「立派な剣をお持ちだね、兵士さま」 凛とした声に足を止める。振り返れば長い髪の少女が笑いながら立っていた。杖をつき、何処を見ているのか分からない。いや、彼女は何処も見ていない。 幼馴染みであるこの少女は生まれついての盲目だった。 「仰々しくて気持ち悪いぞ」 「……お帰り、ジャン」 「ああ、ただいま」 別に帰って来たわけではないのだが、自分の住んでいた所には戻ってきたのだ。ただいま、なんていつぶりに口にしたんだろう。訓練兵に志願して、憲兵団を目指して、運悪く巨人を迎え撃つことになった。 人気のない裏路地、すでに避難が進んでいると思われる。 「お前、逃げないのか」 「どこに逃げればいいの? この私に、新しい居場所があるとでも?」 自嘲気味に笑って、かつりと杖で地面を抉った。 「……っ」 「私はもう十分に生きた気がするよ」 「まだ十五じゃねぇか」 「非力な種は淘汰され、優れた種が生き残り、これを繰り返す。そういうことだよ。私は反撃の糧にすらなれない非生産的な人間だからね。優秀なきみとは違って、初めから分かっていたんだから」 怖くも、辛くも、悲しくもない。 光を映さない瞳のその奥には、何もない。彼女の言葉は毒を帯びていた。 昔から、彼女の言葉で人は心を蝕まれていた。生まれ落ちたその瞬間から絶望に浸されていた彼女だ。仮初めの平和で呆けきった一般人の脳髄にはさぞかし猛毒だったろう。 彼女は盲目であったが故、そして猛毒であったが故に除け者にされてきたのだ。 あまり自分に矛先が向くことはなかったのだが、いざそうなると厄介だ。簡単に言葉は耳から侵食してゆく。 「……そんなに嫌がらないでよ。死ぬしかない哀れな幼馴染みは最後に語らいたいのさ。どうか汲んではくれまいか?」 「くそ、勝手にしろ」 「優しい幼馴染みがいて助かった。周りは私が毒だと言って関わろうともしないからねぇ。壁が破られたんだってね、今更目を覚ましたって遅いのに。ご苦労なことだ。二度目に気付いたときには致命傷なんだよ、分かる?」 「……いや」 「古傷があったら抉るだろう? 一度壊して脆い部分を痛め付けるだろう? 一度目に敗北したら取り返せないんだ。それを今からきみたちが尻拭いする訳だ」 ちらりと見えるはずもない空を見上げて彼女は笑って言った。煙の臭いがしてきた。ここにいるのも危険かも知れない。 「何人死ぬかな、そのうちの一人は間違いなく私だけど特定なんて野暮なことはしなくていいよ。私は今日中、必ず死ぬ」 「……だから、っ!」 心外だと肩を竦めて、また唇からはありとあらゆる言葉と言い回しで罵ってくる。頭がくらくらした。 この場所に来なければよかったのだろうか。幼馴染みの身を案じなければよかったのだろうか。いや、違う。 「なにが、言いたい」 「……十五年だ。私が苦しんだのは」 「ああ」 「どうしても誰かを下位の立場であることを忘れて罵っていたいのは、私が不出来な人間だからだ」 「それは仕方がないことで」 「だからこそだ。……ところできみは今怒っているのか?」 目が合った気がした。見えない筈の瞳がまっすぐこちらを見据える。 見えない筈の剣を、その杖で指し示して言う。 「少しでも私を煩わしいと思ったなら、その立派な剣で喉元を切り裂けばいい、万事解決する。そうするといい。きみは毒に慣れている、出来るだろう」 にやり、彼女が視界の端で笑っている。 焦げ臭い。地面も揺れ出した。 「なに、を」 「出来ればそうして欲しいと思うけれど、きみが罪悪を感じるのは忍びない」 とうとう炎がちらつき始めた。彼女を連れて逃げようか、いやそうしたら彼女は無理矢理にでも死にに行く。 とうに手遅れだ。彼女は死ぬことしか考えていない。 「……でも敢えて言おうか、殺してくれないかと。その剣は切れ味がいいと聞いている」 「っ、出来るわけ……ないだろ」 「そうかそうか。でも巨人に慈悲の観念はない。有難いことだ」 とても嬉しいよ、と続けて彼女は炎の方向、即ち巨人の方向に向かって歩き出した。巨人は彼女に手を掛けた。 「……やめろ!」 思考が真っ白になった。その上を誰かが汚していく。 華奢な体躯が掴まれて骨がひしゃげて潰されて飲み込まれていずれは胃液に融かされて――想像したら、どうしようもなく悲しかった。 毒の源である喉舌は無事だろうか。そこだけは、自分の手で葬らなければ。 きつくブレードの柄を握り締める。目の前にいる巨人から、彼女を出してやらねば。 そうしなければ毒が解けない。その喉元に刃を突き刺すまでは。そしてその舌を引き千切ってやるのだ。 私の喉舌を葬ってくれますか |