第1回 | ナノ
三橋くんは嘘をつくのが下手くそだ。毎日やっていた野球を「やめる」と、辛くても絶対に降りなかったマウンドを、今にも泣きそうな顔で「降りる」と言った。

「野球好きなんでしょう?」

昔からボールを追いかけるのが好きだったもんね。投げるのが大好きだったもんね。ボールが落ちただけで泣いちゃう様な、おじさんにも我儘言うくらい大好きだったじゃない。

「好き じゃ、‥」

好きじゃない、なんて。まして、嫌いだなんて言えるわけがないことを知っていて私はずるいことを聞いた。

「好きじゃ、‥」

けれど、嘘をつく三橋くんもずるいよ。泣くのを我慢してる三橋くんはずるい。私の気持ちなんて全然わかってない三橋くんはずるい。三橋くんの中で半分以上を占めてる野球なんていっそ好きじゃなくなってくれた方が、なんて考えてしまう私は、もっとずるい。
私が投げた白い野球ボールは、取ってもらう事もなく三橋くんの足元に転がった。

「三橋くんが野球やめちゃうのは嫌だよ」
「でも でも、 俺は‥!」

頑固。自分で決めた事を譲らないところは長所だし短所だ。他の学校に行くなら、そこで新しい仲間と野球したら良いのに。浜ちゃん達と野球をしていたころの、叶と一緒に野球をしていたころの楽しい野球をしたら良いんだよ。

「三橋くんが野球をやめちゃったら、私は誰の野球をみれば良いの?」
「やきゅ、誰の‥?」

何言ってるの、って顔してる。
私は小さい時からずっと、ずっとずっと、三橋くんが楽しそうに野球をする姿を見てきた。厳密に言うと、三橋くんがしている野球しか見た事がない。野球を見るより公園で友達とままごとをしている方が好きだった私の手を、三橋くんが引いて。そして、「見て」と言ってくれたあの日から、私は三橋くんの野球を見てきた。楽しくて仕方なかった。
「廉ちゃん頑張れ」って言うと、お日様みたいに暖かくてお花みたいに可愛く笑ってくれる三橋くん。
見に行く事を拒まれた中学の試合も、彼にはばれない様に見に行った。辛い顔をしながら投げる三橋くんの事も知ってる。ずっとずっと、見てきたんだ。

「わたしは野球が大好きだよ」
「う ん、」
「それと同じくらい、三橋くんの事も好き」
「俺も‥俺も、好き だ よ‥?」

やっぱり、全然通じない。これでもう何回目だろう。三橋くんと私の間に野球を挟んでも伝わらないのがもどかしい。

「私から、野球をとらないで」
「俺は、‥!」
「私は、三橋くんの野球が見たいの」
「それ は、 ご め、ん‥」

三橋くんは、泣いて、ごめんねと言った。私は、返事をしなかった。

「野球は続けてよ、三橋くん」
「俺 もう、」

三橋くんが好きなの。大好きなの。だから、好きな事をして欲しいと思うの。今、彼に辛い思いをさせてまでこんな事を言っても仕方ないとはわかっていたけれど、私は足元に積もる雪に涙を落としながらそんな事を伝えた。やっぱり三橋くんはごめんねと言った。けれど、けれど、三橋くんが私の事を優しく、触れるか触れないかくらい柔らかく抱きしめてくれたから、私はもう頷く事しかできなかった。三橋くんのコートが、わたしの涙で濡れた。


それから数ヶ月後のことだ。
三橋くんから「甲子園の地区予選の試合を見に来て」とメールが入った。私はまた涙を流す事になったけれど、もう雪はなくて、アスファルトに零れた私の涙はすぐに蒸発していった。
あの日のやりとりは、あまり意味のないものだったのかもしれない。
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