02
その日はまるでスコールのような豪雨だった。警報が出されたため、授業は午前中で終わった。
前髪から雨の滴が垂れてくるのを払いながら、紫苑は足早に帰路についていた。 滝のような雨が、地面に叩きつけられては跳ね返ってくるせいで、紺色のズボンは濡れて真っ黒になっている。加えて、時折突風が吹いて横殴りの雨が傘の中まで吹き込んでくる。 紫苑のワイシャツは雨を含み、不快にべたりと肌に貼り付いていた。 傘をさしていてもたいして意味がない。 風に煽られて傘をだめにするのも癪なので、紫苑は黒いこうもり傘をたたみ、潔く雨に打たれて帰ることにした。
自然のシャワーを浴びるのは、なかなかに爽快だった。思わずスキップをしながら踊るように走った。端から見たら間違いなく正気を疑われる。 だがそんなことにはお構い無く、紫苑は愉快で最高の気分だった。
家まであと数十メートル、というところになってやっと、紫苑は立ち止まった。灰色の雨雲が一面に広がる空を見上げ、目を瞑る。痛いほどに打ち付けてくる雨粒が、今は心地よい。高揚した気持ちを落ち着けてくれる。
しばらくそうやって突っ立っていると、急に腕を掴まれた。
「え?」
何事かと思って振り返る。ずっと立っていたから、近所の人にでも怪しまれたのだろうか。
「あんた、家はこの近く?」
だがそこに立っていたのは、紫苑と同じ制服を着た男子生徒だった。彼も傘をさしておらず、雨に濡れるままに任せていた。長めのざんばら髪から、雫が次から次へと肩に滴る。ほとんど顔を隠してしまっている前髪の間から、今の空と同じ色の目が覗いていた。
イヴと同じ瞳だ。
紫苑は束の間、魅入られたようにその瞳を凝視した。
「ねぇ、聞こえてる?白髪のぼっちゃん」 「…ぼっちゃんじゃない。紫苑だ」 「ふぅん。じゃっ、紫苑。もう一度聞く。あんたの家って、この近く?」
その少年は、僅かに苛立っていた。紫苑の腕を握った手に、少し力が入った。
「そうだよ、あそこの家。…なんで?」 「悪いんだけどさ、今日泊めてくれない?この雨で電車止まっちゃって、帰れないんだよね」
こんなに偉そうに人に──しかも初対面の他人に──ものを頼む奴に初めて会った。 泊めてくれだなんて、親しい友人に頼むのにさえ、心苦しく思うだろう。少なくとも紫苑なら、遠慮する。 紫苑は当然のことながら不審に思い、少年をまじまじと見た。
「…きみ、名前は?同じ高校なんだよね」 「ネズミ。ちなみにクラスはA。1年生だ。あんたは?」 「え…同じクラスだ。でもきみのことは、見たことないな」 「嘘はついてないぜ。まっ、学校に来たのは今日が初めてだけど」 「あっ…」
思い出した。紫苑のクラスには、入学してから一度も学校に来たことのない不登校生がいたのだ。 しかしまた、よりによって何故こんな天候の荒れた日に初登校しようと思ったのだろう。 紫苑の顔色を読んだのか、ネズミはふふんと皮肉げに笑った。
「ま、いろいろあってね。で、泊めてくれない?無理そうだったら、他を当たるけど」
他を当たる、だって? 嘘だ。 現にいま、通りすがりの男子生徒を捕まえて、雨宿りを頼んでいるのに。 少年の言葉は、ただの強がりだと思った。
「いいよ。家に来なよ」
迷惑なはずなのに、気がつくとそう言っていた。
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