目の前にいる彼女の瞳はまるで炎のように鮮やかな赤色に染まっていた、ガラス細工のように美しかったはずなのに今は濁りさえあるように思えてくる。
しばらく会えないうちに彼女の着物は以前俺が贈った赤い生地に金の倶利伽羅竜が刺繍された着物ではなく、全てを絶望で塗り潰そうと言わんばかりの真っ黒の生地と何処かでつけた赤い飛沫が目立つ着物を着ていた。
俺は彼女に向かって刀を構える、彼女もまた真っ黒の着物から覗く真っ白い手を宙に浮かせ合図とばかりに微かに動かしている。
俺は地を蹴って彼女に突き進む。
振りおろした刃からは鈍く重い感触がした。


歴史修正主義者による過去の歴史を改変するという目論見を阻止するため刀剣男士が政府の指示のもと各時代へと送り込まれていた。
慣れ合うつもりはないが演練や遠征など様々な場所へ出陣するたびに他の本丸で囁かれている例の噂が俺の耳に入った、世の中には闇堕ちした刀剣男士が存在するということを。
確かに、前の主を戦や病などで亡くしたいくつかの刀剣男士にとって歴史を改変しその主の運命を変えられるというのは夢のような話だろう。
しかし、今更歴史を変えて何になる。
歴史を変えたところでこの2205年の現代に死人が蘇るわけではない、仮に蘇りもう一度生をやり直したとしても人間は刀と違ってたった短い時間の果てには必ず死んでいくのだ。
だから、無意味。
それは俺に限らずここの本丸にいる全ての刀達も同じ考えだと光忠が言っていた。

「貴様らぁ!万死に値するぞぉ!」

俺達に闇堕ちなんか縁遠い話だ、口を揃えてそういうだけあって今日も我が本丸は何気ない日常を過ごしている。
石切丸曰くこれが平和の証だという。

「ぐちょぐちょだね。……着物のことだよ」

天気のいい朝餉のあとの昼下がりのこと、俺はぼんやりと庭を眺めながら縁側に座っていた。
俺は平和というやつに問いたい。
庭で短刀と脇差が中心となって遊んでいた蹴鞠、しかし、中には鞠の代わりに馬糞を蹴って遊ぶやつもいた。
たまたまその馬糞を蹴った先にいた秋色に染まる葉が舞い散る姿に見惚れながら和歌を詠む歌仙にぶち当たり、結果、馬糞塗れの歌仙が激しく激昂しその場で遊んでいた短刀と脇差相手に刀を振り回しながら追いかけているのである。
その一方で、庭の一角に作られた落とし穴に落ちた一期が般若の面でも被ったかのような表情を浮かべて何処かへ走っていった。
お覚悟という怒声と聞き覚えのある悲鳴も共に聞こえてきたので今頃成敗しているに違いない。
これの何処が平和なんだ、ただ騒々しいだけだ。
くだらないと思いながら畳の上に寝転ぼうとしたが、ふと、見慣れたガラス玉が俺を覗き込んできたので寝転ぶのをやめる。

「伽羅ちゃん、お暇?」

この本丸の主である彼女が俺を見つけるなりにっこりと微笑んだ。
ガラス細工のように透き通った瞳が柔らかな太陽の光に照らされて美しく煌めき、それが妙に眩しい。

「慣れ合いに構う暇などない」

彼女が持つ抱えきれないほどの柿が入ったカゴを奪い取る、すると、彼女はまた嬉しそうに笑った。
その表情に自然と胸の奥が鳴る。
甘ったるくて、何だかくすぐったい。

「やっぱり伽羅ちゃんは優しいね」

「うるさい」

手持ち無沙汰になった手で俺の頭を撫でてくる彼女に視線だけ逸らしされるがままでいてやった、いや、正しくは彼女にそうされることを本当はいつも望んでいる。
つまり、愛おしくて仕方ない。

「不用意に触るな」

彼女の手をたまらずパシンと払い退ける。
だけどすぐに引っ込めようとする彼女の手首を掴み、そのままぐっと引き寄せた。

「少しは目の前にいる男がどういうやつなのか考えて行動するんだな」

彼女の頬がたちまち赤く染まっていく、当然俺も何をやっているんだと我に返り固まった。
ダメだ、彼女といると調子が狂う。
彼女を目の前にすると何故か考えより先に身体が勝手に動く。

「か、伽羅ちゃん。あ、あの、」

「なんだ?」

戸惑いながら俺を呼ぶ彼女の言葉に返事した時だった、彼女の姿しか見えていない俺の耳に咳払いが二つ聞こえてくる。
そのことに気がついた時、全てが手遅れだった。

「流石は伊達男だね。普段口下手な伽羅ちゃんが好いた女性のために甘い言葉を言うだなんて、素敵だよ。うっかり僕まで顔が熱くなってしまったじゃないか」

自らの頬に手を当てながら光忠が言ってのける。
光忠の隣には冷めた目でこちらを凝視する小夜の姿もあった。
ちなみに、どちらの手にも大量の柿が入ったカゴがある。

「主、時間がなくなるよ。早く始めよう」

小夜の言葉に彼女がハッとして慌てて俺の手の中から逃げる、それからそうだねとわざとらしく首をぶんぶん縦に振った。
小夜がカゴを持ったまま部屋に入り適当な場所で座ると、次に光忠も同じように座り、机の上にカゴの中の柿を広げる。
彼女もまた机の前に座るので、俺もとりあえず彼女の隣に座ってから畳の上にカゴを置いた。

「伽羅ちゃんも手伝ってくれて助かるよ」

光忠が有無を言わさぬ笑顔を俺に向ける。
一方小夜は表情一つ変えずに柿を一つ取り包丁で丁寧に皮を剥き始めた。

「おい。これはなんの騒ぎだ?」

俺の隣で小夜と同じように柿の皮を包丁で剥き始める彼女に尋ねると、彼女は柿から目を離さないまま口を開く。
だけど、ただ開くだけで何も言わず再び閉じてしまった。
いつもだったら俺が呼ぶと何をしてても手を止めて振り向いてくれるのに、今の彼女はそうしてくれない。
最も、彼女の横顔が耳まで真っ赤に染まっているので振り向かないというよりは振り向けないのだろう。

