第15回 | ナノ

私が勤める小さな花屋に常連のお客様が来るようになったのは一ヶ月くらい前の話だっただろうか。その人は毎週土曜日の午後一時半という決まった曜日と時間に現れる。毎回かっちりとしたスーツ姿で真剣に花を選ぶ様子と、一際目を引く鮮やかな赤い髪とエメラルドグリーンの綺麗な瞳は初めてお店に来た時から忘れられないぐらい私の中でとても強く印象に残っていた。

その人は、ある時はプレゼント用に、またある時は部屋に飾るのにと花束を毎回必ず買っていく。そして今日もまた色とりどりの花を手に持ってレジへやって来るのだ。「お願いします。」「はい、お預かりしますね」偏見かもしれないけれど男性で部屋にお花を飾るなんて珍しいし、何かと理由をつけていつも買っていってくれるのを密かにずっと不思議に思っていた。買ってくれることに関してはもちろんありがたい話である。

「お花、好きなんですね」

前々からこの人のことについては気になっていたが自ら話しかけようと思ったこともなければ、そもそも最初から話しかける勇気なんて少しも持ち合わせていなかった。それなのに気がつけば無意識に私の方から声をかけていたのである。土曜日と言えどこの時間帯は人が少ないため今は二人きりだ。そのせいか狭い店内に私の声がやけに響く。花を包むのが終わるまで他の花を物色していたらしい彼は突然話しかけられて驚いたのか花からこちらへ視線を移し、私の問いかけに対して少し考えた素振りを見せてからゆっくりと頷いた。「うん。好きだよ」目が合うと整った顔で優しく笑う彼を見て思わずほんの一瞬だけ花を包んでいた手が止まった。「君は?」「あ、と…すき、ですよ」質問の答えを返しただけなのに自然と頬が熱を帯びる。というかその顔で笑顔は何と言うか、反則だ。じんわりと熱くなった顔を隠すように少しだけ逸らしながら完成した花束を彼に手渡した。

「綺麗だね、ありがとう。また来ます」
「ありがとうございました」

そう、決まって彼は最後に「また来ます」と言い残してからお店を出ていくのだ。彼の背中を見送った後で私の口からほっと小さなため息が漏れる。彼とのやり取りは、かれこれ週一単位で繰り返されているのにも関わらず初めて彼と業務以外の会話を交わした。たった一言二言だったけれど素直に嬉しかった。名前も年齢も何一つ知らない。いつの間にか、そんな彼が来ることを毎週楽しみに待っている私がいたのだ。



相変わらず例の常連さんは毎週必ずやって来る。最近だと以前より格段と会話をする回数も増えて私はますます土曜日が待ち遠しい。そしてまた土曜日がやってきた。時間はもうすぐお昼の一時になろうとしている。あと三十分だと頭の中で意識することが多くなっているのは気のせいではないはずだ。時計を気にしつつ、今朝大量に入荷された花を手入れしながら並べていると店の前にいかにも高そうな一台の車が止まった。こじんまりとした花屋に高級車なんてまるで合成写真のようである。手を一旦休めてぼんやりと様子を眺めているとやがてエンジンが止まり運転席から綺麗な黄緑色の髪の人が降りてきた。私と目が合うなりご丁寧にも会釈をされため私も慌てて会釈を返す。どうやらお客様らしい。そこで漸くレジへ戻ろうと足を動かした。その際もずっと後ろで会話が聞こえてくる。「着きましたよ、社長」「ありがとう」短く聞こえた声に思わず振り向いた。社長と呼ばれて助手席から降りてきた人はあろうことかいつもお店に来てくれるあの常連さんだった。予想より遥か上の役職にただただ驚く。その間にも彼はまっすぐこちらに向かって歩いてくる。ついに彼と、目が合った。

「こんにちは」
「こ、こんにちは。今日はお早いですね」
「? そうかな」

怪訝そうに腕時計を見つめる彼の姿を見て今私が余計な一言を言っていたことに気がついた。これじゃあまるで意識をしていたのがバレバレである。言葉に詰まり、どう会話を繋げようかと考えていると上から笑い声が降ってきた。言わずもがな彼である。「言われてみればそうかもしれないな。…覚えてくれてるんだね」意識をしていたというのもあるが、毎週同じ時間にいい意味で目立つ容姿をした人が来れば誰だって自然と覚えるだろう。何かを言うわけでもなく私は頷いただけで今度こそ他に何も言わなかった。これは肯定と受け取られても仕方ない。ふと店の入口に目をやると先程の黄緑色の人が腕時計を見ながら何やら携帯で早口で話をしているのが見えた。もしかして今は仕事中じゃないのか、…「みょうじさん、」初めて呼ばれた私の苗字。不意打ちすぎて一瞬誰を呼んでいるのかわからなかったほどである。どきりと高鳴る胸。おかげさまで「今日はどんな花をお探しですか」「この花、今日入ってきたばかりなんですよ」などと次に言うつもりだった台詞は全部どこかへ消えてしまった。そんな中で私の目の前にとある花が差し出される。先に口を開いたのは彼だった。

