殿方の前では綺麗で世間知らずなただの可愛いお嬢様でいなさい。 社交界の花形はそう言っていたらしい。 両親にそんな受け売りできつく教育をされて来た私は、年頃になってデビューした社交の場でもきちんとそれをわきまえていたし、変に出しゃばったりはしなかった。 というか私が出しゃばる程夢中になれる男なんていなかったのだ。 皆が皆、家に囲われて守られて育った、大して容姿にも勉学にも秀でていないつまらない人ばかり。そう思っていた。 ただ、あの人に会うまでは。 「どうして私だったの?」 「楽そうだったから」 「酷いことを言うのね」 「家柄を見なそうってことだけど」 「それも酷い」 私は自嘲気味に笑う。先程のパーティで他のお嬢様方に言われた忌々しい言葉が反すうして止まなかった。 「私、自分の家が貧しいから貴方と結婚したって言われてるくらいなのに」 「……ま、確かに結婚に愛は必要ないしね」 女性同士の噂話には興味がないらしいが、私が言われたことに関しては察してくれたようだ。 「でもさぁ、あんまりそーいうの、気にしてたらキリがないと思わないの」 「女性の噂話って怖いんだもの」 「そーお?」 「貴方が知らないだけよ」 本当に、怖い。見ず知らずの人にまで私の名前、家柄……素性のほとんどが知られていて、声をかけられる。 貴方があのグレイ伯爵の妻だって? それが、私にはたまらなく怖かった。 「ねぇ、強いて言えばでいいから、私のどこが良かったの?」 「んー……強いて言うなら」 ぴっと指を私に突きつける。きっといつもそうやって、人に剣を平気で向けるのだろう。 「君はボクの邪魔をしなそうだったから」 私は一瞬ぽかんとしてしまったが、それが何を指すのかはすぐに理解出来た。結婚する時に教えてもらった、彼の仕事。 我らが女王陛下に仕える執事。確か他の仕事もあったはずだったが、忘れてしまった。 「妻とか恋人とか愛人とか。ボクはどーでもいいんだよ、そういうの。仕事に差し支えなければいてもいなくても、ね」 私は黙って話を聞きながら、堅苦しいコルセットに手をかけた。たとえ私が今服を脱いだとしても、彼は平然と話を続けるのだろう。 「だから君にしたんだ。妻を持てば他の家から見合いだのなんだの干渉されなくて済む」 あ、といいことでも思いついたのか、彼は私ににこりと微笑んだ。 「何なら君だって仮面舞踏会とかに行ったって構わないけど。あーでも、君だってことはバレないようにしてよね」 ボクが困るんだ。と彼はあくびをしながら言った。家の名前に傷がつくからと。 私は冗談でしょう、と目を伏せ、止まりそうになった息をなんとか落ち着かせる。 彼自身に落ち度は何もなくて、むしろ彼は優秀で、だから私は彼を素敵だと思って、一緒になってもいいかもしれないだなんて思っていた。 けれど、一緒になったからといって、変わったことは何もなかった。ただ私の名前が少し変わって、人一倍他の人に妬まれる対象になったということくらいだろうか。 彼は何も変わらない。私に向ける愛情など、以前としてこれっぽっちも無かった。 おやすみーと友人にでも言うかのように手を振って、彼は部屋を出て行った。 普段から静かなこの家は、一人きりだと余計に静かになる。私に飲み物を勧めて来た使用人をさげさせて、いよいよ私は一人になった。 「……愛し合って結婚したなら、他の人にとやかく言われないで済むのにね」 そっと手を開いて天井に掲げる。 キラリと灯りに透けて光る指輪が、そっけなく私の目に反射した。 シャンデリアに掲げたままの手を伸ばす。視界がぼやけた。 「……私は」 貴方の愛情が欲しい。それさえあれば、誰になんと言われようと平気でいられる。 その手は儚く宙を掻く。さみしいと思うのは自然なことだと、思った。 私の指先は、今でもあなたに触れようとしている。 どうか、この指先を絡め取るのが、あの人でありますよう。 私の指先を躾けてくれますか |