「干柿を作るんだよ。皮を剥いた柿を熱湯にくぐらせて、それから外に干す。熱湯にくぐらせると柿にカビができにくくなるらしいんだ。ちなみに、干柿が上手にできるコツはもう一つあって、空気が乾いたよく晴れた日に柿を干すことが大事なんだよ。ね?主?」

光忠が彼女に向けてパチンと片目を閉じてみせる、というか、光忠の片目は眼帯をしているのでかっこつけるのもどうかと思うのだが。
彼女がそんな光忠には視線を向けて肯定の返事をする。
それがなんだか悔しくて俺はわざと彼女にもう一度声をかけた。

「何をすればいい?」

「皮を剥き終えた柿のへたを紐で結んでほしい。僕達も皮を剥き終わり次第手伝うから」

間髪入れずに小夜が答えてきた。
察しの悪い二人に半ば諦めの感情を抱きつつ、とりあえず言われた通りに皮を剥き終えた柿のへたを紐で結ぶことにする。
勿論、無意識に手を伸ばしているのは彼女が剥いた柿だけ。
そうして作業は光忠の一人独演会を聞かされながら進み、やがて、全ての柿を干し終えた時には太陽が真上より少しだけ傾いていた。

「ここが一番陽当たりがいいね。いい場所を教えてくれてありがとう、小夜ちゃん」

柿を干した場所は大広間の前の縁側、光忠に礼を言われた小夜は無言で首を縦に振っている。
干し終えた柿を眺める小夜の表情はずいぶんと嬉しそうに見えた。

「伽羅ちゃんもありがとね」

「助かった」

光忠と小夜が俺に礼を述べるので目線だけ向ける。
俺の視線を受けとめると光忠と小夜は昼餉の支度のために揃って勝手場に歩いていった。
ふと、そろりと彼女も何処かへ足を運ぼうとする姿を見つけたので、俺は内心呆れながら彼女の手首を取る。

「あんたは俺に言うことないのか?」

手首を掴まれて逃げられなくなってしまった彼女は視線を右往左往させている。
少しの間を置き、決心したのか恥ずかしそうに俺を見上げてきた。

「ありがとう、伽羅ちゃん」

もう少しいじめてやりたくて掴んだままの手首をぐっと引っ張り、彼女との距離を詰める。
想像した通り、彼女の顔は耳まで真っ赤になった。
もっと困らせてやりたい、本能のままに距離をなくそうとした時だった。

「みーちゃった」

うふふと笑う乱の声が聞こえ、すぐに彼女からパッと離れる。
俺と目があった乱はクスクスと笑いながらこう言ったのだった。

「あんまり本丸の風紀を乱すといち兄にお覚悟されちゃうから気をつけてね」

言うだけ言ってから乱がタタタと走っていなくなる。
乱が去ったあと、彼女と俺は無意識にお互いを見つめ、そして思わずお互いにふっと笑う。

「もう、伽羅ちゃんのせいよ」

「抵抗しないあんたが悪い」

干柿一日目、今日も俺と彼女はどうしようもないバカップルだと刀達に言われている。
そんなことより、俺は彼女と作った干柿の完成まで待ち遠しくてたまらなかった。


柿を干してから半月ほど経っただろうか。
あれからほとんどの日が晴れていたので柿はみるみるうちに水分が抜けて縮んでいった。
小夜は毎日のように大広間から出ようとせず一日のほとんど柿を見上げて過ごしている。
粟田口の短刀達は干柿開始からずっと絵日記をつけている、ちなみに、蛍丸と愛染もだ、勿論小夜もだけど。
時折、光忠が干した柿を一つずつ丁寧に揉んでいる姿を見かけた。
柿を揉むことで甘さがどうとか言っていたが、生憎俺は彼女ばかりに気を取られていたので光忠の話を正直あまり聞いていない。
それからまた月日が経ち、柿が干柿独特の黒に染まりつつある頃、俺は彼女と共に万屋にやってきていた。

「伽羅ちゃんも付き合わせちゃってごめんね」

「別に構わない」

彼女が万屋に来た理由は短刀達の画材がなくなったからだった。
本当は一期が兄弟と叔父の全員を引き連れて買いに行く予定だったのだが、生憎一期は遠征が続き買いに行けそうになかったのである。
いや、本当は遠征のせいではない。
何処ぞの誰かが本丸の庭の隅々まで落とし穴を掘るので、一期は弟達と叔父がその穴の餌食にならないために日夜ひたすら穴を埋め直す作業に追われ、結果、あまり出陣すらしていないのに重度の疲労と軽傷というありさまだ。
そんなこんなでたまたま万屋に用事があった彼女が一期の代わりに買いきたのである。

「伽羅ちゃん、重いでしょう?」

「重くない」

彼女は店を出てからずっとそうだ。
俺が持つ画材の数々を重くないかとか私も持つとかひたすら俺の心配ばかりする。

「少しは俺のことより自分のことを心配したほうがいいんじゃないか?」

そう言った直後だった。
突然彼女の後ろのほうから馬に乗った人間が物凄い勢いでやってくる、俺は咄嗟に彼女の腕を掴み強く引っ張る。
馬に乗った人間はさも自分が通ることが当たり前の顔をしてその場から去っていく、勿論俺はそいつに対して腹が立ったのだが、それよりも今は彼女の無事が確認できれば他はどうでもよかった。

「だから言っただろ」

俺の言葉に彼女がゆっくりと顔をあげる。
咄嗟に力任せのまま彼女の身体を引き寄せたので今彼女がいる場所は俺の腕の中だった。
思わず頬が緩む。
何故なら、耳どころか首まで真っ赤に染めて狼狽える彼女の姿を見ることができるからだ。

