02
けっこう長く眠っていたらしい。 目を覚ますともうそこは下水管ではなく、緩やかに流れる下流の川だった。仰向けで水に浮いたまま空を見れば、細い爪形の月が高く昇っているのが見えた。
救急ケースをちゃんと抱えているのを確かめ、チェック柄のシャツの汚れ具合を見る。
──まあ、合格かな
人狩りに遇って捕まり、矯正施設から脱走し、クロノスでかくまわれ、そこから戦利品を持って帰る。上出来だ。
少し笑うと、ばた足を使って川岸に向かう。長く水に浸かっていたせいで強張る体を叱咤して、道に這い上がった。
雨はもうきれいに上がっていた。台風一過というやつで、夜空は満天の星空、雲ひとつない。生暖かい風が吹いていた。
ネズミは瓦礫のばかりの道に点々と水の染みをつくりながら歩く。 近くに人の気配はなかった。あるのは死体だけ。それらの異臭に顔をしかめ、通りすぎる。 しばらく辺りをさ迷うと、崩れかけてはいるがまだ家の形を保っている建物を見つけた。住人はとっくに逃げ出しているようだ。
──ありがたい
食料をあさり、衣類を掘り起こす。 腹を満たし、毛布にくるまり、救急ケースを抱え、また眠った。
一週間ほどその廃屋にいた。その間に体力は充分に回復し、西ブロックの状況もつかめてきた。
ここ、下流の地域は特に被害が甚大で、被害の少なかったのは上流と中流のあたりらしい。 ネズミはその辺りに住む劇場支配人に狙いをさだめていた。彼はつい最近、支配人に任じられたばかりで、彼の前任はかなりのやり手だった。 西ブロックにおける『やり手』とは、かなり悪どいことも平気でやってのけてきたということだ。新しい支配人がどれだけの強者かは分からないが、なかなか見所はありそうだ。 幸いなことに、劇場も潰れずに残っている。劇場支配人も、劇場も、運には恵まれているようだった。
夜中になるのを待って、ネズミは廃屋を抜け出し、劇場支配人の家へ忍び込んだ。 支配人はまだ帰宅していない。とりあえず寝室の隅で救急ケースを抱え座る。紫苑の部屋から持ち出した救急ケースは、今や全財産ともいえる大切なものになっていた。 ケースから一本、小型だが鋭利なメスを取り出す。メスは月光を弾いて鋭くきらめく。
──こりゃあ、いい。極上のナイフじゃないか。
部屋の隅に滞る闇に身を委ね、ネズミは支配人が帰ってくるのを待った。
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