03
同日の夕方、さまざまな音楽が混ざりすぎて雑音と化したゲームセンターの中。
「イヌカシ」
耳に襲いかかるような騒音をくぐり抜け、静かな声がイヌカシの名を呼ぶ。
ポッキーを食べながら、イヌカシはタップダンスのようなゲームに熱中していた。 しかし耳は確実にネズミの声を捉える。 パネルを踏む足の動きは止めないまま、振り返りもせずイヌカシは言葉を返す。
「ああ。おまえさんは、昼間の…」 「魔法少女には、あんたみたいな奴がふさわしい」
前置きもなしに、ネズミは喋り出す。 イヌカシは面食らったが、黙ってネズミの話を聞く。 相手の出方を見極めるため、従順なふりをして話を促す。
「へぇ?」
右手に持った箱から一本、ポッキーを食べる。
「だからこの街はイヌカシ、あんたに任せたい」
イヌカシはポッキーを口の端にくわえたまま、言葉を返す。
「あいつはどうすんだよ。既に魔法少女、いるんだろう。沙布っていったっけ」 「彼女は、おれがどうにか説得する。だからおまえは手を出すな」
ふぅん、と適当に相槌を打ち、もう一本ポッキーを口に含む。 その間も、イヌカシの足は音楽のリズムに合わせて正確にパネルを踏む。 ネズミは話を続けた。
「もうすぐ、ワルプルギスの夜が来る」
ぴく、とイヌカシの耳が反応する。
ワルプルギスの夜。 Walpurgisnacht(ヴァルプルギスの夜)…またはHexennacht(魔女の夜)と呼ばれるそれは、五月祭前夜の4月30日の夜のこと。 その夜、魔女たちはブロッケン山で集い、彼らの神々とお祭り騒ぎをする。
ブロッケン山とは中央ドイツ北部にあるハルツ山地の最高峰であり、そこでは、見る人の影の周りに虹に似た輪が現れる不思議な自然現象(ブロッケン現象と名付けられている)も起こる。
ゲーテの戯曲でも、悪魔メフィストフェレスは一時の気晴らしにファウスト博士を魑魅魍魎の饗宴ワルプルギスの夜へと連れて行く。
そして、ここでネズミが語ったのは、魔法少女の歴史上で語り継がれる、単独では対処する事ができない超弩級の大型魔女のことだった。
『ワルプルギスの夜』と呼ばれる魔女は、他の魔女と異なり結界に身を潜めることはなく、見える悪意による物理的破壊などの影響を及ぼす存在だ。
具現化しただけでスーパーセルを引き起こし数千人単位の犠牲者を出すとされていた。
「…へぇ。ワルプルギスの夜が来るんだ。どこに?」
イヌカシの声が、僅かに震える。
「この街に」 「いつ?」 「二週間後」 「なぜ、それが分かるんだ?」 「統計だ」
統計? 過去の歴史の集計すれば未来が読めると?
「そして、現れる具体的な場所は、このあたり」
ネズミは手帳から地図を取り出し、赤く印を付けた場所をイヌカシの目の前に突き付ける。 イヌカシはそれを注視し、ふんと鼻を鳴らした。 ステップは止めず、息も切らせずに言い返す。
「一介の魔法戦士であるおまえさんに、なぜそこまで分かる?信じられるか。過去の統計で未来が読めるわけないだろ」
「おれの統計は、過去のものじゃない。全部『現在』を統計した結果だ」
「ああ?なんだと?」 「信じなくてもかまわない。ワルプルギスの夜がまもなく直撃するのは事実。だがおれ一人では勝てない」 「ああそうだろうな。」 「イヌカシ。力を貸してくれないか」
「…そういえば、まだ聞いてなかったよな」
突然、イヌカシがさっと振り返り、ネズミの灰色の目を捉える。 挑発を含んだ声音でネズミに問う。
「おまえさん、何者だ?」
イヌカシが振り向いたのは一瞬で、またすぐゲームのステップを踏むためネズミに背を向ける。
くすっ。 ネズミは密やかに笑った。
「おれは、ネズミ」
笑みを浮かべた顔とは裏腹に、一切の感情を排した声でネズミは言う。
「ワルプルギスの夜を倒せたらこの街を去っていく」
だから、おまえに害は及ぼさない。 おまえのライバルにはなりえない。
タンッ。 イヌカシが最後のステップを決める。ゲーム機の画面が『YOU WIN!!』と輝いた。
イヌカシは体を回しネズミと向き合うと、ポッキーの箱を差し出しニヤリと笑った。
「その話、乗った。一緒にワルプルギスの夜を倒そうぜ」
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