらないけどもし交わったら爆発する。 神田くんと私を表すにこれほど適した言葉は無いかもしれない」
「んな訳分かんねえ講釈はどうでもいいんだよ。頭痛え」
「それは自分が馬鹿だと主張しているのかな?」
 テ、メェ。
 神田くんが腰にかけた鞘に入っている六幻の柄をおもむろに掴み抜刀しようとする。
「お、やる?」
 これだから短気は困るよね、とわざと挑発するような言葉とともに私も自分のイノセンスへと手を伸ばす。ざわざわと騒がしかった食堂が水を打ったように静まり返る。
 大衆の視線が私たちへと注がれる。
「…やんねぇよ」
一つの舌打ちと共に神田くんは抜きかけていた六幻を鞘へと戻した。どこからか探索隊のほっとした安堵の溜息が聞こえた。
「意外、期待したのに」
「はっ、わざわざ勝つのが確定してる相手とやっても面白くねェだろ」
「傲慢だね」
「事実だろ。それに、"大して仲のいい人でも無い"お前に俺は時間割きたくねェ」
「…皮肉ね」
 お前にそう見えるなら俺は皮肉屋なんだろうよ。あ、あとお前の事コムイが呼んでたぜ。
 神田くんはそう言い残して私に背を向ける。もう伝えたいことは伝えたからお前なんぞに用はないとでも言う様に背を向け去っていく。
「…神田くん!」
「…あ?」
 私に呼び止められたことを不快に思ったのか仏頂面の神田くんが振り返ってくれる。

「…伝えに来てくれてありがとう」

 神田くんが間抜けに口を半開きにさせぽかんとしている。そして「…は、は?」なんて疑問符を連呼している。
 うわあ、間抜け。
 神田くんと話していて悪くなった気分、神田くんのその間抜けな顔を見れば少しばかり気が晴れた。

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