「あ、ありがとう」

「またあんたにぼけっとされるわけにいかないからこのまま帰るか」

画材を持っていないほうの手で彼女の白く小さな手を握る。
このままだと彼女の顔から火が出そうな気がした。

「これだから伊達男は」

彼女がそう呟いて俯く、それがおかしくて俺は繋いだままの彼女の手を自分の唇へと当ててみせた。
彼女の目が弾かれたように俺を見つめ、わなわなと肩が震える。

「伊達男で何が悪い?」

緩んだ表情を隠そうともせずに彼女にそう返すと、彼女は負けたと言わんばかりに眉を八の字にして苦笑いを浮かべていた。
それにしても、今日も天気が良い。


それからまた月日が経った頃、柿はだいぶ中まで水分が抜け始めていた。
いくつかを何振りかが味見をしていたが、これがなかなか美味とのことだ。
味見をした小夜の瞳が水面のように輝いていたので、干柿の出来によほど嬉しかったに違いない。
最近では柿の摘み食いというのが一部の刀達の間で流行り、それを守るため新しい内番まで作られたほどだ。

「だからって、何故俺が見張りをやらなきゃならないんだ」

「何故って?伽羅ちゃんなら絶対に摘み食いしないでしょう?」

今日の見張り番は俺と彼女だった、いや、正しくは今日の見張りも俺と彼女である。
広い大広間には俺と彼女しかいないせいで静かだ。
静かと言っても耳をすませば庭や畑などあらゆる場所から刀達の賑わう声が聞こえてくるので、全く静かというわけではない。
俺の隣にいる彼女は何処かの部屋から持ってきた文机にかじりつきひたすら紙に筆を走らせている。
ここで仕事するくらいなら見張り番など他の連中にやらせておけばいいのに、最も、彼女と一緒じゃなければ俺も見張り番という内番なんかすぐにサボってやるが。

「おい」

「ん?」

「俺の後ろから出てくるな」

ただならぬ俺の殺気に彼女もハッとし表情を引き締める、そんな彼女の横顔をちらりと見てから俺は自分の本体を掴み縁側に向かって走り出した。
俺が走ったせいで柿が揺れる。
それと同時に屋根の上から白いのと青いのが俺をめがけて勢いよく飛び降りてきた。
ガチンと鞘同士がぶつかる鈍い音が庭に木霊する。
その音を聞き二振りが愉快そうに笑った。

「こいつは驚いたぜ。流石伽羅坊だ。瞬時に俺達の気配に反応するとは大したものだな」

「あなや。これは簡単にはいかないな」

やはりまた鶴丸と三日月が奇襲を仕掛けてきた。
この本丸のじいさん達は元気すぎて困る。
俺が鶴丸と三日月の相手をしていると何処かの茂みが揺れ、また誰かが飛び出す。
今度は緑のやつがカッと瞳孔を開かせながら宙に揺れる柿めがけて飛び込んできたのだった。

「干柿は俺と大包平でいただいたぞ」

鶯丸が嬉々として柿に手を伸ばそうとした時だ、大広間の中から現れた長い影が振り回され鶯丸を一瞬にして蹴散らす。
それと同時に本丸のあちらこちらから小さな影が集ってきた。

「干柿の摘み食いは許しません!」

前田を筆頭に短刀達が勢揃いしていた、いや、よく見ると短刀だけではなく蛍丸もだ。
そして鶯丸を蹴散らした人物が大広間から庭に優雅に降りたった。

「伽羅ちゃん無事?おじいちゃんズに怪我されてない?」

薙刀を肩に担ぎ彼女が心底心配した目で俺に視線を向けてくる、その彼女の後ろから本体返せと岩融が叫んでいるのでそういうことらしい。
まったく、俺の後ろから出てくるなと言っただろうに。
主と大太刀と全短刀(一部極含む)が相手だと不利と柿泥棒達は悟ったのか、三振り揃って降参の意を示し両手をあげた。
これにて、柿泥棒は一騒動終えたのである。
その後、じいさん三人は小さい軍団により一期と光忠の元へ連行され、また大広間には平和が戻った。

「おじいちゃん達には困ったものね。伽羅ちゃん、ありがとう。お疲れ様」

「困った困らないどころの話じゃないだろ。だいたい干柿の手伝いもしなかったくせに摘み食いをしようとするあいつらはどうかしてる」

俺の不満を聞きつつ、やれやれといった感じで彼女が再び文机に向かう。
俺はおもむろに彼女の隣に座り、そのまま彼女の両肩を掴んで体重をかけた。
俺の体重を支えきれなくなった彼女が畳の上に倒れ込み、自然と俺を見上げる形になる。
彼女は数回瞬きしたかと思えば、かあっと一気に顔を真っ赤にさせていく。

「ちょ、か、伽羅ちゃん!?」

先程の勇ましさを感じさせない彼女の狼狽えように俺は思わず吹き出した。
ああ、本当、彼女と一緒にいると楽しい。

「そういえばさっき言い忘れたが、確かに俺は干柿の摘み食いには興味ないな。だけど、あんたの摘み食いなら興味ある」

俺の胸板を必死に押し返そうとしている彼女の手をそっと掴み、指を絡めてみせる。
俺の暗い肌の色のせいか、彼女の指がまるで純白の雪のように映えた。

「伽羅ちゃん、待って、」

「待たない」

彼女の顔に自分の顔を近づける、彼女はどうしたらいいか分からなくなったのだろう、ただぎゅっと目を閉じることだけしかしない。
そんな彼女の姿に俺はまた一つ笑みを溢す。
それからまた距離を詰めようとした時だった。
遠くの方からバサバサバサッと大量の紙束が落ちる音が聞こえ、俺はうんざりしながらそちらに視線を向ける。
大広間の入口にはわなわなと肩を震わせながら立ち尽くす長谷部の姿があった。

「あ、ああああ主に何をしているんだ貴様ぁ!?」

我を失った長谷部が鞘から本体を抜き放ち俺めがけて振り回してくる。
このままだと彼女まで危険な目に遭わせることになるので俺は仕方なく彼女から退いた。
いかにも俺を圧し切りそうな長谷部の姿をたまたま通りかかった御手杵が見つけ必死に長谷部を止めようと奮闘し、また騒ぎを聞きつけた他の二槍も現れ、結局大広間は騒がしさを取り戻す。
干柿はそんな本丸の縁側で気持ちよさそうにそよそよと風に揺られていたのだった。


