04
シャワーを終え、ドアを開けるとそこは──予想の範疇ではあったが──散々に散らかされていた。 床にはCDとDVDのケースが散乱し、部屋にはイヴの歌がかけられている。 ネズミはミュージックプレイヤーの前に座りこんで、しげしげとCDジャケットを眺めていた。それは、イヴのデビューシングルのCDだった。紫苑が一番大切にしているものだ。 紫苑は頭に血がのぼるのを止められなかった。
「ネズミ!触るなって言っただろ!」
大股でネズミに近づき、その手からCDケースを取り上げる。
「…あんた、見かけによらずミーハーだったんだ」
ネズミは唇を歪め、笑おうとして失敗し、ふんと鼻を鳴らした。それがまた、紫苑の癇にさわる。
「だからどうした!触るなって言っただろ」 「おれはべつに、約束してない」 「そうじゃなくて…、そもそも、礼儀じゃないか!」 「は?礼儀?」
ネズミは小馬鹿にしたように片眉だけ器用に持ち上げる。 それはまさに、あからさまな挑発だった。紫苑の堪忍袋の緒が切れる。
「ネズミ!」
喧嘩など、生まれてこのかた一度もしたことがない。なのに、紫苑は我を忘れてネズミに飛びかかっていた。 だが、相手の動きの方が遥かに素早かった。 紫苑が伸ばした手は難なく払われ、逆に胸ぐらを掴まれる。そのままくるりと反転させられ、気がつくと床に押さえつけられていた。ネズミにのし掛かられ、ぴくりとも動けない。
「…すごいな、きみ」
ぽろりと、感嘆の言葉がこぼれる。 あまりの早業に驚き、怒りは既にどこかへと姿を消していた。
「きみってプロなの?護身術とか習ってるの?」 「…は?」
虚をつかれ、ネズミの灰色の瞳はゆっくり瞬く。 濡れたままの前髪が重力に引っ張られて垂れ、紫苑の顔に水滴が落ちてくる。 ネズミの被っていたタオルは、先ほどの一連の動作で床に落ちてしまっていた。 顕になったその顔を見上げ、紫苑は不思議な感覚にとらわれる。既視感。その顔を凝視し、はっと紫苑は息を呑んだ。
「……イヴ?」
ありえない。彼女が、ここにいるはずなど。 だいたい、こいつは男で、しかも髪はざんばらで、無一文で嵐の日に外をさまよっていた、得体のしれないやつだ。
ありえない。
だが、そっくりだった。 その顔の造作も、すっと通った鼻筋も、形の良い唇も、きれいな歯並びも、灰色の瞳も、そして何より…誰もが惹き付けられるような魅力を持つ声音も。
「…あんたが、イヴのファンだったのは誤算だったな」 「え?」 「他言は許さない。おれがここにいることは、誰にも言うな」 「え…えと」 「そのかわり、おれも喋らないでいてやるから」 「は?何を…」 「あんたが雨のなか踊り狂ってた事だよ」 「なっ…」
ふふん、と今度は上手に笑い、ネズミは紫苑の上から降りた。 紫苑は羞恥で真っ赤になりながら、痺れた体をそろりと起こす。
「びっくりしたぜ。優等生で通ってるらしい紫苑くんが、馬鹿みたいに踊ってんだもんな。こんなふうに…」
楽しげにネズミはくるりくるりと部屋の中を踊り出す。 そして、美しい声音で歌を口ずさみ始める。 それはまさしく、紫苑が焦がれてやまないイヴの声だった。
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