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来週の土曜の2時から6時、空けてて。家まで行く。ネズミ

紫苑先程から、このメッセージを何回も何回もおまじないのように頭の中で反芻していた。

土曜の2時から4時。
指定の2時まで、あと10分を切った。

ふと、おかしくなる。
要点だけ書かれたメモ。「元気か?」の一言もない。
空けてて、と一方的な指示。紫苑に拒否権はない。もし都合が悪くても、こちらから連絡を取る術はないのに。紫苑はネズミの電話番号もアドレスも知らない。

だが、そんなところもネズミらしい。
たとえネズミに約束をすっぽかされたとしても、紫苑は怒らないだろう。
トップアイドルのイヴのことだ、急な用事が入っても不思議はない。

2時まで、あと5分。
紫苑は目を閉じ、ゆっくり息を吸い、肺いっぱいに酸素を取り込んだ。
緊張しすぎて呼吸が浅くなっているようだ。いけない、途中で貧血を起こして倒れたりなんかしたら、ネズミにどれだけ馬鹿にされるか。そんなこと、目に見えている。

吸って、吐いて。吸って、吐いて。
紫苑が深呼吸を3回ほど繰り返したところで、パン店の扉につけられたベルと鈴が鳴った。

ちゃりちゃりーん。からん、ころん。

その音を待ちわびていた紫苑の耳には、それらの可愛らしい音は雷のように轟いた。

ネズミが来た!

用意していたショルダーバッグをひっつかみ、階段を駆け降りる。
果たしてそこには、イヴが立っていた。

「ひさしぶり、紫苑。待たせたな」

ひらりと粋に手を振り、イヴは華やかに笑う。セットしたショートボブの髪が、薔薇色の頬の横でふわりと揺れた。
紫苑はその姿を一目見るなりその場に立ち尽くし、感嘆のため息をつく。

「ネズミ…かわいいね」
「今は、ネズミじゃなくてイヴだろ?」
「あ…そうなの?」
「…ていうか、この格好、かわいい?」
「う…うん。今までのイヴのイメージとは違うけど、やっぱりかわいい」

ふうん、と耳の横の髪をいじりながらネズミは…イヴは面白くなさそうに視線を足元に落とす。

今日のイヴの格好は黒ずくめで、確かに今までとは傾向は違った。
今までのイヴがソフトな天使のイメージとすれば、今日はシャープな悪魔といったところか。
ほとんど黒に近い濃灰色のワイシャツのボタンは全開で、つやつやした黒のインナーを見せている。その上から金具のたくさん付いた襟元の立ったジャケットを着ている。首からは鎖のようなネックレスが下がっていた。
ボトムは黒の短パンで、太めのベルトで締めている。ベルトからは鍵束や南京錠が垂れていた。
短パンから下は白く滑らかな太ももがさらされ、ニーハイの黒ソックスはガーターベルトで留められていた。

細身のイヴには、その格好は大変よく似合っていて、掛け値なしに可愛らしかった。腰のくびれまであるように見える。さすがに胸はないけれど。
何が彼の機嫌を損ねてしまったのかと、紫苑は首をひねる。

「おれ、今日の服装はボーイッシュを狙ったんだけど」
「あ、うん、そっか。かっこいいよ」
「おそい」
「え…と。でも、それ、女物の服でしょ?」
「もちろん。だってイヴだから。おれ、制服以外は女物しか持ってないし」
「そうなんだ。かっこいいけど、やっぱりかわいいよ、イヴ」

膨れっ面で拗ねるイヴがかわいくて、紫苑は幸せに笑う。
それを見て、イヴはさらに眉を寄せ、顔を赤くする。
その矛盾した表情を見て、ああ、不機嫌になったんじゃなくて照れたのか、と紫苑はようやく気付いた。

「…あんた、たいしたプレイボーイだったんだな」
「え?」
「自覚がないなら天然タラシか…」
「なんのこと、イヴ?」
「もういい。ほら、もう行くぞ」

イヴは顔を赤くしたまま紫苑の手をひき、店の前に停車させていた車に乗り込んだ。
運転席には、山勢が座っていた。
山勢は乗ってきた二人を振り返ると、穏やかに微笑んだ。

「では行きますよ、お二人さん」


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