ヒミツは甘い蜜の味
ネズミは後部座席に乗せられ、不満そうに口を尖らせる。
「せんせ、おれ、助手席がいい」 「え?だめだよ」 「なんで」
こころなしか頬を膨らませているように見えるネズミがバックミラーに映り、紫苑は思わず吹き出した。
ヒミツは甘い蜜の味
紫苑が笑うと、ネズミはますます拗ねてしまい、ぷいと窓の外へ顔を背けた。
「危ないからだよ、ネズミ」
紫苑が声をかけても外を見たままで返事もしない。 でも意識はこちらへ向かっているのは、分かっている。 だから紫苑は言葉を続けた。
「事故を起こした時、助手席は、一番危険だ。運転者は危険を感じたとき、とっさに自分が避けようとするからね。今日は雨も降ってるし、君を怪我させるわけにはいかないから、安全な後部座席に座ってもらわないと」
噛んで含めるように諭す。 すると、ようやくネズミがこちらへ向いた。
「紫苑先生ってさ」 「うん?」 「…やっぱり、なんでもない」 「はぁ?」
それきり、ネズミは黙った。しかし、視線は自分から離れないのを感じる。 バックミラーに映るネズミの端正な顔を時々見遣りながら、紫苑も黙って運転する。
車内の沈黙。 同乗しているのがネズミだからか、不思議と気まずさはない。 むしろ、独りでいる時にはない、他者の暖かみが空間にあり心地よい。
「ねぇ」
ネズミのしなやかな声が、柔らかく沈黙を破った。
「なに?」 「髪、綺麗だね」 「え?」 「透明で、光を弾いて、綺麗な色だけが映ってる。艶やかで、綺麗な髪」 「…昔は黒かったんだけどね」 「ふぅん」
前方に、赤信号が見えた。 ゆっくりと速度を落とし、滑らかに停止する。
ネズミが後ろから腕を伸ばす。長い指が白髪に触れた。 何度か髪を鋤かれ、くい、と引っ張られる。
「こら。危ないだろ」 「まだ赤じゃん」
叱責も軽く笑いとばし、ネズミは紫苑の髪を弄ぶ。
白髪は紫苑にとって、コンプレックスのひとつだった。
学生の頃、奇病を患い生死の境をさ迷い、奇跡的に生還した。 その代償として色素を失い、体には奇怪な蛇模様が現れた。
気持ち悪い。気味が悪い。近寄るな。
さまざま負の感情、差別を受けた。 転校し、髪を染め、病弱な生徒を装い一年中冬服をキッチリ着た。 人と話すのを恐れ、極力一人でいた。
そのせいで、転校先でも周りに変人扱いされる紫苑に、唯一近付いたのが羅史だった。
「黒髪より、ずっと綺麗だ」 ふいに、ネズミが耳元で囁いた。 不覚にも背筋に震えが走る。 吐息のような、少し掠れた美しい声。
その時、折よくパッと信号が青に変わった。 車を勢い良く発進させると、慣性の法則のせいで、ネズミは後部座席にしりもちをつく。
「うわっ」 「あ、ネズミ、ごめん。つい」 「いてて。びっくりした」 「ほらね。だから、危ないって言ったでしょ?」
しかめっ面をするネズミがおかしくて、ふっと紫苑は笑う。
ネズミは、不思議な子だ。 羅史と違い、紫苑について何も聞かない。たずねない。 挑発はするけれど、ずかずかと無遠慮に紫苑のテリトリーに踏み込むようなことはしない。
「……キスマーク?」 唐突に、ネズミが小さく声をあげた。 「は?何だって?」 「あれ?あ、違うんだ、これ」
またネズミは身を乗り出し、紫苑の首筋へ顔を近付ける。
「ちょっ、ネズミっ」 首の蛇模様を舐められる。 びっくりした瞬間、車も蛇行し、黄色い車線にタイヤが引っ掛かりブゥーッと音が鳴った。
「あははははっ」 後部座席ではネズミが腹を抱えて笑っていた。
ネズミっ、それは、本気で危なって
はははははっ
事故ったらどうすんだよ!
甘かった
は?
甘い味がした
…はぁ。
艶っぽい痣を持ってんだな キスマークじゃなくて安心した
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