第1回 | ナノ
ぼんやりと、月を見ていた。何かしたかったわけじゃない。ただ、足が赴くままに歩いていくと、見覚えの無い公園に辿り着いたから。半ば操られるように、そこのベンチに腰掛けていただけだ。
当然、こんな夜更けに公園で遊ぶ酔狂はいない。住宅地の中にあるから、酔っ払いなどもそうそう現れないらしい。

俺はベンチの背にもたれかかった。汚れたそれは、ぎしりと軋んだ音をたてる。俺は誰かを待っているのだ。何となくではあるが、うっすらと霞がかった記憶がそれを示しているように思える。誰かって?さあ、知らない。それでも俺は、こんな夜中にベンチに座って、ぼんやり月を見上げている。顔も思い出せない、誰かを待って。

月は煌々とあたりを照らしている。その輝きは太陽から反射したものであって、月そのものの輝きではないというのに。どうして、こんなに美しいのだろうか。

月から目を逸らし、それが照らす地面を見つめる。街灯の青白い光も相俟って、何だか寒々しい色合いを醸し出していた。

「……ん?」

ぼんやりと、そこに黒が現れる。何事かと顔を上げれば、黒髪の美しい少年が立っていた。

彼は何故か泣きそうな表情で俺を見ている。着ている服はどこか古めかしい。一歩、また一歩と少年は静かな足取りで俺に近づいてきた。俺はベンチに座ったまま、彼が近づいてくるのをただ見ている。

「なまえ、」

彼が俺の名を呼んだ。
涙を堪えるようにして、俺の目を真正面から見つめて。彼は言う。

「俺の事はもう忘れて、幸せになってくれ」

言い終えた彼は、耐えきれずに涙を一粒、地面に落としていた。それは土に染み込むことなく、途中で弾けて消える。月の光は絶えることなく辺りを煌々と照らし出していて、少年の影なんてどこにも見えなかった。

俺はベンチから立ち上がる。ぎい、とベンチが鳴いた。

「…兵助、ごめんな」

「ううん。なまえが俺を覚えていてくれて、嬉しかった。…でも、」

「ああ、分かってる。こうしてお前に会えたんだ」

ずっと、ずっと待っていた。誰かを、お前を。

「もう、大丈夫だよ」

そう伝えると、兵助はまたぽろりと涙をこぼして、それからにこりと美しく微笑んだ。

「ありがとな、なまえ」

それを最期に、兵助は淡い光となって消えた。成仏、したのだろうか。立ったまま、月を見上げる。それは先程と変わることなく、俺を真上から照らしていた。

この地には、昔とある学園があったと云う。何やら物騒な学園ではあったが、そんな中でも恋仲の者はいた。ある日、その片割れが危険な任務に往くという。残された片割れに、必ず帰るから待っていてくれと約束した彼は、そのまま、

懐かしいことを思い出した。記憶にかかっていた徐々に靄が晴れてゆく。

ああ、兵助。俺はずっと待っていたのに。帰ってきたのが腕の一本など、俺は絶対認めるものか。

片割れはそのまま学園で教師となり、彼をずっと待っていた。けれどもある夜に侵入者と相対して、そのまま、


滲んできた視界を振り払うように、首を横に振る。大丈夫なんて口先だけだ。彼の流した涙が網膜に焼き付いてはがれない。先ほど言ったことなんか真っ赤な嘘だ。お前がいないのに、どうやって幸せになればいいんだよ、畜生。
どうしようもない考えを打ち消すように、俺は公園の出口へと足を向けた。
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