02


はっと目を覚ます。紫苑はベッドにいた。布団もちゃんと被っている。むくりと起き上がり、目をこする。

「夢、か…」


階下に降りていく。
「あら、おはよう」
母、火藍はもうパンを焼いていた。芳ばしい香りが匂う。

いつもの朝。大丈夫、ぼくはまだ、平穏のなかにいる。
不穏だったのは、夢だけ。
そうだ、たかが夢だろう?

「おは…よう」

食卓につく。火藍から口を開いた。

「最近どう?」
「うん?…ああ、莉莉にまた、ラブレターが届いたよ。今月2通目」
「莉莉ちゃんかわいいものね。でも、面と向かって告白もできないような男はだめだわ」
「そうなの?」
「ええ。担任の先生の方は?」
「まだ続いてるみたいだよ。3ヶ月、記録更新だ」
「じゃあ、そろそろかな」

ふふっと火藍が笑った。紫苑は顔をあげる。

「え?」
「3ヶ月でしょ、このあたりで相手のボロが出るわ。これを越えたら1年はもつでしょうね」

ふうん、そんなものかと頷き、食べ終わった皿を片付ける。

「それじゃあ母さん、いってきます」
「いってらっしゃい」

紫苑は鞄を肩にひっかけ、家を走り出た。

いつもの通学路を走って行くと、沙布と莉莉がいた。
「紫苑、遅いじゃない」
沙布がむくれて言った。莉莉は隣で笑っている。

「え?ご、ごめん」
「遅刻しちゃうでしょ。…ところで莉莉、そのラブレターどうするの?」
莉莉の方へ向き直って、沙布が言う。
紫苑は呑気に助言してみる。

「面と向かって告白できないような人はだめなんだって。母さんが言ってた」

ああ、と沙布がうなづく。
「紫苑のお母さま、かっこいいものね」

莉莉は苦笑する。
「そんなふうに割りきれたらいいんだけど…」


ホームルームが始まる。
30代未婚、英語の女性教師は教壇に仁王立ちして、厳かに言う。

「今日は皆さんに重大なお話があります」
ひとつ咳払いをする。教室が静まりかえる。
生徒を見回し、先生は一気にまくしたてた。

「目玉焼きは堅焼きですか半熟ですか、はい、中沢くん!」

びしっ、とタクトで一人の男子生徒を指名する。あてられた生徒は反射的に右手を上げて返事をする。

「は…え?えぇと、ど、どっちでもいいと思います」
「そう!どちらでもよろしい!」

先生は鼻息荒く肯定する。

「卵の焼き加減で女性の魅力が決まるなんてありえません!女子生徒諸君、くれぐれも『半熟じゃないと食べられない〜』などとぬかす男とは交際しないように!男子生徒諸君、決して卵の焼き加減に難癖つけるような男になっては、いけません!!」

ボキッ。
先生の手にあったタクトが真っ二つに折れた。

「だめだったのね」
後ろの席の沙布が紫苑にこっそり耳打ちする。
「だめだったんだね」
生徒達から、呆れを含んだ笑いがさざ波のように起こった。
また、この担任は彼氏にふられたようだ。しかも、卵の焼き加減で。

「はい、それから」
先生は気を取り直して話を続ける。
「今日は、転校生を紹介します。はい、イヴくん、いらっしゃい」

生徒達が驚きと期待にどよめく。

「そっちが後回しなんだ…」
沙布が呆れてそう言った。


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