彼はどんな時でも弱音を吐かず私の仕事の大半以上のものを肩代わりしてくれていた。
出陣の結成や段取り、政府から要求される報告書の作成、本丸にいる刀剣男士の面倒、近隣の審神者との交流などほとんど彼が担っている。
私はといえば政府や近隣の審神者との会合に顔を出したり、政府からの伝令に目を通したりと仕事をしていないわけではない。
とにかく多かれ少なかれ私と彼はそれぞれの仕事に励む日々のせいで、いつしかお互いに顔をあわせることがなくなってしまったのだ。
同じ屋根の下にいるのにお互いあっちに行ったりこっちに行ったりなのでしょうがない。
彼此一月ほどまともに彼と話していないだろう、そんな冬のある日のことだった。

「申し訳ありません、主」

しとしと雪が降り始め、本丸に生えている草木が淡く雪化粧した頃のこと、彼は彼の自室で布団に潜っていた。
頬は赤く、額に触れるとなんとなく熱い。
彼曰く妙に身体がだるくて仕方がないようだ。
その症状は私達人間でいう風邪と呼ばれるものに似ているらしい、らしいとは医学に詳しい薬研ですら刀が風邪をひくなんて聞いたことがないとお手上げ状態のためである。

「きっと疲れが出たんだよ。無理させてごめん。治るまでゆっくり休んでね」

私は水の入った桶の中から手拭いを取り出し水分をよく絞る、それから彼の額の上に乗せてあげた。
彼の顔がさらに赤くなり、僅かに息が荒くなる、きっとよほど辛いのだろう。

「何か食べられそう?」

彼の表情がパッと輝く、まるで子供のように彼は嬉しそうに要望を告げた。
いつもと違って甘えたいのかもしれない。

「お粥がいいです!」

「分かった。あとで光忠に頼んでおくね」

「え、」

彼の言葉が途切れる、彼は何か言いたそうに私の顔を凝視しているが、残念ながら私の頭の中の大半は今日の仕事をどうやってこなすかしか浮かんでいない。
とりあえず今日は会合などの誰かと顔をあわせる予定はないので書類整理だけなんとかすれば最悪の場合大丈夫だろう。

「ところで長谷部、寒くない?」

庭から聞こえてくる元気のいい短刀達の声で私は寒さを思い出した。
雪の中で遊ぶ短刀達は当然寒いだろうけど、風邪をひいて寝込んでいる彼はもっと寒いはず。
私の考えは的中したようで、彼は首を何処かへ飛んでいってしまいそうなほどぶんぶん縦に振りながら頷いた。

「さ、寒いです!とても寒いです主!」

「それじゃあ、とりあえずそこにある火鉢に火をつけておくね。きっとそれでも寒いだろうからまた誰かに火鉢をもう一つここに持ってくるよう頼んでおくから」

彼の動きがピタッと止まる、今度は顔面真っ青になった。
ああ、大変、初めての風邪のせいで相当辛くてたまらないのだろう。
私は彼の側から立ち上がり火鉢に火をつける、すると彼の掠れた声が私を呼んだ。

「主、あの、」

火鉢から彼に顔を向けると、彼が視線を右往左往させてしまう。
それから彼は恥ずかしそうに毛布で顔を隠しながら消え入りそうな声で言ってきた。

「……っ、人肌が恋しい、です」

確かに風邪をひくと妙に心細くなるものだ、思えば私も幼い頃よくそう感じていた。
そういえばと風邪をひいた時にはあれを抱いて眠っていたことを思い出す。

「長谷部」

私に呼ばれた彼がそっと毛布から顔を出す、彼の瞳は微かに潤み、再び頬が赤く染まる。
かわいそうに。
彼をこんな目にあわせてしまった私に対して苛立ちが募った。

「湯たんぽを持ってくるから待ってて」

「え?主?」

「それまでおとなしくしていてね」

安静にしてなさいと言ったそばから彼はガバッと身体を起こしてしまう。
いつも自分で何でもこなしているせいで誰かに頼るということに負い目を感じているのだろう。
私は彼に気にしないでいいのよと告げてから彼の部屋を出て、開けっ放しになっていた障子を閉めた。

「加州と陸奥守、何してるの?」

彼の部屋を出た直後、室内から見えないように廊下で息を潜めて笑い転げる二振りの存在に気がついた。
加州は私の顔を見るなりしまったと焦ったような表情を浮かべ、陸奥守は私と目をあわせればさらに笑い声を大きくしてしまう。