すっかり柿の水分が抜けた頃、俺は今日も彼女と一緒に見張り番をしていた。
彼女曰く、白い粉のようなものが吹き出てきたら干柿は完成するらしい。
しかし、完成を待ちきれないじいさん三人は毎度めげずに奇襲を仕掛けてくるので見張り番は相変わらず楽ではなかった。
あたたかい日差しと彼女の筆の音に少しだけ眠気を感じる。
思わず彼女の肩にトンと頭を乗せて寄りかかった時だった。
庭から顔を出し挨拶してくる旅商人が現れ、彼女がこんにちはと挨拶を返しながらその場から立ち上がる。
当然、彼女の支えを失った俺はそのまま畳の上に倒れ込んだ、納得いかない。
そんな俺の心情を知らない彼女は何も気にする素振りをみせず縁側に座り、旅商人も縁側に近寄り持っていた品を並べてみせた。
政府から派遣された旅商人というだけあって万屋とは違う近未来のものから本来その時代にあるだろうものまで様々な品を持ち合わせている。
たくさんの品々を眺める彼女の横顔はとても楽しそうだった。

「この爪紅は加州にいいわね。あ、そういえば乱ちゃんも欲しがっていたから二つ買おうかな。あ、この髪結いの紐は安定に似合いそう」

彼女の口から次々と紡がれる男の名に気分が悪くなる。
彼女は俺だけを見ていればいい、だけど、いつも俺の傍にいてくれるが、それ以上に彼女はこの本丸の主だ。
そんなわがままを言ってはいけない。
ふと、赤い生地に金の倶利伽羅竜が刺繍されている着物が目に入る。
どうやらこれは女ものらしい。
俺は彼女がこちらに気がついていないのを確認し旅商人を呼び寄せる、それからすぐに着物を売却した。
わがままは言えないが、これくらいは許してほしい。
そうしてずいぶん経った頃、ようやく彼女は買物を終えて旅商人を解放した。
来た時よりずいぶんと軽くなった品物に旅商人は足取り軽やかに去っていく。
そんな旅商人の背中をひらひらと手を振りながら見送った彼女はようやく俺に振り向いた。

「伽羅ちゃん、じっとしててね」

スッと俺の目の前で座ったかと思えば俺の左腕を取る。
彼女の白い指が俺の手首をなぞり、カチッと何かが嵌る音がした。

「私の時代ではブレスレットというの。伽羅ちゃんに似合うと思って」

赤と金の水晶を組み合わせて作られた腕輪が俺の手首につけられている。
俺の手首から手を離した彼女は照れくさそうにはにかんだ。

「いつもありがとう、伽羅ちゃん。大好きよ」

不意打ちにもほどがある、いつもは俺から彼女に詰め寄り困らせているにもかかわらず、まさか、今日は彼女からやられるとは。
顔が熱い、耳が痛痒い、身体の中心から熱が溢れてくるようで、胸の奥がきゅっと鳴る。
好きだ、この感じ嫌いじゃないな。
きっと彼女も俺に詰め寄られるたびに同じ感覚を覚えている、そんな気がした。

「あんたにはこれが似合うんじゃないか?」

俺の背中に隠すように置いていた着物を彼女の前に引き寄せる。
彼女は不思議そうにしながらも着物を包む和紙を丁寧に開き、着物を見つけた。
一瞬にして彼女の顔に笑みが咲く。
それからパッと顔をあげてこう言ったのだった。

「ありがとう、嬉しい。この着物、まるで伽羅ちゃんみたいでかっこいいね」

それは俺色に染まりたいと解釈してもいいのだろうか、いや、彼女に他意はない。
小っ恥ずかしいことを平気で言ってのけるのが彼女の癖だから気にしたら負けだ。
だけど、俺がそんな彼女の言葉に一喜一憂してしまうのもまた事実でもある。

「知ってるか?」

彼女の耳に唇を寄せる、少しだけ彼女の肩が跳ねた。
彼女が逃げ出さないように白い手を握る。
微かに彼女の震えが俺の手に伝わってきた。

「男が女に服を贈るのはその服を脱がせたいからだそうだ」

スッと彼女から離れながら、そう光忠が言っていたと最後に付け加えた。
彼女はただ黙って俯いた、勿論、その耳は赤く染まっている。
伽羅ちゃんったら、もう。
消え入りそうな声で呟く彼女の言葉に俺は嬉しくて頬が緩む、やはり、彼女をいじめるのは楽しい。

「あのさ、いつもいつも思うんだけど、主の近侍が俺だってちゃんと分かってるの?」

大広間に響く不機嫌そうな声に俺も彼女も視線を向ける。
そこには仁王立ちして俺を睨む加州の姿があった。
加州はすぐに彼女に駆け寄ってから膝をつき、再び俺を睨みつけてくる。
ちなみに、加州の後ろから眉を八の字にして苦笑いを浮かべている大和守もいた。

「バカップルなのもいいけどさ、いつも近侍の俺を差し置いて二人きりでいるのやめてよね。それに主も、大倶利伽羅をあんまり甘やかさないでビシッと仕事しなさいって言ってやんなよ」

「気持ちは分かるけど、主に怒っちゃダメだよ」

唇を尖らせて不満を溢す加州を大和守がやんわりと宥める。
彼女は二振りを交互に見据えて、これからはそうするねと微笑みを浮かべた。
加州の表情がパッと明るくなる。
大和守もなんだかんだで嬉しそうだ。

「分かったならもういいよ。とにかく、俺、またあとで来るからその時はちゃんと大倶利伽羅じゃなくて俺と仕事してね」

「分かった。待ってるね」

加州が立ち上がって先に大広間を出る。
加州に続いて大和守も大広間を出ようとしたのだが、ふと、足を止めてこちらを振り向いた。
いや、正しくは俺に視線を向けている。

「加州清光が邪魔してごめんね」

「別に」

「でも、ちょうどよかったんじゃないかな?」

スッと大和守の視線が鋭くなる。
それから地を這うような声音でこう言ったのだった。

「主の服を脱がす不届者め」

首落ちて死ね、ボソッと付け加えてから大和守は今度こそ大広間から去っていった。
どうやら、怒っているのは加州だけではなく、もっというなら、一番怒っているのは近侍ではない大和守なのかもしれない。
彼女が俺にそっと視線を向ける。
数秒だけ視線を彷徨わせたかと思えば、彼女は再び俺に視線を向け、困ったような曖昧な微笑みを浮かべてしまう。

