もうすぐ懐かしい顔が、私を訪ねてやってくる。これは予兆ではなくただの予定で、彼は自分を改造した憎い科学者が相手でもアポイントメントを取るような常識を持ち合わせたサイボーグである。凡そ六十年ぶりになる再会に備えて、珈琲メーカーのスイッチを入れた。

死と戦争を世界に撒き散らし、それによって利益を得る死の商人の集まり、黒い幽霊団。私が珈琲を嗜むようになったのは、その組織に所属することになったのがきっかけだった。小娘の浅はかな発想として、悪の科学者は珈琲の一つでも飲めなければ格好が付かないと思ったのである。とはいえ、私は戦にも金にも大して興味のない変わり種だった。私の関心は今も昔も、若返りや不老といった、女性なら誰でも一度は夢見るであろう、美の保存にのみ注がれていた。それが功を奏して、アンチエイジングの部門で大成功を収めることになるのだが、それはスカールが敗北し、一時的にブラックゴーストが霧散してからのことである。当時の私が挑んでいた最大の難題は人体の再生であり、それがサイボーグ開発の分野に活かされるようになるのに、そう時間はかからなかった。研究チームの中には私のことを医者だと思い込んでいた者も少なからず居たようだが、それはある意味で当たっていた。機械と融合させられた憐れな犠牲者たちを相手に、私は医者の真似事のようなことばかりやっていた。彼等からのドクターという呼称を、年若い私は皮肉として捉えていたが、案外そうでもなかったのかもしれない。人造人間と言うのは、なかなか興味深い対象だった。その時点ではあまりにも成功例が少なかったが、科学者たちは膨大な数の失敗作から頭一つ抜きんでた未だ実用化に至らぬ彼等に番号を割り振り、丁重に扱った。あくまでも貴重な試作品として。
アメリカのヤンキーボーイとか、フランスのお嬢さんとか、拉致されてくる人物の国籍や為人は様々だった。まるで団員たちがその多種多様さを楽しんでいるみたいに。私は自分の意思でここに所属して、少しお利口さんなおかげで良い暮らしをさせて貰っているけれど、本質的には多岐にわたる被験体と同じなのかもしれないと考えていた。異なるパターンの一つに過ぎないのだと。
そんな恥ずかしげもない感傷の中に生きていた私の前に現れたのが、ベルリンの壁を越えるのに失敗し、恋人と四肢を同時に失った、後に死神と呼ばれることになる男だった。ラボラトリーに運び込まれた時点で生きているのが不思議な程の状態だった彼への施術は、もう殆ど大掛かりな機関銃でも作っているようだった。武器と人間が融合されるなんて、ちょっとしたナイトメア。私に出来たのは、人工皮膚を使って、その表層をちょっとばかし人間っぽくすることだけで、仕上がりを見るにつけても、それはあまり成功しているようには思えなかった。
だが、人間の本能というのは巧く成し得たことよりも、成し得なかったこと、それ即ち失敗のほうに傾くらしい。私が彼に惹かれるのに、そう時間はかからなかった。奇跡的に傷痕一つ残らなかった顔はハンサムと評してもいい部類で、何より絶望が覗く虚ろな両目は最高に私好みだった。
「これもメンテナンスの一環だよ」
そんなことを嘯きながら体をまさぐる私の手を、彼は無抵抗で受け入れた。彼はあらゆる事象に対して等しく無関心であるように見えた。心まで機械化されてしまったように。肉体的にも精神的にも、彼は無感動であった。人形を相手にしていると思えば、無反応でもさして気にならない。要するに私の行為は無意味に終わったが、心を通わせるのが目的でない以上、私にはそれで十分でだった。
「好きにしろ、こんな体…」
捕虜が慰みものにされるのはある程度仕方ない。民間人でしかない筈の彼の口調からはそんな諦めが感じられた。私たちが生きていた時代には、先進国でさえ兵隊と市民の区別が曖昧になってしまっていた。随分儲けていたのだろう。秘密裏であろうサイボーグ開発に、ブラックゴーストは予算を湯水のように注ぎ込 んでいた。
「自分を卑下するのはよくないわ」
お世辞にもセンスが良いとは言えない戦闘服の釦を外しながら囁く。露になった胸元は、色味や質感は人間のそれだというのに、触れれば鋼のように硬く、温もりもなければ脈打ちもしない。
「人前で服が脱げるようにしてあげただけでも、有り難く思って頂戴」
こちらを睨み付ける彼の憎悪の篭った視線に胸が踊る。死神のハインリヒ。貴男はもう立派な機械だ。どんなに感情のようなものを覗かせても。ただの兵器でしかない。私が収集するデータは淡々とそれを証明するだけ。

