第12回 | ナノ

私を覗き込むその瞳が苦手で、時々逃げ出したくなる。それはまっすぐすぎる彼の性格だったり、本当の部分、大切に包んで決して出ないように奥深くにしまいこんでいる心なんてものを見透かされているような、そんな気がするから。からり、氷のうの中で音が鳴る。頬の感覚が段々なくなってきているから、ふと指で触れた自分の頬が氷のように冷たくて少しだけ驚いた。大分、収まってきたかな。頭上から降る声のほうへと顔を上げれば、彼は私を覗き込むように見つめていて、私の顔に彼の形の影が落ちた。


「真琴、冷たい」
「うん、冷やしすぎたら逆効果かもね。もう痛くない?」
「…たぶん平気」
「じゃあ、こっちきて。一応、今夜一晩は湿布も貼っとこう」


大げさだな、と私が息を吐けば、彼の大きな手が頭を二回ほど優しく叩き、女の子なんだからコレくらい当然だよと笑う。そんな彼を、まっすぐに見れない私は顔を背けた。コンビニで購入した市販の湿布を取り出して、はさみで大きさを調整している彼の背中をぼんやり見つめて、テーブルに置かれた氷のうを指でつついた。ふと窓の外へと視線をやれば、カーテンを閉めていなかったので部屋の様子がまるで鏡のように映し出され、そして私の情けない姿が鮮明に見える。左の頬がまだ熱を持っていたのか、少しだけじんと痛い。結局は自業自得というものだ。相手に流されるまま、相手に合わせて、相手のいいように自分も行動してきた。聞こえはいいが他力本願、自分の意志が伴っていないから、こうやって簡単に気持ちが冷めてしまって、別れを告げれば当然相手も怒る。殴られたのは、初めてだったな。ぽつりと、つい口から零れてしまった言葉を耳聡く拾ったのは、部屋に上がりこんで甲斐甲斐しく私の世話を焼いてくれる彼だった。


「…普通の男だったら、女の子に手をあげたりしないよ」
「ワガママ女に付き合いきれなくて…とうとう…みたいな感じかもよ」
「自虐ネタでも笑えないよ」


顔上げて、じっとしてて。くいっと顎を持ち上げられて、彼の指が左頬に触れた。いたそう、と口にしておらずとも分かる彼の言いたげな言葉に私は居心地悪くて視線をさまよわせる。そして、ほら。またその両目で私を見つめる。ぺたりと湿布を張った彼は、これで終わり、と私に告げてごみの片付けを始めた。ねぇ。背中を向けたまま、彼は私に声をかける。なに、と私が返答すれば、彼は、あの男といつから付き合ってたのと呟いた。私の頬を殴った、あの男。記憶を遡っても、思い出せない。思い至ったのは、そういえばあの人とは『お付き合い』を始めて一ヶ月も満たないということだけだ。そんなことを口にすれば、きっと私の返答を待っている彼に幻滅されてしまうだろう。忘れた。都合のいい返答を返して、私は目を伏せた。…私は、彼に幻滅されたくないと、思っているのか。一瞬でもそう思ったことに驚く。きれいな瞳、宝石のようにきらめいて、アンバーのように澄んでいて、そして私が一番苦手な瞳。振り返った彼、彼の瞳が私の姿を捉えて、息を呑む。


「おせっかいかも知れないけど、…今後その男の人と会うのは止めたほうがいいよ」
「大きなお世話。…それに別れ話してこうなったんだから、もう放っておいてよ」
「………でも、」
「真琴は部活も後輩も幼なじみも、大切にしなきゃいけないこと、もっと他にあるんだから。……いいでしょ、これ以上言わせないで」


淡い光が揺れる。私の姿がぐにゃりとゆがむ。だって、到底私にはできっこないもの。心から心配をされていることを知っている、この侵食されるような暖かな感情の名前も、知っている。でもその度に思い出すのは、楽しげに後輩や幼なじみと話す彼の姿で、彼には大切なものが既にたくさんあって、それを憎いと思ったり、それらを全て排除して独り占めしたいだとか、そんな浅ましい感情を抱く私に心底吐き気がするのだ。手に入らないものを願って、憂いて、そんなこと…きっと彼も望んでいない。だから、そのたびに私は心臓にナイフを突き立てて、感情を殺すのだ。ぐさりと刺さった場所からあふれ出ないように、足で踏みつけて、決して誰の目にも届かないように。唇をかみ締める。早く、部屋から出て行ってほしい。この部屋を出れば、そうすれば、明日からまた同じクラスのクラスメイトで会える。それだけでいい。今までどおりの距離で、よかったのに。いつまでも出て行かない彼。痺れが切れて、顔を上げたら泣きそうな彼と視線があった。驚いて目を丸くさせる私に、彼は、私を安心させるような、暖かくて優しい微笑みを一つ、零す。


「…何度だって、いうよ。おせっかいでも、なんでも。だって俺の大切なものっていうものの中に、入っちゃってるんだから」
「、真琴」
「だから、関係ないなんて、言うなよ」


そんな風に突き放したりするなよ。
彼の声に、言葉に何も言い返せない。喉がからからで、呆然と彼を見つめ続けた。そんな私に近づいて、彼はその大きな腕の中に私を閉じ込める。ぎゅう、と抱きしめられて、まるで壊れ物をあつかうように優しく撫でる手つきに不覚にも涙が出そうになった。そして、ただ黙ったまま抱きしめる彼が憎くて、愛しくて、心の中で自分を殺し続ける。何度も、何度も。その度に私は涙を流して声を枯らして、あなたに愛してほしいのと叫ぶのだ。大丈夫、愛しているよというように背中を優しく撫でる手だけが、私を繋ぎとめているその優しさが、今は苦しい。

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