「首落とされてもちゃんと拾ってあげるからね」

違う、そうじゃない。
俺は思わず深い溜息を吐いていた。


次の日、残念ながら今日は彼女の隣にいることができない、俺も出陣しなければならないからだ。
朝餉の時大広間に現れた彼女はとても美しかった。
赤い生地に金の倶利伽羅竜の刺繍された着物に、黄色の帯に褐色の帯締め、褐色の帯締めにあわせたのか帯揚げも褐色。
艶やかな髪を結いあげてそこに飾るのは今の季節を連想させる赤と黄の楓を模した簪だった。
上座にある自分の膳に座る彼女を大広間にいる刀剣男士達が一様に口をあけて見つめる。
その視線に気がついた彼女が恥ずかしそうにはにかんだ。

「今日だけだよ。いつもこんなにきっちりしていたら動きにくいもの」

確かに彼女はいつも動きやすいよう略式の着物を好んで着ている、そのせいで雰囲気がだいぶ違かった。
彼女が同意を求めるように俺に視線を向けて微笑む。
その瞬間、大広間中の視線が全部俺に向けられた。

「今日の主、まるで伽羅ちゃんみたいだね」

光忠の感想は大広間の空気を張り詰めさせた、勿論、光忠に悪気はない。
俺はさっさと膳を済ませてから大広間を出た。
俺が大広間を出るとパタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえる。
その音に聞こえないふりをしながら俺は歩く。
やがて、誰もいない中庭に出てから振り返ると、ようやく彼女が俺に追いつく。
俺はたまらなくその身体を強く抱きしめた。

「どういうつもりだ」

彼女が苦しそうにしながら顔をあげて俺を見つめる。
少しの間を置き、彼女は眉を八の字にして微笑んだ。

「これなら伽羅ちゃんの隣に立ってもじゃじゃ馬には見られないと思って」

妙に艶めかしい唇が俺にどうかなと感想を求めてくる。
そんなの決まってる、答えは最初からこれしか用意していない。
彼女が俺の名を呼ぼうと口を開く、俺はもう彼女が俺以外何も考えられなくなるようにその唇を塞いだ。
一瞬だけの口づけ。
でも、想いを伝えるには十分だ。

「俺が帰ったら覚悟しておくんだな」

彼女がまた耳まで真っ赤に染める。
ガラス玉のような美しい瞳が恥ずかしさに揺れていた。
だけど、否定しないところを見ると期待していいのだろう。

「気をつけていってきてね」

「ああ」

「帰ったら一緒に干柿食べようね。粉が吹くのはまだ先だけど、たまには伽羅ちゃんだって摘み食いしてもいいと思うしさ」

「俺はあんたを食べたい」

「もう!伽羅ちゃん!」

「半分冗談だ」

慣れ合いは嫌いだ、だけど、彼女と離れるのはもっと嫌だ。
昼過ぎ、俺は他の刀達と共に遠征に出かけた。
振り返ると彼女がずっと見送りのために手を振り続けている。
早く帰らなければ、そう思った。


遠征から帰還すると本丸は妙な静けさで溢れていた。
いや、静けさというよりは無と表現できるだろう。
ドクンと胸の奥が脈打ち、頭がガンガン痛くなる。
異常な空気に先に足を動かしたのは今回の部隊長である鳴狐だった。
お供の狐が鳴狐の肩から降りそのまま庭から大広間に向かって走っていく。
鳴狐は開けっ放しになっている玄関から入り、俺達もそのあとに続いた。
二、三歩進んだ時には嫌でも事態を把握し、また、鳴狐のお供も大声で俺達を呼ぶ。
この本丸内にその日出陣していなかった刀達が全員重傷を負ってまるで死んだように横たわっていたのだった。

「た、大将が」

倒れていた中の一振りである薬研が視線だけを俺達に向ける、そんな薬研の側に鳴狐が膝をつき、薬研の口に耳を寄せた。
苦しそうに、悔しそうに、薬研が息も絶え絶えに大将がと呟く。

「闇堕ちしちまった」

そう言った薬研の声は泣いているような気がした。
俺は無意識に彼女の部屋に向かって走りだす、遠くから俺を呼ぶ声が聞こえるが振り向く気はない。
本丸の何処を走っても荒らされた室内と重傷を負っている刀達で溢れている。
その刀達に目もくれず俺は彼女の部屋に向かった。
勢いよく障子をあける。
しかし、そこにあったのはいつもの優しい彼女の笑顔ではなく荒れた室内だけだった。

「おい!?返事をしてくれ!?何処だ!?何処にいる!?なぁ、頼むから、」

俺の膝がその場に崩れ落ちる。
崩れ落ちた畳の上に転がっていたのは赤と黄の楓を模した彼女の簪だけだった。


俺達が帰還したあと、遠征に出ていた他の部隊の刀達も全員帰ってきた。
当然、この本丸のありさまに誰もが言葉を失っている。
まずは重傷した刀達を手入れ部屋に連れていき、何が起きたのか話せるようになるまで待った。
その間に動けるやつらだけで荒れ果てた室内を直していく。
しかし、そこには活気がない、いつもの騒がしさが嘘のように消えていた。
バカみたいにはしゃぐ声も、誰かを怒る声も、愉快気に笑う声も、そして、彼女の優しい声も、全部、全部、全部。
やがて、手入れ部屋に運んだ刀達が戻ってくる、最初に戻ってきたのは薬研だった。

