01


雲ひとつない夜空にぽっかりと浮かぶ満月が、煌々とあたりを照らす。沙布の住むマンションの噴水にも月光がさらさらと降り注ぎ、美しくも怪しい風情を醸し出していた。
沙布はその庭には脇目もふらず大股で通り抜け、自分の部屋に直行する。その足下を当然のようにフェネックがちょろちょろとついて歩く。

沙布は自室の真っ暗なスタンドに明かりを灯し、それ以外は点けないまま、言葉も無く薄暗い部屋で立ち尽くす。
帰路ずっと握りしめていたソウルジェムを、おもむろに机に乱暴に放り投げる。
からん、と金属音をたててソウルジェムは転がり、机に広げられたままになっていた教科書に当たって跳ね返る。
フェネックは身軽に机に飛び乗り、ソウルジェムをキャッチする。

『沙布、これを乱暴に扱っては…』
「騙してたのね、わたしたちを」

たしなめるフェネックの言葉を、沙布は乱暴に遮る。
フェネックは一瞬だけきょとんと首を傾げたが、すぐに沙布の言わんとする意味を解し、表情に乏しい顔を沙布に向ける。

『私は魔法少女になってくれってきちんとお願いしたはずだがね。実際の姿がどういうものか、説明は省略したけど』
「いけしゃあしゃあと!恥を知りなさい!」

悪びれないフェネックの言葉に怒りを煽られた沙布は、手近にあった勉強椅子をなぎ倒す。
そのまま、机にちょこんと座ったフェネックの両脇に、殴り付けるような勢いで両手をつく。

「なんで教えてくれなかったのよ!」

沙布の怒号にも何ら動じることなく、フェネックは言葉を紡ぐ。

『訊かれなかったからさ。知らないなら知らないままで、何の不都合もないからね。事実、あの山勢でさえ最期まで気がつかなかった』

山勢が命を落としたのは、なにも首が胴体と切り離されたからではない。肉体の損傷に関する事は、魔力で回復することができる。
致命的だったのは、魔女に頭と共にソウルジェムを砕かれてしまったことにある。
ソウルジェムを砕かれたせいで、山勢は命の源を奪われたのだ。

『そもそも人間は、魂の存在なんて最初から自覚できていないんだろう。そこは神経細胞の集まりでしかないし、そこは循環器系の中枢があるだけだ。そのくせ人間は肉体の生命が維持できなくなると精神まで消滅してしまう。そうならないよう、私は君たちの魂を実体化し、手にとってきちんと守れる形にしてあげた。少しでも安全に魔女と戦えるようにね』

こんなに親切なことをしてあげたのに、なぜ君たちは怒るんだろうね?
さもそう言わんばかりの顔で見つめられ、沙布の頭にさらに血がのぼる。

「大きなお世話よ!そんなこと…っ」
『きみは戦いというものを甘く見すぎだよ』

はあっ、と芝居がかった溜め息を吐き、フェネックは呆れたように首を振る。

『例えばお腹に槍が刺さった場合、肉体の痛覚がどれだけの刺激を受けるかっていうとだねぇ…』

フェネックは机に転がった沙布のソウルジェムに軽く触れる。
すると、ソウルジェムが青く発光し、沙布の脇腹に激痛が走った。

「つっ、ぁ…かっ、はぅ、あっ、あああああっ」

脳裡に、イヌカシとの戦いの序盤、槍をまともに腹に受けた時の事がフラッシュバックする。
あの時も痛かったが、今の痛みはそれの比ではない。

「ぐっ、ああっ、あああ…」

焼けるような余りの痛みに足腰が立たない。沙布は腹をかかえて床にくずおれる。

沙布の苦しむ姿に心を痛めた様子もなく、フェネックは駄々をこねる子供を諭すように言う。

『これが本来の「痛み」だよ。ただの一発でも動けやしないだろう?』

これが、本来の、痛み、なのか。

痛みのあまりうまく回転しない脳みそで沙布は思う。
フェネックはようやく沙布のソウルジェムから手を離す。
痛みの衝撃はすぐには退かず、傷の癒えたはずの腹はじくじくと痛み、息は切れたままだ。

『君がイヌカシとの戦いで最後まで立っていられたのは、強すぎる苦痛がセーブされていたからさ。君の意識が肉体と直結していないからこそ可能なことだ。おかげできみは、あの戦闘を生き延びることができた…』

これで、ソウルジェムに魂を入れ換えることの大切さが分かったかい?

フェネックはひらりと床に飛び下り、床に転がったままの沙布の目を正面から見据える。

『慣れてくれば完全に痛みを遮断することもできるよ。もっとも、それはそれで動きが鈍るからあまりお勧めはしないけど』
「…な…んで…、どうして、わたし達をこんな目に…」

おや、と驚いたように、フェネックは心持ち身をひく。
それからフェネックは小首を傾げ、大きな白い尻尾を、ぱたりと揺らす。


『戦いの運命を受け入れてまで、君には叶えたい望みがあったんだろう?』


莉莉の命を救う、という望み。


『それは間違いなく、実現したじゃないか』


生き返る望みのなかった莉莉は、いまちゃんと生きている。


わたしが人間の体を失ったかわりに、莉莉は明るく生きている。


それが、わたしが自ら望んだ、

たったひとつの奇跡。


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