始まってしまったものには、いつか終わりが来る。当たり前のことなのに、あまりにも寂しいことだから、無意識に考えないようにしていたのだろう。或いは、忙しさにかまけて忘れたふりをしていたのか。まるで他人事のようだ。過ぎ去ってしまった己など、自らとして省みるにはあまりに遠く感じる。埃っぽい空気が私を厭世的な気分にさせた。独りになる為に、此処を選んだのは失敗だった。いっそ黴臭い。私が根負けして退散する前に、重い扉は外から開かれた。新鮮な空気が流れ込んできて、呼吸が少しだけ楽になる。差し込む陽光の眩しさを理由にして、私はそうっと目を閉じた。
「早かったね、かくれんぼだったら次は私が鬼かな?」
必死に探してくれていたのだろうということは、雰囲気から十分に伝わった。だからこそ、大典太の表情を見る訳にはいかくなってしまう。彼の憂いを含んだ麗貌はいつも私の心を決壊させ、必要のないことを口走らせる。
「俺に見付かりたくないのなら、此処に隠れるのが一番だからな」
敷地の最奥にある、普段使われていない蔵。私が赴任してきてから三年になるが、骨董の類が収められていたことは今日知った。そもそも此処に蔵があることを認識したのも最近のことである。私より先に気付いていた大典太が厭わしげに話題に上げるまで、知らなかった。彼の蔵嫌いは筋金入りだから、此処に隠れていれば安泰な筈だった。逆に言えば、蔵にしか逃げ場がないということだ。要するに、彼に見付かったのは必然で、私はこんな遣り口しか知らないのだった。
「すまんな、探しに来たりして…」
どうして彼の物言いは傷付いていることを逐一端的に伝えてくるのだろう。そして私はその感情の機微を敏感に察してしまうのか。古びた倉庫に答えが仕舞われている筈もなく、結局私はいつものように、素直な言葉で彼を抉りにかかるのだ。
「見付けてくれて嬉しかったよ」
最初に大典太を見付けたのは私の方だ。彼がそれをどう感じたかなんて、知らないが。あれから二年以上経つなんて信じられないくらい、鮮明に思い出せる。なんて格好良いのだろうと目を奪われた、あの日の儘。彼は変わらず私の傍にあって、私の心を狂おしく乱す。
「でも、明日からは私のこと、探しちゃ駄目だよ」
もう見付からないからね。言い添えてやったら、息を飲む気配がした。まだ目は開けない。
「…わかってるよ」
審神者が代替わりするのが、当たり前になって久しい。斯く言う私もこの本丸の何代目かの主人だ。引き継ぎは刀剣男士を通じて行われるから、前任者がどんな人物だったのか、私は知らない。任期には個人差があるとしか教えられていなかったので、三年という期間が妥当なのかどうかすらわからない。その霊力に翳りが見られ始めた時、審神者は死ぬ運命なのだ。普通の女の子に戻ります、なんて。笑えない冗談。
「私のことは忘れてね」
私がこの本丸を任された時には、もう殆どの刀剣が揃っていた。私が顕現させた刀なんて、それこそ大典太くらいだ。だからこそ、執心している。彼を寝所に導くことに、まったく躊躇の無かった自分が恐ろしい。妖しと契った私はまだ人間だろうか。
「忘れられる訳がないだろう…」
小さな声は悔しそうですらあった。彼は今、とても理不尽な目に遭っていると感じているだろう。裏切られた、と。
「貴方に幸せになって欲しいのよ」
漸く私は目を塞ぐことを諦めた。大典太の顔をしっかり見据える。最初から赤い眼が充血して、なんだか憐れな程だ。今度は彼の方が、眩しげに目を逸らしてしまったが。
「あんたを忘れたところで幸せになんかなれないだろ、どうせ…」
大典太が声を詰まらせるので、泣いてしまうのではないかと心配したが、杞憂だった。彼は拳を震わせたけれど、涙を溢しはしなかった。
「なれるよ、貴方は私の自慢の刀だからね」
宥める為に抱き締めて、背中を撫でてやる。体格差が大きいせいで、逆に抱き留められてしまった。丁度良い。彼の傷ついた顔をこれ以上見なくて済むのなら。
「ちゃんと忘れて、新しい審神者と仲良くしてね」
私の言葉に嘘偽りはない。私はいつでも大典太の心の安寧を祈っているし、私を忘れて次の主と上手く信頼関係を構築できれば、そんなに素晴らしいことはない。ただ、彼がすぐに心の整理ができるほど器用ではないことは、私が一番よく知っている。
「俺にはそんなこと出来ない…」
掠れた呟きが耳朶を打つ。私は大典太の声を一生忘れはしないだろう。
「大丈夫だよ」
だって、刀剣男士に与えられた時間は永い。戦場で折れることがなければ、その生命は半永久的に続くのだ。いつか終わりが訪れるとしても、それは私が逝ってから、ずっとずっと先のことだろう。そうであって欲しいと願っている。だから、私は知らない誰かに彼を託す。
「そろそろ此処から出ようか?」
大典太は答えずに、私を抱く腕に力を込めた。審神者は政府が選ぶ。要するに適正試験をクリアすれば、何度でも就任できる。あまり再任したという話は聞かない。おそらく霊力は消耗品なのだろう。ただ、前例がない訳じゃないから、二回目以降は派遣される本丸を自由に選べるという噂はあった。元いた本丸に戻るため、躍起になる審神者も珍しくない。でも私は自分がもう二度と審神者にならないことをちゃんと知っていた。美しい儘の彼の隣で、老い衰えていくなんて冗談じゃない。大典太は現在の恋をしている私だけ覚えていればいいのだ。そして不要になったら記憶ごと捨てればいい。その時、私はもう蘇らない。
「…行かなきゃ」
この腕の温かさを、忘れずにいよう。彼とは関係のないところで続いていく私の余生への餞になるように。



BACK