「旦那達が出陣したあと、俺達は各々の仕事を開始したんだ」

薬研や他の手入れを終えた刀達の話を聞くため、俺達は一度全員大広間に集まった。
いつも彼女が座る上座はぽっかりとあき、それがまたこの本丸の色を消している。
それぞれの表情は強張り、瞼さえ腫れているものもいた。
彼女がそこにいないと思うだけで俺は息の仕方が分からなくなるほど苦しくなる。
しかし、それと同じくらいこの不気味なほど静寂に包まれている本丸を見ていることが辛かった。
俺は慣れ合いを好まないはずなのに。
半分抜け殻の状態の俺の耳に薬研の当時の話が聞こえてくる、薬研曰く、つまりはこういうことだった。
遠征部隊全て出陣した昼過ぎ、残された刀達は各々仕事を開始した、畑仕事、馬当番、手合せ、見張り番など様々。
そして今日の彼女は大広間ではなく自室で仕事に励んでいたらしい、本日の近侍は相変わらず加州だった。
やがて、夕刻。
先に気配に気がついたのは柿の見張り番をしていた小夜だった。
急に穏やかな日常だった庭にぐにゃりと空間みたいなものが歪み、そこから突如として現れたあいつらが奇襲を仕掛けてきたのだ。
本来ならこんなところに現れるはずがない。
何かの間違いだ。
そう、奇襲を仕掛けてきたのは歴史修正主義者の軍勢だった。
小夜の号令により本丸にいた全刀剣男士が敵に応戦するため集う、勿論有利だったのは刀の方だ。
しかし、心の何処かで自分達が強いと自負していたのだろう、敵が本丸の、しかも彼女の部屋に向かっていたことを誰も気がつかず、加州の叫び声が本丸に響いた時にはもう手遅れだった。
敵が彼女の部屋に乱入してきた時、彼女の近侍である加州は勿論命がけで戦った、だけど、敵の狙いは最初から彼女だったのである。
この本丸の刀達は闇堕ちに対する思想を一切持っていない、それは清々しいほどに割り切っている、だからこそ、敵の狙いは彼女だった。
心身共に強い刀剣男士ではなく、心身共にか弱い人間を闇堕ちさせようと目論んだのだ。
闇堕ちした刀剣男士が当然桁違いの強さを手に入れることは明白だ。
それなら、その刀剣男士を目覚めさせる未知なる力を持った審神者ならどうなるだろうか、きっと、闇堕ちした刀剣男士以上の働きをしてくれるだろう、それが彼女を狙った理由だったのである。
彼女の心が強いことを俺は知っている、だけど、彼女の大切だった人が殺されれば話は別。
以前彼女に聞いたことがある、審神者になる前の彼女には現代で許婚であり恋仲の男がいた。
このご時世に許婚とは古臭い話だと思ったが、彼女自身が旧家の出だと聞き俺は納得した。
ちなみに、相手の家柄も申し分ないようだ。
あんまり話したり誰かと慣れ合うことが苦手の男、彼女曰く、何処となく俺と似ているらしい。
審神者になることを理由に彼女はその男と許婚を解消し、そして別れたと言っていた。
所謂、初恋だったとか。
政府は彼女に審神者になる条件として、彼女の親類縁者に万が一危害が加えられぬよう政府が守るという約束だった、しかし、元許婚とはいえその男と彼女は家族ではない。
そうして歴史修正主義者はその男に対し残酷な仕打ちをし、彼女の心の底に眠る暗い憎悪の塊を引き出したのだった。
結論から言うと、敵は男を殺し、その事実を彼女に突きつけたのだ、彼女のせいで男は殺されたと脳に植えつけるように。
彼女の憎悪が目を覚ました瞬間、本丸にいた刀達の力が一気に抜け、そこを敵に突かれたのである。
加州は自分が力尽きても必死に彼女を敵に渡さないよう抵抗したのだが、その時にはもう彼女の耳に加州の声など聞こえていなかったのだろう。
堕ちた彼女は抵抗することなく敵の手を取り、そのまま敵と共に本丸から消えたのだった。

「旦那、すまない。大将を守れなくて」

薬研の拳が畳の上に叩きつけられる。
一期が痛々しそうな薬研の拳に手を伸ばそうとしたが、薬研の心情を悟ったのか自らの手を引いた。
呆然と話を聞くだけの俺の代わりに光忠が口を開く。

「さっき政府から入電があったんだ。審神者が闇堕ちするのは前代未聞、これが他の本丸の審神者の耳に入る前に審神者を取り戻せ、という命令だったよ」

ちょうどその時だ、とことこと小さな足音を立ててこんのすけが室内に入ってくる。
こんのすけは室内にいる刀達の表情を一瞥してから重苦しそうに言った。

「今回の件、政府も責任を感じています。つまり、政府は審神者個人のことを何も把握できていなかったということになりますから」

それは完全なる自分の身がかわいいが故の責任だった。
そんなことよりも俺にはやるべきことがある。
スッと立ち上がると光忠が心配そうに俺の名を呼ぶ。

「さっさとあいつを連れ戻してくる。政府なんか俺には関係ない。ただ、あいつが闇堕ちした理由が俺以外の男だなんてどうかしてる。だって、あいつは」

「伽羅坊」

泣くな、同じく立ち上がった鶴丸が俺の頭をガシガシ撫でながらそう続けた。
鶴丸の言葉に俺がようやく涙を流していることに気がつく。
恋仲の男の存在は分かっていた、それは俺と出会う以前の話だから仕方がないことだ。
だけど、何故その男のために彼女は闇堕ちしなければならないのだろうか。
今の彼女は俺のもの、そうだったはずなのに。
そんなぐちゃぐちゃに絡んだ感情は声にならずただ涙に変わるだけ。

「せいふなんてかんけいありません!ぼくたちはあるじさまのためにここにいるんです!あるじさまがいないほんまるなんていやです!」

今剣は子供が駄々をこねるように泣き叫んでいた。
話を聞いていた他の短刀達も涙を溢す。
俺は涙を堪えるために唇をぐっと強く噛み、袖で涙を拭った。

「とにかく俺はあいつを連れ戻してくるからな」

俺は止めていた足を動かし一足先に大広間を出ようとする、しかし、俺の背中に向かって光忠が言葉を紡いできた。
仕方なく足を止める。

「悪いけど僕達も主を連れ戻しに行くよ。主を好きなのは伽羅ちゃんだけじゃない。この本丸にいる刀達みんなもだからね」

それはどういう意味で彼女のことを好いているのだろうか、きっと聞き返しても答えてくれないだろう。
俺は背を向けたまま口を開く。

「勝手にしろ」

本当なら一人で行くと突っ撥ねることもできたはずなのに、そうできなかった。
そうして俺達の思いは一つになった、歴史修正主義者から主を取り戻す、と。
柿はまだ粉を吹かない。


