Don't let go of my hand.

*組織壊滅後の話。色々捏造ありです。キャラの子どもが出てきます。

長年、潜入していた組織を、FBIを始めとする各国関係機関と協力して壊滅に追い込んだ。コードネームを持つ幹部たちは粗方捕縛出来た。が、ジン、ウォッカ、ベルモットなど主だった奴等の自害又は逃亡を許してしまったのは、痛恨の極みだった。
後は事後処理のみとなったため、潜入捜査の任は解かれ、内勤中心となった。バーボンの表の顔、安室透としてやっていた私立探偵も、ポアロでのバイトもやめたので、トリプルフェイスをやっていたあの時のような目まぐるしい忙しさは今はない。
漸く仕事に一段落が着いたので、明日から二日間休みをとることにしていた。
(久しぶりに何か作るか)
以前ほど忙しさはないといえど、抱えている仕事の量はそれなりに多い。徹夜が続き、自宅には暫く帰れていなかったのだ。まだ残っている部下たちに声をかけて警察庁をあとにした。

それは本当に偶然だった。
買い物を終え、袋をさげて駐車場へと歩いてた。ふと、何気なく大通りへ視線を向けたその時。数年ぶりに見たその姿に、足が止まった。
ジーンズにダウンジャケット、スニーカーとラフな格好をして前方から歩いてくる女性。そして、目がいったのは彼女だけではなかった。その脇を歩く小さな存在に、釘付けになった。
四、五才位だろうか。彼女とお揃いの格好をしていて、小さな頭には黒いニット帽をかぶっている。
そのまま親子を凝視していると、子どもが母親を見上げた為、その顔立ちがはっきりと確認できた。
少し濃いめの肌の色に、垂れた青灰色の双眼。ニット帽からこぼれでる髪は、明るい金色。どこか既視感を覚える容姿だ。
子どもは身ぶり手振りで何やら母親に訴えている。やがて要求が叶ったのか、満面の笑みを浮かべた。そして二人は、言葉を交わしながら行ってしまった。手を繋いで腕をゆらゆら揺らしながら。
今見たものに対する衝撃が大きすぎて、その姿が遠く小さく見えなくなるまで俺はその場から動けないでいた。
(まさか、あの子どもは――)

彼女―名前とは大学三年から六年間付き合っていた。朗らかで明るい人柄に惹かれ、俺から告白した。常に前向きな彼女には何度も助けられた。結婚も視野に入れていたのだが…

『別れてくれ』
組織への潜入捜査が決まり、名前に危険が及ばないように別れを切り出した。
いきなりのことに、驚き、沈黙していたが、―俺が警察官と知っているからか―やがて何かを察したようだった。ほんの一瞬表情を陰らせたが、すぐに笑みを浮かべていった。
『―わかった。今までありがとう。身体には気を付けてね、降谷くん』
久しぶりに呼ばれる名字。これで終わりだと思うと―自分からいいだしたことなのに―何ともいえない気持ちになった。
『あぁ、お前もな』

