一緒に死んでくれるかい
自分が世間でいうところの「化け物」だと気が付いたのは、一体いつの事だったか。
『痛い! 』
『こいつの傷、すぐに治るんだぜ!!だから何したっていいんだ!』
『化け物はやっつけろー!』
『あそこの大っきい石投げてみようぜ!』
『や、やめて!!痛いっ!!』
蹴られても、殴られても。
そして石をぶつけられても。
『うっ……!』
痛みは確かにあるのに。
傷だって確かに付くのに。
『ほらな!!こいつ血が出てもすぐに治るんだ!!』
流れ出る血も、傷も。
肌に、体に。
その痕を残すことはなく、数秒後には跡形もなくその痕跡を消してしまう。
目には見えない、心の傷だけを残して。
『こいつ両親もいないんだ!きっと化物だから捨てられたんだよ!!』
『それなら何したって構わないよな!』
『やめて!!来ないで!!』
それなのに力はなかった。
体と容姿は“女の子”のそれで、だから相手が男の子だったとしたら、しかもそれが複数だとしたら、到底敵うはずなんてなくて。
『ひっく……ぅっ…』
自分の体は他の子達とは違う。
だから友達なんていなくて。
いつだって一人で。
『ねぇ、』
けれどもただ一人。
他の子達が名前に手を上げている中、ただ一人だけそれには加わらないでいる少年がいた。
そして今日、その少年は自分に話し掛けてきたのだ。
『君の“それ”は本当にすごい。俺は君を素晴らしく思うよ』
そう言って手を差し伸べてきた彼は名を折原 臨也と名乗り、ニッコリと笑いかけてきた。
『もし君が俺のこの手を取るのなら、俺も君の手を離さないと誓う。一緒に来るかい?』
他の子とは違う大人びた口調、だけど見たところ彼と自分は同じくらいの歳の子供で。
あどけないその声も、表情も。
私となんら変わらないように見えた。
…ただ一点を除いては。
『おいで、名前』
彼が私に向けるその瞳。
その瞳に宿る光は…孕ませている闇は。
きっと私が知りえない程深く、底知れない色のもので。
『一緒、に……』
それでもきっと。
あの頃の私も、今の私も。
差し出されたその手を取り、ついて行っていた事だろう。委ねていた事だろう。
ーー全てを。彼に。
「おや?もうこんな時間だ。」
パソコンに向かい、高速でキーボードを叩いていた臨也は壁に掛かっている時計を確認すると、ソファーで丸くなって寝ていた名前の名を呼んだ。
「!」
その声に反応し、夢と現の間を微睡んでいた名前はパッと反応すると、勢いよく体を起こした。
「お昼にしようか。」
「うん!! 臨也何食べたい?」
「昨日名前が作ってくれた夕飯の余りが残ってるから、それでいいよ。温め直して食べようか」
「分かった!!」
臨也の言葉に嬉しそうに頷いた名前はスリッパを履くと、パタパタとキッチンに向かって駆け、冷蔵庫から取り出したお皿をレンジに、鍋の方は火にかけ、その間に臨也好みのコーヒーを煎れ直す為、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。
臨也はそんな名前の様子を見てクスリと笑みを零すと、ゆっくりと立ち上がって自身も名前のいるキッチンへと向かう。
そしてーー
「? どうしたの臨也?」
背後からそっと抱き着いてきた臨也に対し、不思議そうにそう尋ねる名前。
「名前は昔のまま。僕が拾ってきたあの頃から何一つとして変わってないままだよね」
「え?」
「“化物”として恐れられ、傷付けられ。…それでも君は決して相手を傷付け返そうとはしなかった。」
背後から慈しむように名前の髪を撫で、囁くようにそう言う臨也。
「……っ」
けれども名前は知っている。
臨也は、折原 臨也という人間は、
「俺はそんな名前が酷く好きなんだ。弱くて、脆い。自分一人じゃ立ち上がることも、道を選び取っていく事も出来ない……君という愚かで操りやすい存在がね」
彼は自分の興味の対象、もしくは自分の“駒”と成り得る人物しか傍に置かないのではないか、と。
「いざ、や」
それでも彼は昔、名前に言ったのだ。
おいで、と。
君が俺の手を取るのなら、俺も君の手を離さない、と。
「あぁ、少し煮込み過ぎたようだね。」
蓋をしたまま火にかけていた鍋が揺れた事に気付いた臨也は、スッと名前から離れてその細い指でガスの火を止めた。
「…ん?」