ゼロゼロナンバーサイボーグたちの脱走と、それに伴うギルモア博士の裏切りの報告を受けたその時も、私は自分の研究室で珈琲を飲んでいた。既に別のプロジェクトに着手していた私にとって、彼等は過去の遺物でしかなく、さしたる感慨も湧かなかった。死の商人から足を洗う算段を立てていた身としては、先を越されたことを少しだけ悔しく思ったくらいで。
「だから今更貴男が私に何の用事があるのかまったくわからないんだよ…」
当然と言えば当然だが、我が家を訪れたハインリヒは私の記憶のなかに居る彼と寸分違わず同じだった。…髪が短くなって、ちょっとばかし無骨な印象になったにしろ。
「目的のわからない男を家にあげるのは危険じゃないかい?」
そう揶揄するサイボーグの前に、熱い珈琲を置いてやる。憎まれていないとは思っていないが、彼にその気があるならば、何十年も前に私は死んでいるだろう。あれだけ二人きりになっていたのだから。
「そんな心配をする歳じゃないわ」
すべては過ぎ去った。人々の悪意は時を重ねるごとに複雑に、狡猾になっていくけれど。
「今のあんたはあの頃より若返ってるように見えるが?」
核心はつくのに、からかう調子を崩さない。寡黙そうなのは風貌だけで、存外ウィットに富む男だと、今までの経験から知っていた。
「素直に綺麗になったって言えないの?」
美容の第一人者がその辺にいるお婆ちゃんじゃ、ちょっと格好がつかない。表向き、私が施すのは超高額な美容整形ということになっている。サイボーグ研究がベースになっているとして、美しくなりたいと渇望する女たちは躊躇するだろうか。
「あんたは昔から綺麗だったさ」
軽口を叩き合える余裕があるということは、今更私を詰りにきた訳ではないのだろう。ネオブラックゴーストとの関係を疑われている訳でもなさそうだ。人類は未だに争うことをやめられないでいるけれど、それは有史以来の遥かな歴史で、要するにただの日常だ。
「ギルモア博士が呼んでいる」
「あのお爺ちゃんも耄碌したのねぇ…」
裏切り者の分際で、昔の仲間を頼るなんて。何年か前に大きな財団を立ち上げたときいていたけれど、あまり気にしていなかった。彼の存在もまた、私にとっては過去の領分だ。
「博士は普通の人間だからな、最近では立つことさえ難儀そうだ」
だから、私を呼ぶのか。サイボーグの研究に携わっていて、その上でその分野に執着することのなかった、ある意味究極の第三者である私を。
「それで、やっと自分もサイボーグ化しようって?」
私はついつい笑ってしまう。共に戦ってきたであろう、九人の仲間たち。彼等は機械で、自分だけ人間だった、天才科学者。彼が己に機械の体を与える時が来るとすれば、それはどんな理由だろう。望まぬ体に改悪してしまった犠牲者たちへの贖罪か。それとも永久に仲間たちを支えたいという親心か。もしかしたら、自分だけ老い衰えて死んでいくことが恐ろしくなったのかもしれない。あるいは、手に入れた富や名声を手放したくなくなったのかも。
「001はなんて?」
「反対してるよ、勿論俺たちもな…」
そう言いながらも命じられるままに私とコンタクトをとり、私を博士の元に連れていこうとしている、彼の真意はわからない。平素はドイツで軍人をやっていることは調べがついている。意外だったが、全身が兵器である彼を扱える機関が他にないことを考えれば納得はできた。問題はどんどん最新式に切り替わっていく世相に彼が対応できるかどうかだ。既にその身は旧時代の玩具であろう。
「今はどうしてるの?」
博士じゃなくて、貴男のことよ。ハインリヒが首を傾げる。私が手を尽くしたから、一見しただけで彼をサイボーグだと見抜くのは難しいだろう。手袋の下のマシンガンを目にすれば、話は別だろうが。
「貴男は幸せかしら?」
その答えを探せば、生みの親である博士にかけるべき言葉もおのずと導きだされることだろう。そして、それは悪徳の限りを尽くして自らを造り変えた女の妄言より、いくらか説得力がある筈だ。



BACK