第1回 | ナノ
 わたしは中学生の男の子と同居している。名前は不動明王くん。帝国学園に通う二年生だ。明王くんは母の妹の息子で、わたしとは従姉弟。家の事情だとかで母が預かることになったのだが、母の家からでは帝国学園は電車とバスを乗り継いで約二時間という少しばかり遠い距離で。最初こそ明王くんも頑張ってそこから学校に通っていたのだけれど、部活を遅くまでしているから帰るのはいつも夜の九時、十時が当たり前で、朝は朝練があるからと六時には家を出るのだ。それではあまりにも可哀想だからと、母が帝国学園から徒歩二十分の距離に住んでいるわたしに明王くんを預かってほしいと頼んできたのである。もちろん最初は少し悩んだけれど、事情が事情だからと思い、預かってもいいよと母に告げた。それからわたしと明王くんの生活が始まった。



 わたしは年齢イコール彼氏いない歴を現在進行形で更新している。だからといって男が嫌いとか、話すのが嫌というわけではない。ちゃんと男友達はいるし、彼らと遊んだりお喋りしたりするのは好きだし、楽しいと思う。だったら何をそんなに悩んでいるのかといえば、年が十も離れた年頃の男の子とどう接して、何を話していいものか全く分からないからだ。お互い自己紹介的なものはしたが、それ以降話らしい話をしていない。まあ、それもそのはずでわたしも明王くんも緊張していたのだと思う。況してわたしは父親以外の異性と暮らしたことなんてなかったから最初の一週間はギクシャクした状態だった。会話もあまりないし、交わすことといったら「おはよう」「おかえり」「ただいま」のどれかで、これってどうなんだと思うくらい必要最低限のことしか喋らなかった。
 そんな時、明王くんが土日だけでも家事を手伝うと言い出してきたのである。その申し出は嬉しかったけれど、現状を考えると少し難しいように思えたから、わたしは「部活があるんだから無理しなくていいんだよ」と当たり障りがない程度で断ったのだけれど、「それだったらあんたも平日は仕事で忙しいだろ」と明王くんに言われた。
「まあ、わたしはもう何年もこんな生活だしね。慣れてるから」
「……そうなんだろうけど、世話んなってるのに何もしねーのは嫌なだけだから」
 そう言われてしまえば、もう断ることなんて出来なくて、じゃあそこまで言うならお願いしようかなということになり、明王くんに掃除とか洗濯を手伝ってもらうようになった。それがきっかけで、わたしたちは色々と話すようになったのだ。一緒に向かい合ってごはんを食べている時や、一緒にテレビを見ている時――学校のことや部活のことを明王くんが話してくれるようになって、わたしも仕事のこととか友達のこと、今日一日なにがあったかとか、ここのお店のケーキがすごく美味しいんだよとか、まるで彼氏彼女みたいな雰囲気で、明王くんといるのが楽しくて、すごく幸せだった。わたしはいつからか明王くんに淡い想いを抱くようになっていた。


 そんなある日、わたしは仕事帰りにスーパーに寄って晩ごはんの材料を買い、帰路を急いでいた。どうして急いでいるのかといえば、昨日の晩ごはんの席で明王くんが明日は部活がないと言っていたからである。だからもう家に帰っているのかなと、ソファで寛いでいる明王くんを想像しながら無意識に小走りになる足並みで歩き慣れた道を急いでいると、ふと視界の端に明王くんが映ったような気がした。気のせいかなと思ったけれど、気になってそちらを見てみると、そこには明王くんがいた。わたしのいる位置は死角になるようで明王くんはわたしに気付いていない。
「……?」
 ここで何してるんだろう、そう思って彼に声を掛けようとしたのだけれど――掛けられなかった。だって、明王くんの傍には可愛い女の子がいたから。
「………」
 そしてわたしは二人の寄り添う姿を見て、ああこの子は明王くんの彼女なんだなと思った。わたしよりも若くて、可愛くて、ふわふわしてて、わたしにはないものをたくさん持っている。お似合いだなと思った。
「……失恋、かな…」
 ポツリと呟いて、わたしはその場を後にした。
「………」
 これからどんな風に明王くんと接すればいいのかな。どんな風に笑えばいいのだろう。
こんなことなら仲良くなんてならなければよかった。こんな気持ちになるくらいなら好きにならなければよかった。ぐちゃぐちゃになった思考のまま、わたしは涙を堪えて必死に走った。息が苦しくなるくらい走って走って走って――家に帰り着くと額も首筋も汗だくで、髪も衣服も乱れていた。情けない姿に苦笑しながら惨めな格好だなと思っていると視界が涙で歪んだ。そしてわたしは玄関のドアに寄り掛かり、その場にしゃがみ込んで子供のようにわんわん泣いた。年甲斐もなく声を上げて泣いた。
 ああ、早く忘れてしまいたい。涙と一緒に全部消えてなくなればいいのに。
 そう思うのに脳裏には明王くんと彼女の姿が焼き付いていて、忘れたいと思っても二人が消えてくれない。仲睦まじい二人がシミのようにこびり付いてわたしの頭から離れてくれない。これでは忘れることなんて出来そうにないなと、涙を流しながらわたしはそっと口を開いた。
「……………だいすき………明王くん…、」
 静かな室内に掠れた告白の言葉が虚しく響いた。
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