I've got a crush on you.

「私のどこが好きなの?」

 今まで一度も聞かれたことはない。でも聞かれたら、オレは「全部」と答えてしまう。そう言えば名前はきっと、「嘘つかないでよ。真面目に答えて」と怒るだろうけど。

 嘘じゃない。本当だ。
 美点も欠点も含めて、オレは全部と自信を持って答えられる。
 あばたも笑窪とか、惚れた方が負けとか、恋は盲目だとか、よく言ったもんだ。


 名前は朝が弱い。名前が気に入っているデザインの目覚まし時計も、携帯のアラーム機能も、役に立った記憶がない。全部オフにしてから二度寝してしまう。オレが起こしに行くまで、布団にかじりついていることなんてざらだ。だから朝飯はオレが作ることが多い。
 正直に言えば朝飯作りは面倒といえば面倒だ。でもまあ、幸せそうにベッドで寝ている名前を見るのは悪くない。
 今日もオレは寝室の扉を開ける。ノックはしない。したって意味がないからだ。
 ベッドの上で名前が丸まっている。その端に腰掛けても、彼女はぴくりとも動かない。そっと手を伸ばして、掛布団の上から触れる。

「名前、休日だからって遅起きは良くないぜ?」

 もぞもぞと名前が動いて、ゆっくりと身体を起こす。まだ完全に覚醒しきっていない顔。もう一度寝ようとするのを「こらこら」と言って止める。

「おはよう」
「…おはよう」

 のろのろと立ち上がって部屋を出て行く名前を見送って、オレはキッチンの方へ戻る。顔を洗うと彼女はしゃっきりと動き出す。

 ぱたぱたと軽やかな足音がすぐに聞こえて来る。さっきまでの眠そうな顔が嘘のように、名前が晴れやかな顔で姿を現した。

「おはよ、隼人」

 名前は食べることが好きだ。何でも美味そうに食う。人並みにカロリーだのを密かに気にしているのをオレは知っているだが、それが食生活に反映された試しはない。もし本気で気にしてるなら、昨日の夕飯が豚カツなわけないだろ。結局は、食の楽しさの方が優先されてるわけだ。
 美味そうに朝飯を食べる名前を見ていると、作った苦労も報われる。彼女が「私、カロリー高い物嫌いなんだ」と言ったり、少食タイプじゃなくてよかった。一緒に食べていて楽しいほうがオレは良い。

「隼人、今日の予定は?」
「今日は家でゆっくりする。名前は?」
「私もそうする。いい加減、アイロンがけとか溜まった家事やらないと」

 タン、とウサ吉がケージの床を蹴る音がした。朝飯に使ったニンジンの切れ端を後でやろう。


 名前のアイロンがけは下手だ。時間をたっぷりかけたわりには皺が残っていたり、畳み方も不格好。世の主婦が見たら、悲鳴を上げそうな出来だったりするそれが、オレは全然気にならない。オレがやったほうが綺麗にいくとわかっていても、オレは「やるよ」とは言わない。そんなオレは意地が悪いのかもしれない。
 今も名前はアイロンがけに苦戦している。アイロンを動かす手はぎこちない。オレに背を向けているから表情は見えない。でもどんな顔をしているのか想像に難くはない。「がんばってやってます!」と主張する背中を見ていると、思わず笑いが零れてくる。
 名前が小さく「終わった」と言う。彼女の隣に積み上がった不格好なワイシャツの山。アイロンの電源の切れる小さな音がした。

 そういえば、名前は掃除機をかけるのが好きだ。理由を聞けば「一気に汚れがとれて爽快だから」だとか。
 家中に響き渡る掃除機の音を聞きながら、ウサ吉をケージごと寝室に避難させる。既に掃除機がかけられた後のここには、埃一つない。一度掃除機をかけると決めると、名前は徹底的にやる。棚の下も容赦しない。
 名前が掃除機かけをするときに、物を動かすのはオレの仕事だ。「それくらいできるよ」と彼女は言うが、掃除をしている間中寝室で籠城しているのも悪いと思ってやっている。それに、協力して掃除をしている感じがオレは嫌いじゃない。

