第12回 | ナノ

 さらりと風が流れる。外気のにおいと人の声。微かに鼻腔をくすぐって、微かに聴覚を刺激する。
 ゆらゆらと自分が浮いているように感じるのは、微睡みの中にいるせいだろうか。このまま優しい浮遊感に身を任せて、延々と浸かっていたい気もするし、そろそろ起きなくてはという気概も沸いてくる。
 どうしようかと思ったところで、意識がはっきりしていくのを感じた。浮遊感が消えていき、浮上していくのが感覚的に伝わってくる。
 もう少しこのままでいたいと思うけれど、同時に暗い淵から光の指すところに辿り着いてしまう。ふと瞼を開けると、見慣れた木目の天井が霞む視界にぼんやりと映った。

「……ゆめ…、」

 ぱちぱちとまばたきを繰り返す。浅い眠りだったせいか、頭がぼぅっとするけれど、その中で見ていた夢が忘れられず、名残惜しげに頭の中を回っている。それをたどたどしく辿りながら目を閉じて思い返していると、目尻から涙が零れた。
 最近、涙腺が緩い気がすると心の中で呟き、やや乱暴な手つきで涙を拭った。
 上体を起こして、欠伸を噛み締める。寝台から降りて窓辺に近づくと、少し開いた窓から風が吹き込んできた。
 頬をくすぐる風が気持ち良くて目を眇めると、窓辺に置いていた花器が目に留まった。そこには一輪の薔薇が風に揺れていた。
 その薔薇に手を伸ばす。真っ赤な薔薇は夢の中に出てきたものだった。
 彼――エルヴィン・スミス――が壁外調査に行く前日に、必ず戻ってくるからと約束してくれた。そのときにこの薔薇を贈ってくれたのだ。「私の代わりに君の元に置いていくよ」と言って。
 そして、交換するようにして彼にお守りを渡した。旅の安全と彼の無事を願って、薔薇と同じ色をした石、ガーネットを手作りの小袋に入れて、「いってらっしゃい」の言葉と一緒に彼を送り出した。
 わたしの元に帰ってきてほしい。あなたの無事な姿をこの目で見たい。そんな秘めたる願いを込めた。
 交わした言葉は少なくて、少しだけ淋しい気持ちになったけれど、彼からの薔薇と彼からの言葉を胸に彼の帰還を待つことにした。
 待つのは哀しくて、苦しかった。彼を想うと胃の辺りがキリキリと痛んだ。
 彼は無事だと言い聞かせて、彼はきっとわたしの元に帰ってきてくれると懸命に祈った。それ以外のことは考えなかった。

「エルヴィン……早く帰ってきて…。あなたの姿が…見たい、」

 早くしないと、薔薇が枯れてしまう。その前に早く、早く。
 薔薇の花弁を撫でながら、言葉を口にせずに心の中で紡ぐ。
 ふと子供の騒ぐ声がして、外を見やった。元気に走り回る子供たちを眺めながら続いて空を見上げた。
 仰いだ空は一面の蒼が拡がっていた。鳥が翼を広げて番いの鳥と飛んでいる。自由に羽ばたいている。
 この空を彼も見ているだろうか。同じ空の下で、彼は人類のために戦っているのだろうか。

(エルヴィン、)

 蒼い空が痛々しい色に見えて仕方ない。

(どうか、無事で…)

 儚い声音は風に吹かれて霧散する。そっと目を閉じると、涙が頬を流れた。顎に伝って、ぽろりと落ちる。その雫は花弁に滴った。まるで薔薇が泣いているようだった。

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