「刀が風邪ひいたって聞いたからどんな感じか様子見に来たんだけど。そうしたら、ね?」

加州が笑い転げる陸奥守に同意を求めるように声をかける、陸奥守は笑いすぎて出た涙を袖で拭きながら相槌を打つ。
確かに刀が風邪をひくだなんてこの本丸では史上初だ、最も、他の本丸ではどうか分からないが。

「興味本位なのも結構だけど病人の邪魔だけはしないでね」

私の言いつけに二振り揃って返事をする。
それにしても、私はここで悠長に話をしている場合ではない、ちょうどよかったので加州と陸奥守に用事をお願いすることにした。

「長谷部の部屋に火鉢を運んでくれないかな?部屋にあるものだけだとまだ寒いみたいで。確か倉庫に使ってないものがあるはずだからそれを持っていってあげて」

加州と陸奥守がお互いの顔を見合わせてニヤリと笑みを浮かべる。
これは明らかに何か悪企みしている顔だ。

「分かった!持ってくる!」

「ワシと加州に任せちょけ!」

大きな声でそう言った瞬間、我先にと廊下を走っていってしまった。
とりあえず、素直に火鉢を運んでくれるらしいので何を企んでいるかは咎めないでおこう。
思わず小さく息を吐いた時だった。
私の着物の袖をくいくいと小さな力で引っ張られるので振り向くと、私より遥かに小さい背丈の短刀達がいる。
みんな揃ってマフラーや耳当て、毛糸の帽子を被っているので先程まで雪の中で遊んでいたことを容易に想像できた。

「いち兄から聞いたけど、長谷部さんが風邪ひいたって本当?」

私の袖を引っ張った乱が首を傾げながら尋ねる。
乱の後ろでは前田と平野が大丈夫かなと彼の容態を気にしており、それは他の短刀達も同じで口々に彼の症状を聞いてきた。
私は短刀達に目線をあわせるように腰を屈める。
それから静かにという意味を込めて自らの唇に人差し指を当ててみせた。

「風邪は安静にして眠るのが一番効果があるの。だから今日は長谷部の部屋の前を通る時はなるべく静かにしてね」

短刀達が全員手をあげながら返事する、だけど、すぐあとに大きな声を出してしまったかもとお互いの顔を見ながら慌てて口に手を当てる。
優しい心を持つ短刀達に笑みが溢れた。

「あるじさま、ぼくたちにおてつだいできることありませんか?」

今剣の言葉に短刀達がうんうんと頷きながら私を見つめる。
本当は空気感染の恐れがあるのであまり病人の近くに行かせたくない。
しかし、彼のことを心の底から心配しているだろう短刀達のことを思うと断ることができなかった。

「それじゃあ、勝手場に行って光忠に長谷部が食べるお粥を作るように頼んでもらえるかな?」

これなら短刀達が直接彼に会うわけではないので空気感染の心配はないはずだ。
私の言葉に全員また手をあげながら返事する。
先程より大きくなってしまった声に対し私はクスッと笑いながら唇に人差し指を当てる、そんな私の行動に短刀達が揃って苦笑いを浮かべた。
それから勝手場に向かう短刀達の背中を見送っているとスパンと勢いよく障子が開き、涙目になりながら私のことを睨みつける彼が現れる。

「主!?俺はですね!?」

「あ?病人がなんで起きてるんだ?」

彼の声を遮るように和泉守がやってくる、和泉守は私に怒鳴る彼を見て怪訝そうに表情を歪めてしまう。
ふと、和泉守が持っているものに私が気がつくと、和泉守は小さく声をあげながらそれを彼に渡した。

「チビ達から長谷部が風邪ひいたって聞いたから持ってきたんだよ」

和泉守が彼に渡したものは私が先程用意しようとしていた湯たんぽだった。
和泉守曰く、短刀達は彼の部屋の前で私と会う前に彼の風邪の件を和泉守に教えてくれたとか。
彼は湯たんぽを持つ自分の手を凝視しながら固まる、一方の和泉守は誇らしげな表情で笑ってみせた。

「きっとあんたは忙しいだろうから代わりに俺が持ってきてやったぜ」

「ありがとう、和泉守。助かるよ」

もっと誉めてと言わんばかりの和泉守に対し私は仕方がないなと思いながら私より背の高い位置にある頭を撫でてあげる。
和泉守は照れくさそうにはにかんだ。

「な、」

彼の小さな声に私と和泉守が同時に振り向く。
和泉守は私の手を退かしながら彼に言った。

「それ使って早く治せよな」

歯切れの悪い彼の返事に和泉守は気にする様子をみせず、今度は私に向き直る。
コツンと私の額に和泉守の拳が軽く当てられた。

「ほら、あんたも仕事があるんだろ?俺も手伝ってやるからさっさと終わらせようぜ」

和泉守の気遣いは素直に嬉しかった。
流石、あの大所帯を纏めあげた新選組副長の刀だけあって和泉守はよく周りを見ていると思う。
私は和泉守に促され、ようやく仕事を開始するために自室へ向かって足を運ぶ、だけど、病人をひとりぼっちにするのが気が引けて思わず彼に振り向いた。