あの時の俺は、潜入捜査のことで頭一杯で、名前の笑顔の裏に隠されたものに、気づくことができなかった。今、思い返せば、きっとこの時彼女は――

次の日、ある場所へと足を運んでいた。
彼女が駅までそう離れておらず電車で通勤しやすいといって、この近くのアパートに部屋を借りていたのを思いだしたからだ。
(あれから数年経っているから、引っ越しをして偶々この辺りを歩いていた可能性だってあるが)
脳裏に昨日の母子が浮かぶ。それはすぐに、俺と彼女で子どもを挟み、三人で歩く光景へと変わった。幼い顔が、にこにこと笑いこちらを見上げている。その表情は、たいへん可愛らしいのだか、如何せんその頭にかぶっている帽子は、誰かさんを彷彿とさせて物凄く気に入らない。
思わず、俺が違うのを買ってやるから脱いでしまえと、いいたくなってしまった。
これまで大切な人を何人も亡くしてしまった。これ以上失いたくないから、作らないようにしてきた。
だけど――
(彼女とあの子は俺が傍で守っていきたい)
強くそう思った。
記憶を頼りに足を進める。アパートに近づくにつれて、胸の鼓動が速くなってきた。どくどくと、耳の後ろで脈が打つ。
まだそこに住んでいるのか、いたとしても、拒絶されてしまうのか。不安が膨らみ、じとりと手に汗が滲む。何時もなら、色々調べてから動くのだが、一刻も早く会いたくて来てしまった。彼女のあの笑顔をもう一度近くで見たい。あの子をこの手で抱き上げたい。それだけしか頭にはなかった。突然目の前に現れた、俺の大切な宝物。二度と手放したくないし、失いたくもない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。
ぐっと両手に力を入れてアパートを見上げた。二階の一番奥が彼女の部屋だ。しかし、ここまで来て地面に足が張り付いたように動かなくなった。
(怖いのか)
微かに震える足を見下ろし、自嘲する。
(自分から別れたくせに、身勝手な)
あの時は、ああするしかなかっと決めつけていたが、他にも手立てはあったんじゃないかと、今更ながら思ってしまう。
ごちゃごちゃした感情に思考をかき回され、その場に立ちすくんだまま動けなかった。
「じゃあ、取ってくるね!」
幼い声にはっと我に返る。ぱたぱた走る足音がした後、かたんかたんと階段を降りる音がした。俺の目の前に現れたのは、昨日見かけた子どもだった。つっ立っている俺に気づき、立ち止まった。
濃いめの肌色の顔には垂れた大きな青灰色の双眼。長めの明るい金色の髪はふわふわとして柔らかそうだ。
じっと、俺の顔を見上げていたいたかと思うと、顔を輝かせて飛び付いてきた。
「パパだっ」
「えっ…?」
思いもよらない展開にパニックになった。頭が真っ白になっている俺をよそに、子どもは次々と話しかける。
「帰ってくるの遅いよ!ずーっと、ずーっとママと待っていたんだからね。パパがいなくて寂しかったけど、絶対帰ってくるから、いい子で待ってようねってママがいうから、朔(さく)はママのいうことちゃんと聞いた。お手伝いもいっぱいした」
正にマシンガントーク。
少し舌っ足らずの話し方になんだか和み、顔が緩む。いやいやそれよりも。
しゃがみこんで、視線を合わせてたずねた。
「…俺のこと、ママから聞いているのか?」
「うん。朔のパパは、ママと朔が幸せに暮らせるように、遠くで頑張っている、おまわりさんなんだって」
子どもは誇らしげに頷いていった。
「だから、大きくなったら、朔もおまわりさんになって、ママの幸せを守るんだ!」
そういって、真っ直ぐに見つめてくる瞳の色は俺と同じだけど、それに宿る明るさに満ちた強い光は母親譲りのようだ。
込み上げてくる感情のままに腕を伸ばして、目の前の子どもを抱きしめた。小さな手が背中の上着を遠慮がちに掴んだ。とくとくと刻まれる命の営みと身体の温かさが伝わってくる。これを彼女は独りで守り育ててきたのだ。
「…名前、さくっていうのか」
「…朔のパパの名前は零。朔は『ゼロ』の初めての子供だから『イチ』の朔にしたんだって」
「そうか」
じわりと胸に広がる温かい何かを噛みしめながら、そっと、小さな頭を撫でる。ふわふわととした手触りは、彼女と同じ猫毛で心地のよいものだった。
「朔、随分遅いけど、何してるの――っれ、いさん?」
戸惑った声が聞こえた。
顔を上げると、鳶色の瞳を大きく見開いた、名前がそこにいた。
「ママっ、パパが帰ってきたよ!」
子どもはするりと腕から抜けると、母親の方へ走っていってしまった。
腕の中にあった小さな温もりがなくなったことが、少し残念に思った。名前は子どもを抱き上げると、懐かしいあの笑みを浮かべた。
「お帰りなさい」
俺は立ち上がり、二人へと歩み寄った。
「ただいま」

今まで、ずっと俺を待っていてくれた君を、君たちを、今度はすぐ傍でうんと大切にして守っていくと誓うから――

Don't let go of my hand