ぽかぽかとあたたかい昼下がり。お昼のあとだから余計に眠くなる午後の授業は眠気を誘うには充分過ぎるだろう。 現にわたしの後ろの席で惰眠を貪っているクラスメイトの空閑灰時は、大胆に昼寝を決め込んでいた。まあ、灰時の場合はいつだろうと寝ているのだけど。 わたしは心の中で嘆息した。黒板の文字をノートに書き写しながら、そっと灰時に意識を移した。 彼は、元タレントのハイジこと空閑灰時。わたしの数少ない友達だ。 ふわふわのネコ毛は手触りが良くて、顔立ちも整っているから直に微笑まれると、彼に好意を抱いているひとであれば、一瞬で恋に落ちてしまうだろう。そのくらい灰時はかっこよくて、綺麗な男の子だった。 灰時は幼い頃から役者として芸能活動をしている大人気の俳優だ。テレビで見ないことはないくらい有名で、ハイジという名前を知らないひとはほとんどいないだろう。 しかし、この春、突然の活動休止して、わたしの住む五十里にやってきた。 灰時とは兄を通じて接点がある。兄は灰時のマネージャーをしているのだ。何回か会う内に、わたしは灰時のひねくれた本性を知ることになった。 普段の灰時と素の灰時は全然違った。性格や喋り方まで何もかもが違うのだ。あまりのギャップに物凄く驚いたし、最初は信じられなかった。 でも、灰時の素を知ってから以前よりも話すようになったし、灰時もわたしの前では気を張っていないようで、心を許してくれているのが少しだけ嬉しくて。そうしているうちに以前よりも一緒にいることが多くなった。 住んでいるところは違うから四六時中一緒というわけではないけれど、学校ではいつも一緒にいるから一日の半分以上を灰時と過ごしていた。 青春部の中では、灰時はわたしに一番懐いていたと思う。わたしも千歳たちといるよりも、灰時と一緒にいたほうが楽だった。 そして、一緒にいれば、少しずつ情が湧くというもので。気づいたときには、灰時に恋愛相談をしていた。 五十里第一高校――いかこう――に通っている者ならば知らないひとはいないだろう、生徒会所属の副会長、熱海理人。バ会長で有名な山田太郎には厳しい副会長として有名で、真面目で、堅物。そんなイメージがあるから厳しくて怖い人だと思われがちだけど、好きなものには夢中で、人当たりがよくて、面倒見もいいから交友関係が広くて。そんな彼が、わたしの好きなひとだ。わたしの片想いのひと。 熱海くんとは中学からの付き合いだ。クラスがたまたま一緒になって、隣の席になって、少しずつ話すようになって。そうして、ふと気付いたときには、わたしは既に熱海くんと友達になっていた。 熱海くんと過ごす日々は楽しくて、充実したものだった。時間を重ねていく中で、わたしは彼のことをたくさん知った。熱海くんが長い間、実のお兄さんの彼女のなずなさんに片想いしていることも、その片想いに酷く苦しんでいることも、わたしは少しずつ知っていった。 熱海くんに相談を持ち掛けられることもしばしばで、彼に恋を打ち明けられて、相談に乗っているうちにわたしは熱海くんに惹かれていった。 わたしも熱海くんも報われない恋をしていた。 熱海くんは生徒会に入っているけれど、わたしと灰時が所属する青春部の部員でもあるから、特進科と普通科でクラスは違っていても同じ部活という接点があった。部活以外でも時間を作って会うようにしているから熱海くんの恋愛相談を今も続けていた。 熱海くんと会えるのはすごく嬉しかったけれど、同時にすごく苦しかった。熱海くんの口からなずなさんのことを聞くのが、日に日に苦痛になっていった。 「顔がぶすになってる」 「え?」 「また、あいつのこと考えてたんだろ」 「…………」 「なまえはバカだ」 「……。知ってるよ」 「お人好しだよ。本当にバカ」 「だ、だって」 「やめればいいのに」 「?」 「好きなの辛いんでしょ? 辛いならやめればいいよ」 「そんなこと……、出来ないっ」 「どうして?」 「好きなんだもん…。辛くても、苦しくても……好きなんだもん。どうすることも出来ないくらい好きなんだもん」 「…………」 「…。好きなんだもん」 「はあ…。もう勝手にしなよ。俺が言ってもどうせ聞かないんだろ」 「…………うん……」 「じゃあ、それでいいよ」 「うん。……ねえ、灰時」 「何?」 「わたしってやっぱりバカかな?」 「…………」 「好きなひとの役に立ちたいって思うのは……バカなこと、かな? わたし…間違ってる…?」 「間違ってない」 「灰時、」 「間違ってないから。なまえのしたいようにすればいいと思う。俺も…なまえの気持ちは分からなくないし。……でも、最後に傷つくのはなまえだから」 「…うん…」 「振られたら特別に慰めてあげる」 「えええ。振られる前提なんだ?」 「見込みあるの?」 「ない、です」 「泣くのは振られてからにして」 「ふふ。うん、ありがと。灰時は優しいね」 「優しくなんかないよ」 「えー」 灰時はひねくれているけれど、本当はすごく優しいひとだ。 