その手に重なる、臨也の手よりも更に細くて白い、名前の手。
臨也がその手を辿って名前の顔を見れば、名前は今にも泣きそうな顔で臨也を見返していた。
「私、臨也の望む通りの子でいるから、だからっ……!」
零れ落ちそうになる涙を必死に堪え、浅い息の合間から絞り出すようにして言葉を紡ごうとする名前。
「私には臨也しかいないから…臨也だけが全てだからっ」
「じゃあ、もし」
名前によって掴まれている腕を引けば、その手を掴んでいた名前も必然的に臨也の方に引き寄せられる形となった。
引き寄せた名前を優しく抱き締め、安心させるようによしよしとその背を撫でる臨也。
行為だけを見ればまるで恋人同士のような…
涙する彼女を彼氏が優しく宥めている、そんな微笑ましい光景。
それなのに、
「僕が“死のう”って言ったら、一緒に死んでくれるかい?」
「?!」
臨也のその言葉に、名前は弾かれたように顔を上げて泣きそうな、どうしていいか分からないといったような表情を浮かべた。
…何故なら名前が昔『化物』と言われ、虐げられていた理由は蹴られても、殴られたとしてもすぐにその傷は治り、治癒されてしまうといった理由からだから。
つまり、臨也がそれをーー
『共に死ぬ』という事を本気で望んだとしても、名前はそれを叶えてやる事が出来ない。
“死ぬ”ということが出来ない。
そして当然ながら臨也にもそれは分かっている事な筈で。
それなのに全てを分かっていながら、理解していながらそんな問いかけを名前に、
絶望という名の凶器で名前を闇に……
ーーそう。折原 臨也という人間はそういう人間だった。
「いざ、や…」
それは名前を拾ったあの頃から、何一つとして変わってなんかいなくて。
彼の瞳の奥で今も尚燻り続ける光は変わらなくて…
それでも、
「置いてかないでっ…!」
自分にはもう、臨也しかいない。
あの頃から自分にはもう、彼以外に頼れる人なんていなくて。
「ひっく…うぅ…」
「大丈夫。俺は人間が一番好きだけれど、“人間じゃない君”もそれと同じように、平等に愛してあげる事が出来るからね。…だから名前、」
臨也の考えている事はあの頃から、今をもってしても分からない事の方が多かった。
それでも臨也は新宿の情報屋として名が知られていっても、若くして大都会にいくつも部屋を借りられる程のお金を手にしたとしても。
ーー必ず自分が生活する拠点となる部屋に名前を住まわせたし、いつだって傍に置いてくれていた。
…なのに時々こうやって名前を絶望の淵に落とすかのような事を言う。
優しく背を撫でながら、平然と名前が出来ないと分かりきっている事を口にしてくる。
「一緒に死んでくれるかい?」
「……っ!」
それでも、きっと。
私には臨也しかいなくて、臨也だって決して私の手を離したりなんかしない。
それだけは分かってる。
分かってる…筈なのに。
「そんな事言わないで。一人に…しないでっ!!」
きっと自分は臨也が死んだとしても、醜く生き残ってしまうのだろう。
だからそれは決して叶えてあげられる事のない願い。
それは『化物』である自分と、『人間』である彼との埋められない差故だ。
それがどうしようもなく辛くて、苦しくて。
けれども、
「名前…」
時折臨也は、ほんの一瞬の事だから単に名前の思い過ごしなのかもしれないけれど、
ブレることなくいつだって強い光を称える瞳を、ほんの僅かではあるが歪ませる事がある。
そしてそれは、名前の名前を呟いた、今も。
「まっ。それが本当に叶ったとしたら、それはそれでつまらないのかもしれないんだけどさ」
いつも名前が瞬きする一瞬でそれは消え、その後彼は必ずといっていい程肩を竦める動作をする。
だから名前の自分勝手で、都合のいい解釈なだけかもしれない。
それでも、
一緒に死んでくれるかい
それは臨也が本当に望んでくれている願望で、本当の気持ちなんじゃないか、って。
叶うことの無い願いだと知りながら、それでも臨也だって自分が死んだ後、私を一人にさせたくなくて本当に望んでくれている事なんじゃないかって。
そう思って瞳を閉じたら、何故だか自分が流したものではない雫が一滴、上から伝い落ちてきた。
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