無色透明の未来 わぁっという歓声と拍手とともに、砂糖菓子のように可愛らしい女の子が壇上に姿を現す。 MCをつとめるピエロが、節をつけた口調で紹介を始める。 「そしてそして!お次は我らが歌姫による、ハラハラドキドキの綱渡り!さてさて…」 少年はその少女を見て、虚をつかれて目を見開く。 え?綺羅? 少年はその解説もおざなりに、少女を見つめる。 短い金髪はつむじのあたりで高く縛られ、小さな羽根つき帽子をちょこんと斜めに被っている。 袖口をしぼった半袖のブラウス、首元にはリボン、ふわふわのチュチュ、フリルをあしらった手袋。 おまけに、小さなレースの日傘まで持っている。 掛け値なしに可愛い少女。 何度見直しみても、それは間違いなく綺羅だった。 ピエロの話が終わる。 場内の照明が落ち、スポットライトがステージの綺羅を照らし出す。 綺羅はゆっくりと梯子を登り、頭上13メートルの高さに設置されたロープを目指す。 綺羅が、ロープへ片足をかける。 綱渡りの始まりだ。 会場は、しんと静まり返る。 一歩、二歩、三歩。 ふっ、と空気が震えた。 「Old Mother Goose,」 唄、だった。 手にした日傘を優雅に開き、綺羅は唄っている。 有名なそのメロディーを、ゆったりとしたテンポで。 透き通るような、澄んだ美しい声。 それは少年の心にすぅっと染み込んでいくようだった。 「When she wanted to wander,」 きしっ。 ロープがたわんで、かすかに音をたてる。 「Would ride through the air On a very fine gander. 」 綺羅はくるりと傘を回す。ふわっと持ち上げ、落とす。取手がロープに引っ掛かる。 ほわん、とロープが揺れた。 会場の空気も、揺れる。 綺羅はにっこり笑うと、ロープの上でステップし、再び唄い出す。今度は振り付けも交えて。 「Jack's mother came in, And caught the goose soon,」 ぽんっ、と綺羅はジャンプした。 次の瞬間、観客は綺羅がロープへの着地を失敗したのかと思った。しかし綺羅は、右手でロープを掴んでぶら下がる。 客席がどよめく。 「And mounting its back,」 ぶらん、ぶらん。 両手でロープを掴み直すと、綺羅は振り子のように揺れ出した。鉄棒をしているみたいだ。 ぶんっ、と反動を付けると、綺羅はロープを一回転した。 そのまま、くるり、くるり。 鉄棒でいう、大車輪だ。 綺羅はその勢いのまま、ロープから手を離す。放り出されるように、綺羅の体が宙に浮く。 ひっ、と少年は息を呑んだ。 あぶない! 客席から、いくつか悲鳴が上がる。 綺羅は、空中で体を丸め、一回転した。軌道が変わる。綺羅はまたロープを両手で掴む。今度は逆上がりの要領で回転し、再びロープの上へ立った。 両手を広げ、唄の最後の言葉を紡ぐ。 「Flew up to the moon.」 一瞬の静寂の後、会場はやんやの喝采となった。少年も夢中で手を叩く。 ぱっと場内のライトが戻る。アップテンポの音楽が流れる。 リズミカルな明るい声で、綺羅は唄う。 「マザーグースのおばさんは 散歩がしたくなったとき 元気なガチョウにまたがって 空中飛び回るんだとさ」 綺羅はもう、ロープの半分以上を渡っていた。 ああ、もうすぐ綱渡りが終わる。 なんだか、もったいない気がした。もっと、綺羅のショーを観ていたい。もっと、綺羅の歌声を聴いていたい。 「ジャックのママがやってきて すぐさまグースを捕まえた それから背中にまたがると 月まで飛んでいったとさ」 少年にとって、未来は不安を詰め込んだものだった。 明日が怖い。きっと、今日より悪いに決まっている。 そこにはいつも、濁色のイメージが横たわっていた。 いや違う。 そう思えるようになったのは、綺羅という少女と出会ってからだ。 未来は無色透明なまま、待っている。 透明な綺羅の声が、少年の心を浄化する。 大丈夫、怖くない。 澄みわたった歌が終わる。綱渡りも終わる。 観客は沸き立ち、会場は拍手喝采に包まれた。 |