主を失った本丸は本来なら機能せず解体の一途を辿るだけなのだが、この本丸はそうならない。
彼女は自分に万が一のことがあったらといつでも予測し、そうなった場合誰が先頭に立って刀達を引っ張っていくかも常日頃から告げていた。
先頭に立ったのは彼女の初期刀であり長年近侍を務めてきた加州、その加州を支えるのは加州の次に長く本丸にいる今剣。
二振りの指揮のもと俺達はひたすら彼女を探し続けた。
大太刀と太刀部隊は厚樫山へ、短刀部隊は京都へ、脇差と打刀部隊は各時代へ遡り、槍と薙刀部隊は様々な場所へ遠征に出かける日々。
彼女を求めて日夜騒々しい、だけど、彼女はまだいない、それなのに俺の胸の中がほんの少しだけ満たされる時がある。
一体何なんだ、この感情は。
彼女を探して、探し続けて、ようやくとある時代で彼女の姿を見たという報告が入った時にはとうとう柿が粉を吹いた時だった。
彼女の発見を聞いた全刀剣男士が我先にと彼女の元へ向かう。
当然のことながら最初に彼女のことを見つけたのは俺。
そこで見た光景に俺は言葉を失った。
歴史修正主義者と共にいた彼女が俺を一瞥する、目の前にいる彼女の瞳はまるで炎のように鮮やかな赤色に染まっていた、ガラス細工のように美しかった瞳のはずなのに今は濁りさえあるように思えてくる。
しばらく会えないうちに彼女の着物は以前俺が贈った赤い生地に金の倶利伽羅竜が刺繍された着物ではなく、全てを絶望で塗り潰そうと言わんばかりの真っ黒の生地と何処かでつけてきた赤い飛沫が妙に目立つ着物を着ていた。
俺は彼女に向かって刀を構える、彼女もまた真っ黒の着物から覗く真っ白い手を宙に浮かせ合図とばかりに微かに動かしている。
俺は地を蹴って彼女に突き進む。
振りかざした刃からは鈍く重い感触がした。
彼女の周りを取り囲む歴史修正主義者がたくさんの血を吹き出しながら戦場に崩れ落ちていく。
彼女の着物にまた一つ血飛沫が増えた。
再び歴史修正主義者が彼女を庇うように前に出る、つまり、歴史修正主義者にとって彼女は主に当たる存在だということだ。
そんなこと、絶対に許さない。
俺は立ち塞がる敵をひたすら斬り殺していく、斬って斬って斬って、俺自身は傷だらけ、敵も彼女の審神者の力を手に入れているようで一筋縄ではいかないようだ。
俺は彼女を奪われた怒りのままに刀を振るう、やがて、俺が重傷を負ったのと辺りに真っ赤な水たまりができあがった頃、ようやくこの場にいるのは俺と彼女だけになった。
俺は急いで彼女に駆け寄ろうとするが、それよりも先に彼女が着物の袂から何かを取り出して俺に突きつける。
それは陸奥守が戦闘の時に使う銃と同じものだった。
俺の後ろから他の敵を倒し遅れて追いかけてきたいくつかの刀達が集う。
当然、この状況に誰もが顔色を変えた。

「なぁ、」

俺は一歩踏み出す、やめろと誰かが叫ぶが俺は聞こえないふりして彼女に近づく。
彼女の俺を見つめる瞳は赤く濁り、まるで人形のように生気がない。

「あんたが帰ってこないせいで、俺が摘み食いする前に干柿ができあがったようだぞ」

また彼女に近づく、彼女は銃を構えたまま微動だにしない。
そうして俺はまた歩み出す。
ゆっくりと、ゆっくりと、その銃口を俺の胸にくるように彼女の前に立ち塞がる。

「慣れ合いを好むあんたには闇堕ちなんかよりあのうるさい本丸の主の方が似合ってる」

自分でも驚くほどに無意識に彼女にそう言っていた。
ああ、これでようやく理解できた、俺は彼女自身が好きだが、それ以上にあの本丸であいつらと慣れ合い楽しそうに笑う彼女が好きだということに。
そして、いつのまにかあいつらと慣れ合うことで俺自身にとっても拠り所になっていたのだ。

「なぁ、もう、帰ってこいよ」

俺がそう言った瞬間彼女の手がぴくりと反応し、それから銃口を俺の頭にくるように構え直す。
俺の後ろから刀達がやめろとか主とか何かしら叫びながら走り寄ってくる、だけど、彼女の瞳は暗いままだ。
彼女の指が引き金にかかった。
俺は左の手首にあるあの水晶の腕輪に触れながら、まっすぐに彼女を見据えた。
例え彼女が俺のことを忘れたままでも、俺が彼女のことを忘れないように、しっかりと目に焼きつける。
彼女に破壊されるのと、仲間に見送ってもらえるからかもしれない、俺の心は驚くほど穏やかだった。

「愛してる、名前」

パーンと乾いた音が戦場に鳴り響く。
一拍置いたあと、銃弾が俺の頭ではなく頬を掠ったことに気がついた。

「……か、ら、ちゃん」

赤い瞳のまま彼女が俺の名を呼ぶ。
我に返った俺は慌てて彼女に駆け寄った。

「ごめん、ね」

彼女の赤い瞳から水晶のように綺麗な涙が一筋溢れていく。
真っ白い手から銃が滑り落ちたかと思えば、彼女は地面に倒れ込むように意識を失った。
俺が彼女の倒れた先にいたのでしっかりと彼女の身体を腕の中に抱きとめる。
集まってきた刀達が俺の無事と彼女の奪還に安堵したらしく疲れた表情でそれぞれ笑みを浮かべていた。


