双忍というからには、二振りで一つの刃なのでしょう。双方向から目を光らせて貰えるなら、こんなに安心なことは無いわ。ねぇ、お二人で私を守ってくださる?
そんな風に嘯いて、姫様は本当に僕たちを二人ともお抱えの護衛忍として雇ってしまった。有力な守護大名だが末娘にはおそろしく甘いと評判の父君は、わざわざその愛娘を伴って忍術学園を訪れ、その年に卒業する者の中から、警護役に相応しい輩を、彼女自身に選ばせた。学園長先生の部屋での簡単な面談だけだったが、親子は我々のことをいたく気に入ってくれたらしい。二人一緒に、というのは此方としても願ってもない好条件だったので、二つ返事で快諾した。有力大名の懐刀。新米の忍者には勿体無いほどの大役である。良い働き口に恵まれたと、二人で頷き合った。

実際に働き始めてからも、その認識は変わらなかった。殿様は子供たち全員に護衛忍を付けていたので、姫様の専属は僕達二人だけだったが、似たような境遇の先輩なら何人もいた。その前例に基づき、姫様の相手をしたり、遣い走りに出たりする傍らで、腕を磨く日々が続く。あまりの穏やかさに我が身を疑うような暮らしだった。あの学舎で肩を並べた者の中には、人を斬って泥水を啜って必死に生き延びている奴も多いだろう。もう帰らない奴だっているかもしれない。それを思えば、破格の待遇に感謝こそすれ、不満なんて生まれる筈もなかった。蝶よ花よと育てられた姫様は年の近い僕達に優しかったし、城の人達ともすぐに打ち解けたので。
学園にいた頃を思えば、常に二人で顔を揃えておかなければならないことだけが難点かと思ったが、そちらは案外なんとかなった。変装の名人だって時と場合くらいは弁えるということだ。同じ顔が二つあることの利便性を、僕は卒業してから存分に知った。

このしみじみと平穏な毎日に翳りを覚えたのは、出仕してから半年も経った頃だったろうか。それぞれ別室を与えられている僕達だったが、同室だった頃のよしみでお互いの私室を頻繁に行き来している。たまの休みに蒲団を干そうと思いつき、気を利かせて相棒の夜具も日に当ててやろうと正々堂々と忍び込んだ。部屋の主は今頃、姫様と双六でもしている筈である。
「ん?」
掛け蒲団を持ち上げた瞬間に、カツンと足許に何か落ちてきた。赤い櫛のようだ。持ち手のところに鮮やかな花柄が描かれており、随分と高価なものだと傍目にもわかるが、肝心の歯の部分が二本といわず欠けている。これは姫様の持ち物だった筈だ。ただし、傷んだので捨てるよう乳母から厳しく言われているのを見たことがある。端で聞きながら、まだ使えそうなのにと思ったからよく覚えていた。
もしかしたら、あの後、僕の知らない間に彼が姫様から譲り受けたのかもしれない。(見るからに娘用の櫛を?)一番考えたくないのは、盗んだ可能性だが…果たして、腐っても忍である彼が盗品をこんなにわかりやすく手元に置いておくだろうか。(それも夜具の中に!)
「…まさか」
頭に浮かんだ可能性を、僕は振るって落とそうとする。思い付いてしまえば、それは真実と相違無いほどに、信憑性があるように感じられた。
彼が仕事中とはいえ、断っても構わないような姫様の暇潰しの遊戯に付き合う理由。彼女に仕え始めてから、不平不満を溢すこともなく熱心に侍っているのは何故か。考えれば考えるほど、その二つはこの櫛で説明が付くように思えた。
暫く悩んだ後、その櫛を文机の上に置いた。この話をこちらから切り出すつもりは無かった。もしも、彼の方から口火が切られれば、その時は問い詰めてやると心に決めていたのだが、役目を終えて自室に戻った彼が、蒲団を干したことに対する礼しか言わなかったので、結局聞けず仕舞いになった。