「プレゼント用でお願いしたいんだけどいいかな」
「は、はい大丈夫です。色のご指定とかありますか?」
「うーん。黄色とかがいいのかな?…みょうじさんに任せます」
「畏まりました」
「それとね、実はこの後すぐに会議が入っててもう行かなくちゃいけないんだ。だから少しの間できた花束を預かっててもらいたいんだけど…」
「あ、全然大丈夫ですよ」
「よかった…ありがとう。じゃあこれお願いします」

手渡されたのは彼の髪とお揃いの鮮やかな色を持つ真っ赤なチューリップだった。「これ、今日入ってきたばかりなんですよ」「そうなんだ。喜んでくれるといいんだけどなあ…」彼はまた、にこりと笑って「よろしくお願いします」と一言言い残し、先程の黄緑色の運転手さんの元へ戻っていった。店の前から走り去る車を見送った後で残された私も早速仕事に取り掛かる。いいなあ、あんなにかっこよくて素敵な人から想われて、しかも花束までプレゼントされるだなんて相手の人が羨ましい。そんなことを思いながら包装紙の色を選んで鋏を握った。受け取った人が笑顔になれますようにと願いを込めてみる。リボンはこの色にして…。「あ、」何時ぐらいに取りに来れるのか聞くのを忘れてた。



閉店時間になるちょうど十分前にその人は現れた。待てど暮らせどやって来ない彼を待ち続けたらいつの間にかこんなに時間が経っていたらしい。昼間と同じように再び店の前に高級車が止まる。急ぐように小走りで店に入ってくる彼の様子が視界に入ったため完成した花束を手に取った。

「すみません。思ったより会議が長引いてしまって…」
「いえ、大丈夫ですよ。…お仕事お疲れ様です。」
「、ありがとう」
「ご注文の花束出来ていますよ」

丹精込めて作った花束を手渡すと彼は満足そうに笑った。さあ、私も片付けて早く帰ろう…「みょうじさん」「え、…」どうして私にチューリップの花束が向けられているのだろうか。困惑する私の姿がエメラルドグリーンの瞳に映っている。状況がまるでわからない。そんな中で突然質問された。「チューリップの花言葉は知っているかい?」…知ってる。花屋で働いていると稀に花言葉を聞いてくるお客さんがいるためメジャーで尚且つ店に陳列されている花の花言葉を調べたことがあるのだ。チューリップ、色は赤。その花言葉は確か……

「俺、みょうじさんが好きです」

言葉を失うとは正にこの事だろう。閉店間近の照明が落とされた少し薄暗い店内でもわかるぐらい彼は白く端正な顔を赤く染めていた。しかし、きっと今の私も負けてはいない。それだけ言って早々と車の方へ躍を返してしまった彼の背中に声をかけることも引き止めることもできなかった。突然の告白というイベントに状況どころか頭もついていけない。チューリップの花束を抱えていると不意に彼が振り向いた。「友達からでも考えてくれると嬉しいな」そう言って彼はお決まりの台詞を残してまた優しく笑うのだ。

「…また来ます。今度は返事を聞きにね」



たまたま通りすがった花屋で彼女を見つけた。特別綺麗な容姿をしているわけじゃないけど、楽しそうに仕事をする姿と彼女の笑顔は何か惹かれるものがあった。それからなんとか近づきたくて毎週のように彼女がいる花屋に通った。初めて彼女から話しかけられた時は本当に嬉しかった。とある一大決心をした仕事の帰りの車の中で柄にもなく緊張している俺を見兼ねた秘書の緑川が言う。「告白、成功すればいいね」と。作ってもらったチューリップの花束を差し出せば彼女はどんな顔をするのだろうか。ああ、とうとう店の前に着いてしまった。「頑張れ」緑川に背中を押され、そしてついに俺は、

「俺、みょうじさんが好きです」

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