03


母には、遠方から通うクラスメイトが電車が止まって帰れなくなった、と説明した。
あなたがお友だちを連れてくるなんて珍しいわね、と驚きながらも、母は快くそいつを泊めることを了承した。
今は台所で、うきうきと腕をふるって、夕食やらデザートやらを作っているようだ。

シャワーは先にそいつが浴びた。
その間に紫苑は、自分の部屋をざっと整理する。
もともと殺風景な部屋だ。不必要なものはほとんどなく、効率よく整頓もされている。
けれど、いつも聴いている、あるいは観ているイヴのCDやDVD、雑誌類は机の上に出ていた。
それらを丁寧に棚に戻し、日除けのカバーを被せる。

シャワーから出てきたそいつに、部屋のものはいじるなよ、と念を押す。

「へぇ、いじられたら困るもんでもあるわけ?」
「はあ?」

紫苑は思いっきり眉をひそめる。
そいつは紫苑のそんな表情を気にもかけず、皮肉っぽく笑う。

「ふふん。ベッドの下にエロ本隠してあったりして」
「…気になるなら覗いてみれば?ないよ、そんなもの」
「つまんないの。じゃ、ベッドのマットの隙間に現ナマとトカレフを潜ませてあるとか?やばくなったら、それひっつかんでトンズラ」

頭にタオルを被ったまま、そいつは紫苑をせせら笑う。
タオルの下に隠された髪の毛から、ぽたぽたと水滴が垂れていた。
それらは紫苑の貸したパジャマに、不思議な模様を作っていく。

「…ぼくが犯罪者に見えるか」
「まさか。とてもじゃないけど、あんたみたいなのには無理だね」
「なら言うなよ」
「ちぇっ、冗談の通じないやつ。でも面白いからいいや。からかい甲斐がある」

言葉とは裏腹に、たいして面白くもなさそうにそいつは言い、紫苑の部屋に入っていく。
ちゃんと髪拭けよ、とドアの向こうに声をかけ、紫苑も風呂へ向かった。

熱いシャワーを浴びながら、紫苑は考える。

あいつは、誰なんだろう。
名前は…名前は、ネズミと言っていた。
不思議な名前だ。本名であるはずがない。

だが紫苑は以前、クラス名簿に『ネズミ』という名前が載っているのを目にしていた。
その時奇妙だと思ったから、よく覚えている。
明らかに偽名だと分かるその名前を、学校側は何故問題なく処理しているのだろう?

体温よりいくぶん高い温度の水滴が体を滑り落ちていく。
それと共に、複雑に絡まりあう考えも洗い流されていく。
紫苑は蛇口をひねり、シャワーを止める。考えることも、一旦中止する。

何にせよ、ネズミという少年が普通ではないことは確実だ。彼の背後には十中八九、組織が絡んでいる。
きっと、彼はそこから逃げ出して来たのだろう。おそらくは、その組織の意図に反して。
でなければ、こんな嵐の日にたった一人でさまよい、見ず知らずの他人である自分に助けを求めるはずがない。

それに、あの印象的な灰色の瞳。
イヴと同じ目の光。

あの瞳に一瞬心を奪われ、囚われたことは事実だった。
だから思わず、明らかに不審なあいつを、家に招き入れてしまった。

面倒事に巻き込まれなければいいが、と紫苑は思う。
けれどその考えとは全く別のところで、自分がけっこう楽しんでいることに、紫苑は気づかないわけにはいかなかった。


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