「僭越ながら、御手を」
「あら、平気よこれくらい」
姫様はクスクス笑いながらも、満更でも無さそうに彼の手にその小さな手を重ねた。城内の階段はどうしても急勾配になりやすい。重たい着物を纏う深窓の姫君の移動に臣下が手を貸すのは当然のことである。だが、姫様と触れ合うその瞬間に、彼の口許がほんの僅かに綻んだのを僕は見逃さなかった。
気が付いてしまえば、今まで気に留めなかったのが不思議なくらい、姫様を見る彼の眼は凡そ彼らしくない情熱を湛えているように思えた。護衛として四六時中傍に侍る以上、彼女に尽くすのは当然のことではある。だが、彼の一挙一動には忠誠というにはあまりにも邪な、言うなればエゴイスティックな感情が見え隠れしているようだ。その証拠に、ほら。もう階段を登り終わったというのに、姫様の手を離さない。

「三郎、ああいうのはよした方がいい…人目につく」
事実、口さがない下女たちの間で二人の親密さは噂になっていた。身分違いの許されぬ恋だという。仮にそうだとして、あのどうにも食えぬ天才がそれを他人に気取られるだろうか。薄気味悪さから老婆心を出した僕に、呼び止められた当人はにやりと嗤う。
「いいんだ、人目につかなければ意味がない」
「どういう意味だ?」
三郎は周囲を気にする素振りを見せ、それから露骨に声を潜めた。
「やはり気付いてなかったのか、実はな…殿が俺だけに申し付けた、超極秘の忍務がある」
翳りの正体を見た気がした。同じ顔の筈なのに僕に全然似ていない三郎の眼が昏く輝いている。
「それが姫様と恋仲になることだったんだ」
手は出してないから安心してくれよ、と。彼は必要以上にお道化てみせた。
「雷蔵も疑問に思っただろう?…あの娘を溺愛する殿が、俺達以外に姫様に護衛を付けていないこと」
「それは思っていたけれど…」
僕は彼が指摘する城主の愛娘に対する目に入れても痛くないと言わんばかりの様相を思い出しながら相槌を打った。
「本当は俺達の前任者がいたんだ、今は二人ともが鬼籍に入っている」
僕は眉を顰めた。忍者である以上、よくある話だ。自分の前に役目に付いていた者が円満に辞していることのほうが珍しいかもしれない。
「どちらも姫様に手を出したらしい」
三郎は肩を竦めたが、僕に言わせれば彼だって似たような立場である。
「真偽のほどはさておき、どちらも誘ったのは姫様だと主張するし、当の姫様はただただ泣くばかり…しかもこの騒ぎを起こしたのが姫様を赤児の頃からよく知る老巧の忍だったというから、殿は本気で頭を抱えたらしい」
目を丸くするばかりの僕に、彼は続ける。
「彼等を始末してから、殿は先手を打つことを考えた。護衛役を姫様自身に選ばせ、甘い夢を与える…。その代わり、最後の一線をこえることのない相手でね」
天才忍者はかく語りぬ。働き口を見付けてからなりを潜めていた迷い癖がぶり返したように、僕はしきりに首を傾けた。
「わかったような、わからないような話だな、どうも…」
「だろうな、だから殿は私にだけこの命を下したのだ」
それを言われてしまえば元も子もない。いじけかける僕を笑って、彼は懐から、先述の櫛を取り出した。
「これは姫様より、下賜されたものだ。自分だと思って持っているようにと…」
三郎はまだ喋り続けていたが、僕はなんとなく腑に落ちず、その違和感の正体を探しながら、終始目を伏せていた。

