街のどこかの恋人たち
「紫苑、おそい。2分28秒遅刻」 「ごめん、ほんっとにごめん!でも28秒ってなにそれ、細かいね。どの時点のカウントか気になるなぁ」 「おれの視界に白髪を捉えた瞬間だ。…って、話をそらせても無駄だぜ、遅れた理由を聞かせてもらおうか」 「うあああごめん!車両点検で電車が遅れたんだ、ほらこれ遅延証明書!」 「遅延証明書ね…ふぅん」 「な、なに、ネズミ」 「そんなもので許されると思う?おれは1時間も前から待ってたのに」 「えっ」 「ってことで罰ゲームね。ただいま、陛下の女装が決定いたしました」 「はあっ?ちょ、待ってネズミ、頭冷やして考えよう?おかしいでしょ!ねぇ!」 「はいはい、お手をどうぞ、陛下。エスコートして差し上げましょう」 「待って待ってネズミ、わああああ」
街のどこかの恋人たち
ネズミがぼくの手をひいて鼻歌まじりに連れていったところは、女物の高級ブティック。
「ネズミ、きみまさか本気で…?」 「冗談だと思ってた?」
ネズミはにっこり綺麗に微笑むと、その顔のまま店員さんを呼び止めて、こう言った。
「ちょっと、この子のコーディネートよろしく。服はもちろん、靴からウィッグまで全身揃えて、かわいい女の子に仕上げてくれる?」
その店員さん(そこそこ歳のいった上品な女性だ)は、ネズミを見て表情を改め、神妙に腰を折って了承する。
「かしこまりました。いつもご贔屓賜り、まことにありがとうございます」
さすが、超一流会社の社長息子ともなれば、どこの高級店にも顔がきくんだな、と感心…してる場合なんかじゃなくて! ちょっと待って、それ、了承しちゃうの? ぼくが男って分かるでしょ?見たら分かるでしょ?
彼女がカウンターへ向かってさっと手招きすると、若い女性店員が3人出てきて、ぼくにお辞儀をする。
「どうぞ、こちらへ」
待って待って待って、誤解だ、おかしいでしょ、ほんとに勘弁して、お願いだから!
混乱のあまり言葉も出ず、口をぱくぱくさせながらネズミを見る。 藁にもすがる思いで見つめたのに、ネズミはそれはそれは嬉しそうに笑い、ひらひらと手を振ってくれた。
「いってらっしゃい、紫苑。楽しみにしてる」
そうだった、ネズミに助けを求めても無駄だ、元凶はこいつだった…!
虚しい思いで、ぼくは更衣室へ引き摺られていった。
そしてそして。 あっという間にぼくは女の子に変身させられ、呆然と鏡の前に立ち尽くしていた。
肩にかかる長さ髪の毛(上質で、まるで本物みたいだ)、控えめなフリルのついた白いブラウス、そのブラウスをハイウエストの淡い水色のスカートにインして、低いヒールのベージュのパンプスを履いている。
自分で言うのもなんだけど、鏡に映っているのはどこからどう見ても可愛らしい女の子で、ぼくじゃないみたいだ。
ネズミが呼ばれて、若い女性店員に何か聞かれている。
「お化粧はどうなさいますか?」
ネズミはちょっと待ってと返事をして、ぼくの隣に来る。 ぼくは咄嗟に俯いた。
「ちょっと、紫苑」 「…なんだよ」 「こっち向いてよ」 「やだ」 「見えないだろ」 「いいじゃん」 「じゃあ、化粧頼んでもいいのか?」 「はっ…え?」
油断した隙に、ネズミに顎を掴まれ上を向かされる。
「うん、紫苑可愛い。やっぱりこのままがいいや」 「うっ…」
不覚にも赤面してしまう。 ネズミは、再び俯いたぼくの頭をなでなでしながら、店員さんにクレジットカードを差し出していた。
「メイクはなしで。それじゃ、ここから引いといて」 「ありがとうございます」
会計をすませると、上機嫌なネズミはうやうやしくぼくの手を取って、店を出る。
「それではお嬢さま、どこにお出かけいたしましょうか?」 「…ネズミ、なんだか計画的すぎやしないか」 「うん?なんのこと?」 「とぼけるなよ、絶対画策してただろ」 「そう拗ねんなって。似合ってるぜ。すっごく可愛い」
そんな事を言ってこっちを覗き込んでくるものだから、あわてて顔を背ける。 ローヒールとはいえ、パンプスを履いているのに、まだネズミの視線の方が高いのが悔しい。
「計画してたっていいじゃん」 「…結局肯定しちゃうんだ」 「最初から否定もしてないぜ。紫苑、考えてみろよ、メリットの方が多いだろ?」 「へぇ。例えば?」 「知らないのか?ゲーセンのプリクラスペースには男だけで入れない」 「プリクラ撮らなきゃいいだろ」 「この可愛い紫苑をプリクラに納めなくてどうする。記念に撮るべきだろう。この機会を逃す奴があるか」 「それ、本末転倒だから!やっぱりぼく着替えてくる」 「待て待て紫苑、まだ他にもメリットはある」 「ふぅん?」 「今日は、カップルで行くとデザートが無料で付くお店に連れて行こうと思っていて」 「デザート代くらい自分で払う。ってことで、じゃあ」 「いやいや待て早まるな、まだメリットはある」 「まだあるんだ?」 「もちろん」
得意げにネズミは微笑み、ぼくの手を取る。
「ん?なに、ネズミ」 「ほら」 「なにが、ほら、なんだよ」 「分かんないの?紫苑、にぶいなあ」 「はあ?」
街中でも堂々と恋人繋ぎで歩けるし?
は、ちょ、ネズ…、離せ!
照れなくていいのに…ふふふ
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