わたしがこうして沈んでいると、「バカバカ」と連呼してくるし、毒を飛ばしてくる。面倒なことは嫌いなのに、それでも、わたしの話を聞いてくれて、頭を撫でてくれて、わたしが泣き止むまで付き合ってくれる。 どうして灰時がそこまでしてくれるのかは分からないけれど、わたしが崩れずにいられるのは灰時が支えてくれているからだと思った。 (わたし……熱海くんの支えになれてるかな、) 灰時がわたしの支えになってくれているように、わたしが熱海くんの支えになれていたらいい。熱海くんが少しでもわたしを頼りにしてくれていたら嬉しいし、なずなさんを想う気持ちの一欠片でもいいから、わたしに向けてくれたらいいと思う。 「なずなさんに……告白しようと思うんだ」 放課後。熱海くんに呼び出されて、わたしは夕焼けが一望出来る屋上にいた。わたしと熱海くんはふたりで並んで、夕焼けを見ていた。沈んでいく夕日はどこか寂しげで、けれども、胸が苦しくなるくらい綺麗だった。 「そう、なんだ…。うん。そっか、告白かあ…。ねえ、熱海くん」 「何?」 「どうして、告白する気になったの?」 「…………」 「訊いてもいい、かな? あ、言い辛かったら言わなくていからね」 熱海くんは少し渋ったあと、重くて堅い口を開いた。 「兄となずなさんが……今年の三月に結婚することになった」 「…………」 「しこりを残したまま、義理とはいえ……なずなさんを義姉と呼べないからね」 「そう、」 「神田さんには今ままでたくさん世話になったから、一応言っておきたかったんだ」 「うん」 「……かっこ悪いよな」 「え?」 わたしは夕日から目を逸らして、隣にいる熱海くんを見た。熱海くんは顔を歪ませていた。 「ちゃんと気持ちを言葉に出来るか不安なんだ。告白するって決めただけで震えが止まらない。なずなさんを前にしたらどうなるかも分からないし…。こんな自分がみっともなくて恥ずかしいよ」 「そんなことない」 わたしは熱海くんから視線を離した。定まらない視線を再び夕日に向けた。 「みっともなくなんかないし、恥ずかしくなんかないよ。熱海くんはかっこいいよ」 「神田さん…」 「誰かに告白しようって思うことがすごいもん。わたしなら怖くて逃げ出しちゃう」 「そうかな」 「そうだよ。熱海くんはすごいよ」 「ありがとう、神田さん」 理人の優しい声が鼓膜をくすぐる。次いでに、少し冷たい風がそよいだ。 「神田さんが励ましてくるたお陰だよ。後押ししてくれたから告白しようって思えたんだ。本当にありがとう」 目の奥がじんとした。涙が出そうになるのを必死に堪えた。 「熱海くん…」 「ん?」 「告白、頑張ってね」 「頑張るよ」 「熱海くんの気持ち、なずなさんに伝わるといいね」 「そうだね。伝わるといいな」 一通り話したあと、熱海くんは生徒会があるからと言って、屋上を後にした。途中まで一緒に行こうと言われたけれど、もう少し夕日を眺めていたいからと言って、わたしは屋上に留まった。 「っ……、」 目尻から涙が零れる。堰を切ったように、涙の粒がぽろぽろと頬を濡らした。 (あつみ、くんっ……あつ、み…くん……っ) 熱海くんがわたしを見ることはない。熱海くんの好きななずなさんには敵わない。そんなことは分かり切っていたはずなのに、こうして目の当たりにすると苦しくて辛くて、息が出来ないくらいに胸が痛くなる。 「っ、」 わたしは喉の奥で嗚咽を堪えた。 なずなさんは熱海くんの想いを受け取ることはしないだろう。きっと熱海くんもそれを分かっているはずだ。分かっていて、全部終わらせるために、内に秘めていた想いのすべてをぶつけるのだろう。 必死な様子の熱海くんが目に浮かぶようで。少しだけ気持ちが和らぐけれど、また直ぐに涙が流れた。 そろそろ、この恋に終止符を打つべきなのだろう。それが今なのかもしれない。 「灰時に慰めてもらわなくちゃ」 そうしないと、沈んでいってしまいそうだった。 わたしはそっと息をついた。震える気持ちを落ち着かせて、涙で濡れた目元を乱暴に拭った。 (わたしは……告白なんて出来ないし、する勇気すら持てない臆病者だけど、熱海くんなら…大丈夫。きっと大丈夫。だから頑張って、熱海くん…) 想いは受け取って貰えないかもしれない。熱海くんの想いは届かないかもしれない。でも、熱海くんの気持ちはなずなさんに伝わるはずだ。 そうすればきっと熱海くんは前に進める。なずなさんを好きな気持ちは消えないかもしれないけど、その想いが強さに変わる日が来る。そんな日が早く来てほしい。苦しいばかりの毎日だった熱海くんの日々を明るく照らしてほしい。苦しんだ分だけ幸せになってほしい。 「さよなら、熱海くん…。さよなら……」 呟きながら夕焼けを網膜に焼き付けるように眺めた。目の奥が熱くなって、痛くなる。 わたしは、顔を歪めた。ただただ嗚咽を洩らしながら、夕日が沈むまでの時間、呆然と立ち尽くしつつ涙を流し続けた。 |