「長谷部、お大事にね」

彼の瞳が情けないくらい潤んでいく。
普段しっかりしているものほど弱った時は本当に心細くて仕方がないのだろう。
そして、私はまた彼に背を向けたのだった。


本日の山積みになっていた仕事はすっかりと日が暮れた夕餉の前に片付いた。
和泉守を始め、彼の体調不良を聞きつけた刀達が揃って一生懸命に私の手伝いをしてくれたものだからなんとか終わらせることができたのである。
それから仕事を終えた刀達は夕餉のため大広間へ向かい、私は彼の容態が気になったので大広間の前に彼の部屋に寄ることにした。
廊下を歩いていると昼間降り続いていた雪はいつのまにかやんでいたようで、月明かりに照らされた庭は新たに降り積もった雪がぼんやりと淡い輝きをみせる。
今頃彼もこの景色をのんびりと眺められているのだろうか、思わずそんなことを考えてしまった。

「長谷部、入るよ?」

彼の部屋につき、障子越しに声をかけるが反応はない、返事が聞こえないのできっと寝ているのだろう。
私は少しでも彼の顔を見たくて彼を起こさないようにそっと障子を開けてみる、しかし、そこにあったのは灯りもつけず真っ暗な室内と誰もいない布団だけだった。
驚いた私は思わず部屋の中に足を踏み入れる、その瞬間、私の腕が物凄い勢いで引っ張られ、今開けたはずの障子もすぐに閉まる。

「だ、」

誰と問おうとした私の唇が大きな掌によって塞がれてしまう。
閉められた障子の向こうから短刀達の私を探す声が聞こえてくるが私は返事できない。
今度はこの部屋の主である彼のことを気遣う声も聞こえてきたが、室内からは何も反応がないせいで彼が眠っていると思ったらしく、やがて、刀達の騒がしい声が遠ざかっていった。
静かな部屋に深い溜息が響く。
それからゆっくりと私の唇が解放されたので私は暗闇の中にある目の前の顔をじっくりと見つめた。

「やっと俺の元へ来てくれましたね、主」

私が彼と認識するのと同時に耳に入る彼の声。
少しだけ掠れているが、彼の声は朝よりも元気そうに思えた。

「今日の仕事はみんなが手伝ってくれたので無事に終わることができたの。だからもうこれからは長谷部の看病をしてあげられる」

「いいえ。主は俺の風邪が治ればもう側にいてくれません」

唐突に言われた言葉に私は間の抜けた声をあげる。
一方彼はほぼ無表情とも取れる感情の読めない態度で続きを述べた。

「そもそも俺が風邪をひいたと言っても主はほとんどここにお越しくださりませんでした。そうですよね?」

まるで尋問のように淡々と告げられる事柄に私は思わず血の気が引いていく。
彼は怒っている。
私や刀達に対していつも厳しくもあったが優しく接してくれていたのに、今日の彼は違う、威圧的だ。

「別に長谷部のことを蔑ろにしたわけではないの」

「俺がどれだけ心細かったか分かりますか?」

暗闇の中でも分かる、彼の瞳が揺らぎ、唇を強く噛んでしまう。
今にも泣き出しそうな彼の表情に胸が痛んだ。

「ごめんね、長谷部」

「謝罪されても許してあげませんよ」

ぴしゃりと言い放たれた言葉に私の背筋が凍る。
彼からどんな罰を告げられるのか恐ろしく私は思わず俯いた、しかし、すぐに私の両手が大きな手に包まれたので、私は弾かれたように顔をあげた。
私と目があった彼は眉を八の字にして曖昧に微笑む。

「今日からずっと俺と一緒にいてください。約束ですよ、主」

「一緒?」

「そうです。仕事も外出も常に俺と共に行動してくれればいいんですよ」

予想もしなかった言葉に私は何度も瞬きを繰り返してしまった。
てっきりお暇をくださいとか他の刀達に仕事をさせてほしいとかそういう要求をされると思っていただけに拍子抜けしてしまう。
それに、要求ではなく私に対する不満と罰を言ってくるかと最初に予想していたのでこの結果が腑に落ちない。

