その娘は、たいそう愛らしい桃色の唇をしていた。愛らしいのは、決して唇だけじゃあなかった。はにかんだ時には頬を薔薇色に染めた。「和成くん」どこかあどけない口振りでもって、高尾の名前を呼んで、そうして、上目に潤んだ瞳を向けて、微笑んでみせた。おんなのこ、というものを、詰め込みに詰め込んだ。そうして、詰め込んだ末に飽和してしまったような。そんな娘だった。 「あのね、和成くん」 「わたしたち、ずっと、ずうっと、こうしていられるよね?」 彼女は、そう言って、はにかむように笑うのだろう。自分は、「ンなの当たり前じゃん」と、そう、冗談めかして返すのだろう。そうして、きっと、二人は幸せそうに笑うのだろう。 夕日はとうにその姿を隠していた。夜が降りて来て、ひやりとした風が二人の頬に触れて、体温を奪っていくのだろう。けれど、二人は手を繋いでいる。たったふたり、温度を分け合って、とうに日も暮れた道を歩く。 それは、高尾の部活の終わりを、彼女がいつだって図書室で待っていたからだ。高尾は、それを愛しいと、確かにそう感じているのだろう。彼女も、部活に勤しむ高尾のことを、確かに、此れ以上無く、愛おしみを感じて見詰めていた。 互いに、きっと、理由は見つけられないのだろう。何処に惹かれたか。どうして、互いでないと駄目だと信じたか。二人はきっと、そのときに答えを見つけることはできなかった。けれど、それでもよかったのだ。 理由探しはせずとも、そこに互いが在るだけでよかったのだ。 「和成くん」 いつかの日の声だ。現実では無い。けれど、それは、あまりにもクリアに耳介に触れて、鼓膜を揺らして、脳まで届いた。背筋を駆け上がったものは何か。 確かに、手放したものだ。手放したものの声だった。あまりにも、離し難いものであった。 「……和成?」 「あ、」 「ねえ、今あの娘に見蕩れてたでしょ。ちょっとー、しんっじらんない!」 「違うってー!ぼーっとしてただけで、マジそーゆーンじゃねーから!」 機嫌を損ねた、現在の”カノジョ”の機嫌を取り乍らも、高尾は、たった数秒だけ認めた、その姿を思い出していた。薔薇色の頬も、潤んだような丸い瞳も、あどけない声も、変わらなかった。ただ、淡い桃色だけが、今は真っ赤に彩られて、三日月を描いていた。誰か他の男と体温を分け合って、少女は歩いていた。 きっと、その真っ赤な唇で、自分では無い男に愛を紡ぐのだろう。其の唇をなぞり落ちた愛は、きっと、真っ赤な色をしているのだろう。自分が受け取った桃色はきっともう、ぐずぐずに腐り堕ちてしまっている。成れの果てがあの赤い色だろうか。 それはきっと違う。屹度、あの桃色と、あの赤い色は、まったくの別のものであるのだろう。 あの唇は、もう自分のものではないのだと、そう突きつけられたような気がした。いや。元より、自分のものであったことなど、屹度無かったのだろう。唇がなぞる言葉はふわふわと綿毛のように何処かへ飛んで行った。 そうして、雑踏に紛れた姿を、もう二度と見つけることは無かった。けれど、真っ赤な唇はきっと、どこかでまた色を変える。然うに違いない。そうであって欲しい。──本心は何方か。高尾は知っているような気でいた。けれど、認めてはならないような気がした。 きっといつかまた、彼女の唇は、愛をなぞる相手の為に、美しい姿を変えるだろう。 愛おしい男が振り向く、その色へと。きっと、彼女はそうするのだ。 |