出会いは偶然だけで出来ている
ネズミにとって、この賭博場は自分の庭みたいなものだった。 ここで、ネズミに敵うものはいない。 彼はイヴと呼ばれ、カジノのプリンスとして崇拝さえされていた。
そんなある日、見慣れない者を見た。 白髪の真面目そうな少年。
9月7日、少年の誕生日だったその日は、二人の出会った記念すべき日になった。
出会いは偶然だけで出来ている
気の弱そうなその少年は、大勢の野次馬に囲まれ、囃し立てられていた。 どうやら、カモとしてたかられているらしい。 野次馬の一人に聞くところによれば、今行われているチェスは少年自身の身柄が賭けられているそうだった。 チェスボードを見れば、明らかに少年の方が劣勢。しかし、ネズミが打てば、勝てないことはない。 興味をそそられたネズミは、代打ちとして名乗り出た。
「その勝負、ここから先はおれが引き受けよう。…あんた、名前は?」
勝負の見物人たちが、『イヴ』の登場にやんやの喝采を浴びせる。 その喧騒の中でやっと聞き取れるくらいの声量で、少年は名前を呟く。
「…紫苑」 「ふぅん、紫苑ね。花の名前?」
紫苑は驚いたように少し目を見開き、ネズミを見上げる。しかしすぐに瞼を伏せて俯き、こくりと頷いた。 ネズミは紫苑のそばに近づき、その顎に手をかける。 くい、と上を向かせ、視線を合わせる。
「あんた、身柄が賭けられてんだってな」 「……うん」 「手持ちの金は?」 「もう…全部…」 「なるほど」
すっと頬を撫で紫苑の顔から手を離すと、ネズミは紫苑が対峙していた大柄な男に向き直る。
「おれが買ったら、今までこいつからおまえが勝ち取った金を全て、こいつに返してもらおうか。もしおれが負けたら…そうだな、おれで良ければこいつの代わりになってやろう。それでいいか?」 「…イヴ、なんであなたが」
男はいかつい顔を苦々しげに歪める。 対照的にネズミは美しい微笑を浮かべ、ふふんと笑った。
「別に?興味が、湧いたからさ」
ほら、席を替わって…と紫苑に囁くと、紫苑はその美声に思わず顔を赤らめながら、ネズミに席を譲る。
イヴが出てきたのだから、その勝敗の行方はもう決まってしまったも同然で、誰も疑うことはなかった。 はらはらしながら見守っていたのは、この賭博場に不慣れな紫苑だけだっただろう。 そして、勝負すること数十分。
「チェックメイト」
ネズミの静かな声がカジノに響く。 男は悔しげに唇を噛み、紫苑から奪った金を全て放り出す。 ネズミはそれを受け取ると、さっと紫苑の手を取って賭博場を後にした。
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