「恋心は脆いもんだと、君は思わんかねささきまぐろくん」 「え〜っ」 「人の心はとても移ろいやすいじゃないか」 帰宅部である私は、自身とはまるで無縁のこの『物理部』へ度々遊びにきたり冷やかしに来る。理由と言えばそこにりんごが居るから、なのだが今日はクラスの用事で此処に来るのが遅くなるらしい。因みにこれはささきくん情報だ。私とりんごは今年度から違うクラスだったのでそう言った情報も掴みそびれる。 親切にもそれを教えてくれたささきくんとは、りんごを通した知り合いだ。物理部に訪れた時はたまに話したりする。そんな知り合いの彼を、りんごが来るまでの時間潰しとし、とりあえず切り出した会話がこれ。中々学生らしい、青春な言葉だろう。 だが目の前の彼は困ったような声を出している。しかしながら語尾にはいつものようにしっかりと『星マーク』が付きそうな勢いは変わらない。器用だ。 「なんだね、恋の話かな」 「あ、りすせんぱい」 「恋……うむ、それも青春かな……」 「あ」 怪しい液体の入った三角フラスコを片手に、化学部である筈のりすくませんぱいがふらりとやってきた。そして勝手にうんうん頷いて満足そうに去って行く。 なんだったんだと、ささきくんと顔を見合せ互いに首を傾げる。 「相変わらずよく解らないね」 「なまえちゃんも負けず劣らずとは思うけどね〜っ」 「あらま」 「恋が脆いだなんて言い分は心が潤ってる学生が言うことじゃないでしょー?」 「おや、失敗した」 「なんのこと?」 「んーん、此方の話だよ」 学生らしい会話の切っ掛けではあったが、内容に失敗したらしい。私の心は廃っているのか。まだ若いのに切なくなるな。どうしようもない事だが。 「なまえちゃんは恋してる人達を哀れとでも言うのかい? 場合によっては自分の両親馬鹿にしてる事になるけどっ」 「いや、結婚まで漕ぎ着けた偉人達は決して折れない類い稀な素晴らしい精神を持ち得た人外だよ」 「完璧に馬鹿にしてるよね?」 「冗談だよ」 辛辣な言葉を浴びせられ、肩を落とし大きく息を吐く。半分本気で思っていた事だから微妙な気持ちになる。 「しかしだね、ありえんとは思えんかねささき少年」 「ささき少年……」 「昨日までは少年Aを好きで告白したらフラれ、翌日には失恋して出来た心の傷を共に癒してくれた少年Bを好きになっている少女A……。私は突っ込みたかったよ。これはどこの海外ドラマかと」 「……何それ、なまえちゃんの実体験?」 「いんや友人の話」 「あ、なーんだっ」 「でさ。友人の状態であれば付き合いが短かれ長かれ、待ち合わせに遅れた程度ではなんとも思ってなさそうだろう。なのに関係が恋人になると、少し待ち合わせ時間に遅れるその都度、喧嘩になったりするじゃない。私は不思議でたまらんよ。友人も恋人も同じ人間で、自身にとっては大切な者なのに」 ささきくんの肩をがっしりと掴んで熱弁をふるう。いつもすました形を作るささきくんの口元が引き攣っているので、彼は私の勢いにドン引き中なのだろう。 なんか段々とささきくんが可哀想になってきたので、彼の肩から手を離す。駄目だ、うっかり暴走してしまった。りんごを筆頭としたささきくんやりすせんぱいに毒されてか、私自身も変人に近付いている。 「それは、さ」 「ん?」 やるせない気持ちで頭に手をやっていれば、語尾に星マークなんて付かなさそうな真面目なトーンの声が、ささきくんの口から飛び出た。普通に話せたのかささき氏よ。 「信頼の大きさと心の許し具合の違いじゃないの?」 「へ?」 「付き合いが長かれ短かれ、友人の場合は決して深い付き合いにはならない。深い付き合いは『親友』だからね。でも、恋人になった瞬間に距離がぐっと近くなるでしょ? よっぽどの事でない限りなんでも話すし話しちゃうし」 「そう言う、もの?」 「多分だけどね〜っ。で、その繰り返しで友人の時よりその人に対する信頼が大きくなる」 「……恋の脆さと信頼の厚さは比例しないのか」 「可愛くないなぁ〜」 ささきくんの言い分を呑み込みながら考えていると、ささきくんは大きなため息と共に『やれやれ』と言いたげな姿勢をとる。可愛くなくて結構だ。可愛くみられたいような特別な人はいないし。 「でも、やっぱり納得いかない……」 「なまえちゃん考えすぎだからねぇ。こう、絶対に心のままに行動しないって言うかさ」 「それは言えてる」 「自覚あったんだ」 「時には自分を見つめて直すべき場所を自覚しなければ駄目になるからね」 「ホント、可愛くない……」 顎に手の甲をあてて頷いていれば、ささきくんは心底面白くなさそうに脱力した。 「まぁ……なまえちゃんが最初に言ったみたいに、恋なんてもん脆いとは思うよ? 人の心も移ろいやすいし?」 「あら、ささきくんもそう思うかぁ」 「でもね、」 腰に左手をあてて小首を傾げながら話すささきくんは、私の言い分も解っているらしい。それを嬉しく思い私が口を挟めば、彼は右手の人差し指でその名の通り、私の口をピンと指差す。 「恋は愛にもなると、ボクは思うよ?」 「な、なに? いきなりりすせんぱいみたいな……」 「愛は恋と違って脆くないと思うなぁ」 「うっ……」 なんだか急に恥ずかしくなり、必死に話をそらそうとしたが失敗した。なんだ、なんなんだ。この真面目なささきくんは。こんな真面目なささきくん初めて見た。至極真剣な雰囲気にたじろいでしまう。 右足を一歩後ろに下げて身を引けば、横に真っ直ぐと伸びていたささきくんの口が弛む。やがていつもと同じ様な笑みになった。 張り詰められた空気と雰囲気と緊張が一気に解かれ、胸を撫で下ろす。 「因みに」 「うん?」 「まだ納得いかないなら、自分で体験すれば良いよ」 「え、」 私が身を引いた事により手持ち無沙汰なささきくんの右人差し指は、彼自身の口へ当てられる。と同時に、その口は普段より更に意地悪く弧を描いた。 「ボクで良ければ、ね」 「え、え?」 「恋と友情の信頼の差とか、恋が愛に変わる事とか、楽しい事とか色んな事、ボクなら教えてあげられるよ」 「あの……ささきくん?」 「恋の脆さは教えられないし、教えられたくもないけどっ」 「〜っ!」 頭の中で何かが弾けた音が、した。 遠くからささきくんの「あら可愛い」と言う声と「完璧に入るタイミング失ったんですけど……」と呟くりんごの声と「あれは仕方ない。二人は愛を探究し探求しようとしているのだから」と妙に悟った声のりすせんぱいの声が聞こえる。そして物理部皆さんのやたら生暖かい視線。 とりあえず、私は謝ろうではないか。 物理部の皆さん。部室でこんな事やってて本当に申し訳ないと。 それから、今度からささきくんを暇潰しに使うのはやめようと思う。 でも、どんな形にもなれる魔法の感情 |