「俺をダメにしてくれたんですから、責任、取っていただけますよね?」

確かに彼に風邪をひかせてしまったのは私の責任だ。
少し考えたあと、私は彼の手を握り返すという結論に至った。

「分かったよ。これからは個人で仕事に取り掛かるのではなく、いつも一緒にやっていこう」

彼の表情がパッと明るくなる。
それから彼は嬉しそうに顔を綻ばせたのだった。

「主命とあらば、喜んでその命をお受け致します!」

別に主命というわけではないのだが。
彼に言わされたに近い主命とやらに私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
でも、それで彼の気が楽になるのなら良しとしようではないか。

「安心したら腹がすきました。さて、夕餉に向かいましょう」

彼は私の手を引きながら浮ついた様子で障子を開けてから廊下に出る。
足取り軽やかに大広間へ向かう彼の背中を眺めながら私は違和感に気がついた。

「あのさ、あなた風邪は大丈夫なの?」

ピタリと彼の足が止まる。
くるっと振り向いた彼は普段絶対にみせないとろけるような表情でとんでもないことを言ってのけたのだった。

「何を仰っているのですか、主。刀が風邪をひくはずないでしょう?」

「は?」

「主のおかげで姿形はありますが、俺はこれでも刀であり付喪神という存在です。お分かりいただけましたか?」

再び彼は大広間に向かって歩き出す、しかも、鼻歌まで歌いやがって。
私は彼の手を振りほどき、それから彼の隣を追い抜いて早足で大広間に向かう。

「あ、主!?この長谷部を置いてどちらへ!?」

彼の悲鳴に近い質問に私は仕方なく足を止め、視線だけを彼に向ける。
深い溜息を吐いたあと、吐き捨てるように言ってのけた。

「仮病を使う刀なんぞいらないわ」

「いや、しかし、主は責任を取ってくださると」

「あなたが私を欺いた責任を何故私が取らなければならないの?」

「それは主が俺をお側に置いてくださらなかったせいでして」

「それで仮病を使う理由にはならないでしょうよ」

大の男の瞳が叱られた子供のようにじんわりと潤んでいく、だけど、ここで甘やかせるわけにはいかない。
私はこれでも本気で彼のことを心配したのだ。
確かに彼の言う通り、仕事にかまけて彼のお見舞いに行かず看病もろくにしなかったのは事実、それでも、寝込んでいる彼のことを忘れたことはない。
それなのに、それなのにだ。

「もう長谷部なんか知らない。さっきの約束も忘れて」

私は彼に背を向けて再び早足で大広間に向かおうとする、しかし、喉の奥から口内にかけて妙に乾燥した感覚がした。
ケホッ、思わず溢れた吐息。
嫌な予感に私は深々と溜息を吐いた。

「主、お加減が悪そうですね」

この絶好の好機を彼がそう易々見逃してくれるわけがない。
彼はあからさまに嫌な表情を浮かべる私なんか気にせず、光の早さの如く私の側に来ては心底嬉しそうな微笑みを浮かべてみせた。

「気のせいだから」

「俺にはとてもそういうふうには見えませんが」

その瞬間、私の身体が宙を舞う。
彼は私の膝裏と背中に手をまわし、それからくるっと身体の向きを変えて大広間から私の私室へ向かってスタスタと歩き出してしまう。

「主が約束を破棄されたのならそれで構いません。ですが、今日からこの長谷部が風邪をひいた主の身の回りの世話を引き受けますのでどうぞご安心を」

「ちょ、」

「俺はいつ如何なる時でも主のお側におりますのでご随意にお申し付けください」

「別に頼んでないけど」

「人間とは実にか弱い存在ですね、主」

なんと都合のいい、そう隠しもせずに言ってのけた彼に対し私は唖然とするしかなかった。
このまま彼の言いなりになるのは癪に触るので私はお風呂を嫌がる猫のように彼の腕の中で暴れてみせるが、彼は動じず相手にすらしてくれない。

「いいかげんにしなさい長谷部!」

「ああ、主、なんとお辛そうなのでしょう。風邪のせいで正常な判断ができずにいらっしゃるようで」

「正常な判断ができていないのはあなたの頭の方でしょう!?」

「ご心配には及びません。この長谷部、主の風邪が完治しましても、また風邪をひかれませんよう片時も離れずお側におりますので」

「だから、」

私の話を聞けぇー!?
本丸中に響き渡る私の叫び声と咳に大広間にいた刀達が一様に振り向き、それから口を揃えてこう言ったらしい。
なんだ、やっぱり長谷部のやつ仮病だったのか。
そんなこんなで風邪をひいた私の側を彼は三日三晩うざったいくらい離れず、そして風邪が治ってからもしつこくつきまとってくるのだった。
この彼の奇行を我が本丸の刀達は止める気ないようだ、それもそうだろう、刀達は始めから彼の味方なのだから。

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