やはりあれは詭弁だったのではなかろうかと、僕が友人の言葉を疑い始める頃には、領地を取り巻く勢力図が大きく変わろうとしていた。色恋沙汰が人々の口の端に上るのは平和の印である。その証拠に、不穏な空気が流れてから、寄り添う三郎と姫様の姿は当然のものとして受け入れられていた。それに気を大きくしたのか、姫様は露骨に彼を傍に置き、常に身を預けるようにしていた。
「三郎、私怖いわ、恐ろしいわ…」
「我々がお護りします、どうかお気を確かに」
三郎は怯える姫様を宥め、慰めていたが、いよいよ戦が目前にあるとあってはあまり効果がないようだった。お役目を問わず、城の忍達は忙しくなった。姫様の専属である我々でさえ、諜報活動に駆り出されることが増えた。僕は厭だったが、学生の時分に天才と持て囃されていた三郎は心なしかはしゃいでいるようにも見えた。そして、その興奮が明暗を分けた。泰平の時間など、長く続く筈が無かったのである。
「私のことは此処に置いていけ」
焦点の定まらない目で。鉄臭い息を吐きながら。額に脂汗を滲ませて。それでも、存外にしっかりした口調で彼は言った。
「だ、駄目だ!そんなことをしたら三郎が…!」
追っ手が掛かっていることは間違いない。潜入は上手くやった。情報だって存分に盗めた。それなのに、去り際にしくじった。私が無事なのは三郎がおとり役になり、懸命に逃がしてくれたからだ。もう立っているのも辛いのか、大木に背を預けて三郎は引力に従うように座り込んだ。支えようと伸ばした手にべったりと血が付着する。三郎は震える指で、広げたままになっていた僕の掌に櫛を押し付けた。
「お役目は、姫様の嫁入りが決まるまでだからな」
念を押すような口調だった。ハッとして顔をあげたが、俯いた三郎の顔は影になって見えなかった。
「少し休んだら、すぐに行くから…」
なかなか動こうとしない僕に焦れたのか、座り込んだままの三郎はついに僕を突き飛ばした。そう強い力ではなかったが、僕はよろけて地面に手をつき、それから、やっと立ち上がることができた。
「雷蔵は先に城に戻っていてくれ」
「ああ、わかったよ三郎、また後で」
「…ああ、またな」
僕は城を目指して一目散に駆け出した。

どうやって戻ったのか、ふと我に返れば自室で温かい蒲団にくるまっていた。すべて夢だったのかと都合よく解釈しかけたが、右手に残る乾いた血の跡がすべてを物語っていた。懐を探ってみたが、肌身離さず持っていたはずの欠けた櫛は見当たらない。傷は手当てされていたが、動くと痛んだ。双忍として長年肩を並べた友人の姿を探して城内をさ迷い、苦しくなって少し泣いた。
「…あなたは三郎なの?雷蔵なの?」
姫様が心配そうに此方を覗きこんでいる。返事をしなければ、と思った。泣いているつもりだったのに、眼球はすっかり乾いていた。ただ、痛いのも苦しいのも何一つマシになっていなかった。どうして此処にいるのが彼じゃないのだろう、と。そんなことばかり考えていた。
「…三郎にございます」
喋ると血の味がした。口内が切れているのだろう。
「ああっ…!三郎、無事でよかった!」
感極まった様子ですがりついてくる姫様を抱きとめる。その様子は心の底から愛する者の帰還を喜んでいるように見えるが、女という生き物は嘘をつくからよくわからない。男だって、同じことか。ここには最初から嘘しかない。今更一つくらい偽りが増えたところで何も変わらないだろう。
「貴女からお預かりした大切な櫛をなくしてしまいました…」
「いいのよ、そんなことっ…あなたが帰ってきてくれただけで、私っ…私っ…」
少なくとも、今腕のなかで震える姫様を護りたいと思う気持ちは本物だ。これが恋だと他人が言うなら、そうなのだろう。
「ずっと待ってたのよ…!」
僕は難儀して微笑んだ。貴女の待ち人は還らない。これから、どうすればいいのだろう。僕たちは二振りで一つの刃だったのに。


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