数日後、あれから眠り続けていた彼女が目を覚まし、それを聞きつけた政府が彼女に面会した。
俺はその面会に同席する。
本来ならこの場には近侍の加州がいるべきなのだが、加州は俺にその役目を譲ってきた。
彼女は闇堕ちしてから目を覚ますまでの記憶がないらしい。
そんな彼女に対し政府は審神者を続けるか否かと問いてきた、やはり、一度闇堕ちした審神者となると体裁が悪いのだろう。
それに、今回の件は政府が全くの無関係とは言えない。
政府の本音としては彼女に審神者を辞めてほしい、会話の端々にそう感じさせた。
しかし、彼女の返事は審神者を続けることだった、最も、政府が強制的に彼女の審神者を取りやめるというのなら俺達付喪神が黙っていない。
相手が政府だろうが検非違使だろうが何だろうが彼女を守ってみせる、寧ろ、彼女を守るために神隠しでもやってやるつもりだ。
それだけの覚悟がこの本丸にいる刀達にはあった。

「一つだけお願いがあります」

彼女が審神者として復帰する前にやりたいことがあるらしい。
ガラス玉のように美しい瞳をまっすぐに政府へ向けたあと、彼女は静かに頭を下げた。

「私にお暇をください」

政府にとってその言葉は意外なものだったらしい。
長い沈黙の末、政府は二つ返事で了承したのだった。


暇を貰った彼女がやってきた場所は現代だった。
飾り気のない真っ黒のワンピースに身を包んだ彼女の隣を同じく真っ黒のスーツを着た俺が歩く、また彼女に何かあってはいけないと彼女の護衛に俺が彼女から直々に任じられた。
現代は本丸のある場所と違いとても騒々しい世界だ。
最も、騒々しいのはあの本丸も同じなのだが。
彼女が訪ねた場所はかつて彼女と許婚であり恋仲でもあった男の葬儀だった。
俺の知る葬儀とはだいぶ形式が違うが、式に参列する人々の横顔がどれも暗いのは同じだ。
遺影に写る男の顔は俺に似ていない。
彼女は今、かつて愛した男との最後の別れに何を思うのか、横顔からは読み取れなかった。
式を終えたあと、彼女は男の母親と顔をあわせ、少しだけ言葉を交わす。
俺は彼女から離れていたので彼女が何を話しているのか分からない。
ただ、彼女が泣きそうな顔で笑ったのは分かった。

「伽羅ちゃん、行こう?」

葬儀場をあとにし彼女と並んで歩く。
騒々しい世界の中、彼女と二人無言で歩いた。
しばらく歩き続けると、ふと、彼女が立ち止まる。

「あの人ね、歴史修正主義者に殺される直前、お見合いすることが決まってたんだって。それで、そのお見合いが成功して結婚することが決まったら、私に手紙を書くつもりだったらしいの。俺はもう幸せだ、だから、私も誰かと幸せになってくれってさ」

ぼろぼろと彼女の瞳から涙が溢れてくる。
俺は思わず彼女の涙を指で拭う、それに対し彼女は眉を八の字にして微笑みを浮かべた。

「私と別れてからも私のことを想ってくれていたなんて。優しすぎるのよ、あの人は」

彼女と男の関係は切っても切れないのかもしれない。
チクリと胸が痛む。
彼女にとって男の死はこの先ずっと彼女の戒めになるのだろう。
彼女が生きているかぎり、ずっと。
男が原因で彼女が再び闇堕ちしないだろうか、胸の奥で不安が渦巻いた。

「あの男を忘れろとは言わない。だけど、あんたは審神者だ」

俺の言葉に彼女が静かに頷く。
だからこそ強くいなければならない、苦して、辛くて、それでも前を向き自身の任務を遂行する義務がある。
彼女に言わず心に飲み込んだ言葉を彼女には言わなくても分かるだろう、少なくとも俺はそう思った。
彼女の涙が止まる、俺は彼女から手を離し、彼女もまた俺から一歩引き、それから再び歩き出そうとする。
だけど、彼女は何かを思い出したのか足を止め、そしてもう一度俺に振り返った。

「私ね、本当は少しだけ闇堕ちした時のことを覚えているの」

「政府には覚えてないと言ってなかったか?」

「うん、そう。でも、ちゃんと覚えてる」

彼女の真っ白い手が俺の左の手首を取る。
俺は突然の彼女の行動に驚き思わず彼女を凝視する、そんな俺の視線に対し彼女が水晶の腕輪に触れながら柔らかい微笑みを浮かべた。

「伽羅ちゃんの想い、ちゃんと私に届いたよ」

あの時彼女に告げた愛の言葉、それは、彼女の自我を取り戻す結果にも繋がった。
俺は頬を緩ませながら彼女の手を握る。
すると彼女がまた笑った。

「用事はもう済んだか?」

「うん。あの人に最後にもう一度会えたから、もう十分よ」

「それなら、さっさと行くぞ」

彼女の手を引いて俺は歩き出す。
彼女は俺が行きたいところでもあるのかと勘違いしているようなので、俺は溜息混じりに言ってやった。

「あんたが帰る場所はあいつらがいるところだろ」

慣れ合いは嫌いだ、ずっとそう思っていた。
いつもいつも騒がしい本丸、ちっとも落ちつく暇もない、彼女に相応しい場所。
そして、俺の仲間がいる、俺の好きな場所。

「そうだね。帰ろうか」

彼女と並んで帰路を歩く、歩きながら俺は彼女の横顔を盗み見た。
悲しそうな色、決して消えてくれない色。
時折彼女のガラス玉のように美しい瞳が濁り鮮やかな赤が混じる。
それはふとした時に現れ、一瞬で消えていくのだ。
まるで、呪いのように。
おそらくこれは闇堕ちした時の後遺症なのだろう。

「名前」

また闇堕ちしないよう彼女の名を呼んだ。
彼女が俺を見上げて首を傾げる、それに対し俺は何でもないと返した。
何よそれと彼女が眉を八の字にして困ったように微笑みを浮かべる。
その表情はいつも本丸にいる時の彼女の姿と重なった。

「早く帰って干柿が食べたい」

「みんなで目をかけたからきっとおいしくできていると思うよ」

「一部は手伝いもせずに摘み食いばかりしようとしていたがな」

繋いだ手に力を加える、もう何処にも行くな、そう思いを込めて。
あんなに息の仕方すら分からなくなるほどの静寂に包まれた本丸は二度と御免だから。


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