 掃除機の音が止んだのは、昼近くになってからだ。ウサ吉とケージを元の位置戻すオレの横で、名前がうーんと伸びをする。

「隼人、お昼なんだけど、リクエストある?」

 冷蔵庫のほうに歩き出す名前を追いかける。その背中越しに中身を覗き込む。

「ナポリタンならすぐ作れるけど」
「ああ、じゃあそれで」


「やる気起きない…」

 ソファで名前がだらけながら嘆いた。オレは眠りそうになりながら、それを聞いている。

 彼女は一度火が着くとさかさか物事を進めることができる。ただ、火が着くまでが遅い。学生時代もテスト前に同じことを言って、夜中に追い詰められているのを何度も見てきた。
 午前中はわりとエンジンがかかりやすい。昼飯食ってちょうど眠くなってきた午後は、「やる気起きない」しか言わなくなる。そして結局、何もしないまま午後をだらだらと過ごしてしまう。夕方くらいになって「またやっちゃった」とショックを受けている。オレからすれば、普段それなりに仕事をこなしている名前は、休日くらいのんびりしたっていいと思う。2人でだらだらする休日でもいいじゃねェか。

「眠いの?」

 オレの頭を子供相手にするみたいに撫でながら、名前が優しく聞いてくる。

「ちょっとな」
「眠いなら寝たほうが良いよ」

 オレが寝ても、名前はやる気を出さないだろうな。きっと寝ているオレの横で、悶々とした挙句、菓子でもつまむんだろう。


 名前の料理は美味い。でも味は安定しない。何故なら名前が舌と勘を頼りに作るからだ。レシピを見ている姿をオレは見たことが無い。舌と勘はかなり冴えているから、劇的に不味いことはない。味付けもオレ好みで、文句を言った記憶はない。
 エプロンをして料理をしている彼女を見るのが好きだ。多分、他の誰もが知らない姿の1つだからだろう。
 肉じゃがの味見をしている名前の隣で、オレは魚焼きグリルに塩鮭を突っ込んだ。今日の夕飯は和食だ。
 ことことと煮込まれている肉じゃがを見ていたら、名前が菜箸で豚肉(彼女は牛肉で肉じゃがを作らない)で摘まみ、オレに差し出して来た。

「味見する?」
「する」

 口を開けると、熱々の豚肉が放り込まれた。はふはふしているオレに名前が尋ねる。

「どう?」

 今日は少し甘めだ。

「美味い」

 いつだってオレの「美味い」に、名前はほっとしたように笑う。その顔も好きでたまらない。


 風呂上りにすぐ髪を乾かさないのは、名前の悪い癖の1つだ。それで何度か軽い風邪をひいたことがあるくせに、学習しない。
 髪を軽く拭いただけの彼女が、そのままテレビを見ているのを見つけて、オレはドライヤーを取りに洗面所へ行った。

「名前」
「何?」
「髪、濡れたままだと風邪ひくぜ?」
「大丈夫だよ。私丈夫だから」

 その自信はどこから来るんだ。これにはちょっとばかりオレも呆れる。

「…乾かしてやるから、ここ座れよ」
「はーい」

 オレの前を示せば、素直にすとんとそこに座った。段々とオレが注意して結局乾かすという流れが、固まりつつある気がする。まあ、それでも別にオレはいいけどよ。こうやって甘やかすのも、彼氏の特権みたいなところがあるしな。


 寝室の電気を消すのは名前の役目だ。だからオレはいつも、寝転がったまま名前がスイッチの元まで歩いて行くのを見ている。何でこうなったのかは覚えてない。確か、オレが疲れて帰ってきて、電気も消さずに寝てしまうことが多かったからじゃなかったか。
 ぱちんと寝室の電気が消えた。掛布団の端を持ち上げてやると、そこに彼女が滑り込んでくる。オレと向き合うように寝転んだ名前の頬に触れる。撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。犬か猫みてェだ。

 ああ、好きだ。

 朝が苦手で、飯を美味そうに食べ、アイロンがけが下手で、掃除機かけが好きで、やる気になるまでが長くて、料理が適当なのに美味くて、髪をすぐ乾かさないけど、電気は率先して消す。

 それを全部ひっくるめてオレは名前が好きだ。

「名前」
「なあに?」

 想いをそっと囁けば、名前の顔が真っ赤になる。オレの視線から逃れるように、布団にもぐりこんでいく姿は、子供か何かだ。可愛いやつ。

 布団の端からのぞいている額に優しくキスを落とせば、さらに真っ赤になっちまうだろうな。

 隠れた名前の顔がどんなものか。想像しながらオレは、額にキスをひとつした。